引退迫る横須賀・総武線用E217系です。本系列は省電力・低コスト・短寿命を目標に作られた209系の近郊型に適用したいわば209系の近郊型バージョンと言えます。209系は登場時から側板ベコベコ、窓は一切開閉不能のいかにも安普請といういわばロクサン系の再来というべき車両でしたが、本系列は一部窓は開閉可能となり、側板ベコベコも、113系に準じて車体の幅を広げて裾を絞ったスタイルとなったためか少しはましになりました。本系列はJR東日本特有の4扉近郊型の元祖となった系列です。またパンタグラフは209系に引き続きひし形でありながらも寸詰まりのPS-28Aが採用されています。その一方で209系とは異なり丸っこい先頭となりましたが、このデザインはその後のJR東日本の車両には引き継がれず特異な存在となりました。丸っこい先頭デザインの電車車両は韓国でトングリ(丸い奴という意味)と言われてはやっていますが、その先駆は1999年の仁川地下鉄だと言われています。あるいはE217系が韓国のトングリ*1のヒントになったのかもしれません。ちなみに先頭形状は233系でちょっと進化しましたが、235系の形状はまた231系に並みに退化したように思われます。235系はドアホームから見られることだけを意識しており、走行している姿はあまりデザインに考慮されていないように思われます。
以下に写真を掲げるトップナンバー編成は、1994年に製作された先行量産車2編成のうち一つです。のちの量産車と先頭車の貫通路の形状が若干異なります。なお選考量産車のうち川崎重工製のもう一編成は、その後、のちの量産車に合わせて車体が載せ替えられましたので、本編成が原型を残す唯一の車両となりました。すでに先行量産車の登場から27年が経過しています。とはいえ当初209系以降の新系列の電車は、コストダウンを図り、耐用年数10年程度で作られるという話でしたので、それを考えれば予想外の長寿だったのかもしれません。もっとも制御装置は2007~13年にかけて全面更新されていますので、それによって延命させたとも考えられます。制御装置の耐用年数を考えれば寿命10年程度というのはその通りだったと言えるでしょう。川崎重工製のもう一本の先行量産車の車体載せ替え(1996年)もひょっとすると耐久性の問題があったのかもしれません。
東京寄
11号車
10号車
9号車
8号車
7号車
6号車
5号車
4号車
3号車
2号車
1号車
横須賀寄
1号車だけナンバーが異なっていますが、これはクハE216のトイレを車いす対応にする際、新製車と振り替え、既成車を改造するという手順が取られたためのようです。レイルラボの記録では、1999年4月に振り替えが行われたようです。その後オリジナルの車が戻されることはありませんでした。このためクハE216-2001とは泣き別れになりました。クハE216-2001は付属編成で活躍しているようです。所属区も大船から幕張に移りましたが、2006年に車両配置の鎌倉(旧大船区)への集中化により戻っています。
また、新宿湘南ラインの増発による車両不足で一時東海道線用に転用されていますが、機器更新を契機に鎌倉に戻っています。
因みに、E217系はステンレス地に、灰色の車両ナンバーなので番号が非常に読み取りにくいです。Y-42編成などは、下のステンレス地の部分をなぜか灰色に塗りなおしているので番号が見やすいですが...
余談ですがJR東日本のE217系に限らず、全般にJR化後車両のナンバーが読み取りにくくなっているケースが多いですね。JR西日本とか九州とか、番号の書体が読み取りにくい書体に変わっているケースが多いです。デザイン優先なのか知りませんが... それを考えると国鉄書体はいかに視認性に優れているか、改めてその優秀性が感じられます。
最後に本編成の車歴を紹介します*2
1994.8.18 東急車両製造 東フナ配置 →1996.10.1 (横フナ[横浜支社発足])→2000.7.1(横クラ [大船電車区→鎌倉総合車両所改称])→2006.2.28 横コツ →2010.5.13 横クラ→現在に至る
クハE216-2061
1999.4.30 新津車両製作所製造 千マリ配置 → 1999.5.20 横フナ (編成振り替え) → 2000.7.1(横クラ)→2006.2.28 横コツ →2010.5.13 横クラ→現在に至る
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追記
Y-1編成は、2022.10.20付けで廃車となったようです。