【不運の事故廃車】横浜市営地下鉄3000S形3531F(第53編成)が搬出

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横浜市営地下鉄では、2019年6月に脱線事故・同年8月に衝突事故が発生して2編成が使用不能となっていました。

商業誌により除籍が、横浜市HPにて令和3年度の搬出が示されていましたが、2021年4月12日・14日の深夜に3000S形3531編成が廃車解体を目的とみられる搬出・陸送(トレーラーによる輸送)が実施されました。

ブルーラインで相次いだ事故

横浜市営地下鉄ブルーラインでは、2019年6月と8月に相次いで大規模な事故が発生しました。(横浜市HP)

このうち2019年6月6日に発生した事故では、下飯田駅付近の保守用車が出入りするための「横取り装置」が本線側である「定位」ではなく保守用車側となる「反位」(いわゆる分岐側)で固定されていたまま深夜の保守作業を終えたため、上り始発列車がこれに乗り上げて前から4両が脱線したものとなっています。

なお、この事故は横浜市営地下鉄では開業以来初となる本線上での脱線事故となっています。

続く8月には踊場駅引き込み線(中線)の車止めに衝突する事故となりました。こちらは居眠りを直接の原因としつつも、睡眠時無呼吸症候群などの影響も示唆されています。

ともに乗客の負傷こそなかったものの、長期間の不通などの影響も大きく、短期間で連続したことから沿線市民(湘南台駅のみ藤沢市内)を中心とする利用者からは不安の声も上がりました。

両編成とも修理は断念

横浜市営地下鉄ブルーラインの事故以前の在籍車両では、3000A形編成(24〜31)・3000N形7編成(32〜38)・3000R形14編成(39〜52)・3000S形8編成(53〜60)となっており、2017年に3000V形1編成(61)が新たに加わっています。

3000A形は新横浜〜あざみ野間の延伸、3000N形は戸塚〜湘南台間の延伸の運用増加を目的として製造されたのち、開業時からの1000形代替として3000R形が、上永谷〜舞岡(戸塚)・横浜〜新横浜間の延伸で投入された2000形の代替(部品再利用)として3000S形となりました。

6月の脱線事故では3000S形のトップナンバーの第53編成が、8月の衝突事故では3000N形のラストナンバーの第38編成が事故当該となっています。

事故調査報告書(横浜市HP)にて、今回の第53編成は脱線した4両の車体・台車・走行機器に損傷があったほか、衝突事故となった第38編成についても車体・走行機器を中心に損傷があることが明らかにされていました。

その後、横浜市の「市民の声」(横浜市HP)では事故車両のその後について、「当該編成について、事故後の車体・台車及び電機品各装置の製造業者による車両診断を行った結果、両編成とも、安全な運行が出来ないとの結果を得ました。その結果をもとに当局で協議し、第53・38編成については、令和3年度に廃車する予定としております。」との回答が示されています。

ただし、2020年3月付けで両編成とも除籍がされていることが商業誌(鉄道ピクトリアル2020年10月号)に記載されていたことから、市民の声での回答で示された「廃車する」は搬出時期を示す記述だったものと思われます。

これにより第38編成は20年程度・今回の第53編成に至っては15年程度と短い活躍となりました。

2022年度に新造車が納入予定だが……

現在運行されている車両のうち、1992年から導入された3000A系については2022〜2023年度に現在1編成が在籍する3000V形を新たに7編成追加投入することにより置き換えられる計画です。

現時点で3000A形8編成の代替を完遂する計画が変更された等の発表はありません。

しかしながら、2019年に相次いだ事故により、せっかくの先行投入も虚しく予備車が不足する格好となりました。そのため、2020年1月31日から朝ラッシュ時間帯の運行本数を1本減らし、運用数を34から33としています(神奈川新聞)。

次回の廃車搬出は同じく事故当該車両の第38編成とみられるものの、それ以降は3000V形の納車・3000A形の搬出としばらく車両の動きが活発化しそうです。

運用数を戻すために3000A形に一時的な延命しつつ2編成を追加発注することが最も考えやすい流れですが、昨今の鉄道利用減少でそのまま若しくは1編成のみの代替車発注とされる可能性も十分に考えられます。

長期的には2024年以降に3000N形が大規模修繕か代替かが考慮される時期となりますので、正式な事故車の代替はその頃まで持ち越しとされても不思議ではありません。

どのような動きとなるかは現時点では推測も難しく、今後の動向が気になります。

陸送時の接触防止のために赤い灯火を外部に取り付けていますが、これを撤去された尾灯位置に取り付けた山広運輸興業さんの“遊び心”がこの編成の最後の勇姿を飾りました。

元横浜市民の端くれとして、2000形の遺志を引継ぎ、短命ながらも横浜と周辺の通勤通学輸送に従事した活躍を胸に留めておきたく思います。

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今回の掲載写真は、フォロワーのべみほっぺ様(@shikisaigram)より掲載許諾を頂いています。

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