1992年8月30日の撮り鉄日記
(この日記は1992年8月30日の内容だが、ブログ投稿は2021年4月15日)
1992年8月当時の俺は19歳(大学2年生)
━━━前日のエントリー、1992年8月29日の日記から続く━━━
なんとか、寝付けなかったが、市振駅でマルヨし、
朝4時になる。
また砂浜へ行ったり、
公園行ったりして時間をつぶす。
市振俯瞰の撮影地へ登る階段を途中まで登ると、すごい蜘蛛の巣。
適当な棒を見つけて、蜘蛛の巣をはらって、なんとか階段を登ってゆくが、
草がボーボーに生い茂っており、足の踏み場がない。
諦めて下に降りた。
とりあえず、真横から貨物列車を撮る。
流し撮りにチャレンジ。
当時は北陸本線で日常的に走っていた475系の普通列車を撮る。
また何分か経ってから次の普通列車も撮る。
連写のできないカメラを使っていたのと、この当時はEOSを使い始めたばかりで、
なにせシャッターのタイムラグに馴れていない。
ポールがかかってしまい、(ノ∀`)アチャパー
ヘタすぎる。
ポールがかかって(ノ∀`)アチャパー
実はトワイライトエクスプレスがメインだったのに、メインがこれでは残念すぎる。
(ノ∀`)アチャパー
たぶん、これを撮っている時点では、こんなにクソ失敗しているという自覚はない。
当時はフィルム🎞で撮っている時代だったゆえ、現在のデジタルカメラのように、その場で写真の仕上がりを確認できない。
フィルム🎞は現像が仕上がるまで見られないゆえ、こんなクソ失敗しているということを、この時点では自覚していない。
何日か後に、この仕上がりを見て愕然とするのであった。
市振7:50発ので直江津へ
直江津駅からマクドナルド上越店まで歩い行って朝食。
直江津10:37発ので、鯨波11:13
また海側から撮る。
本当はここは、午前中は内陸側から海を背景に撮ったほうが順光で、
夕方は海側から内陸に向かってカメラを向けたほうが順光なのに、
当時の俺は光線状態を気にしなさすぎ。
485系 新カヌ色 特急『雷鳥』
現在の[新ニイ]が、当時は[新カヌ]だった。新潟支社 上沼垂運転区
485系 特急『北越』
もう、8月30日なので、
海の家は解体する作業が進められていた。
↓
13時頃は、鯨波~青海川の中間地点あたりにあるキーウエストという店に行って、
ジャワカレー🍛を食う。(昼食)
外でアイスクリーム🍦食ったりして、
再び撮影地へ戻る。
海バックになる定番撮影地には、何人か撮り鉄が集っていた。
本日は12系和式客車『白樺』が来るからだ。
撮影地の近くの保坂商店(現在でもある)で、アイスクリーム🍨と熱血飲料(スポーツドリンク)とフィルム🎞を買った。
しばらく砂浜を歩いたりしていた。
12系和式客車『白樺』は、15:20頃になったら、海バックで撮ろうと思って、
それまでは反対側(下り列車を撮る方向)に向かってカメラを構えていた。
すると、15:00頃、突然後ろから『白樺』が来てしまった。
予想よりも通過時刻が早かった。
仕方なくケツ撃ちで撮った。
悔しいので、この『白樺』を追っかけようと考えた。
鉄道ダイヤ情報誌を見てみると、信越本線で追いかければ、反対側から『サワ座』も来るということがわかった。
こうなったら両方撮るぞ!と思って、信越本線で妙高高原方面へ向かった。
鯨波14:48発ので直江津へ向かう。
米山で『白樺』を追い抜いた。
直江津で乗り換える際、『白樺』が来るのが見えた。
撮影地をよく知らなくて、妙高高原まで列車に乗りながらロケハン。
当時はJR信越本線だったので、青春18きっぷで乗ることができた時代だ。
(えちごトキめき鉄道は存在していない時代)
妙高高原15:57に着いた。
「二本木~関山の間に良さそうな場所があったな」と思い、
また戻るように、関山へ向かった。
関山には17:12に着いた。
関山駅から徒歩10分くらいの撮影地だ。
露出がなくなってきたので、
ISO感度3200のフィルム🎞に入れ換えた。
ISO感度3200のフィルムは、コニカカラーGX3200とかいう銘柄のものだ。
カラーフィルムで、この感度は最高クラスで、
粒子がむちゃくちゃ粗い。
当時はフィルム🎞で撮っていた時代なゆえ、途中で感度を変える場合は、フィルム🎞を途中で抜くしかなかった。
途中で抜いたフィルムを、何コマ目まで使ったかを控えておき、あとでそのフィルム🎞の続きから使うこともできる。
ついでに115系の普通列車を撮る。
関山18:35発ので高崎22:04着
高崎22:08発ので→上野→日暮里
日暮里駅前の吉野家(現在のマクドナルド日暮里駅前店のある地点)で、
牛丼大盛を食う。
日暮里駅0:24発の京成で帰る。