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JR久留里線 ディーゼルカー                      内房線・E131系 新型・ワンマンカー

 

    

蘇我駅で丁寧に乗務される女性車掌さん               空想のお嬢さん

千葉から蘇我へ そして木更津 銚子電鉄ぬれせんべいをお土産にゲット 久留里線を見て、E131系新型車両を見て、アクアラインの効果で渋谷・新宿方面へバスが木更津駅に出ています。つけ麺で焼酎を1杯、きちんと乗務される女性車掌さんで千葉へ戻りました。

狸ばやしで有名な證誠寺 しょうじょうじ があります。

 

心の悩み回想

※ ※ 皆さんは心因反応という言葉は聞いたことがありますか? 思春期の中高校生の方の何十人かに一人は悩んでいる方がいると思います。外から見てもわからずで、本人は苦しみながら自殺を考えます。これでは社会に出られない・大学も行けないという感じがします。

どうか相談や治療を受けて、体育は出来ませんから見学とかやれないという、表現をしてください。ちょっとずつ、ちょっとずつ、生きる・そうっと趣味や得意なことを慎重に見つけてください。そしてそうっと、社会に出てこれますように・・・。

 

「○っちゃん××の人生」 

1.1949年・昭和24年生まれで父親が△△製鉄の工場へ勤務しました、それで神戸で一戸建てに住んでいました。神戸市須磨区で幼稚園はよく泣いて訳も分からず休んでばっかりでした。隣の家に外国人の広い家があり、アルというシェパード犬に塀の金網越しにお付き合いしました。

 

2.昭和30年に小学校入学

父が千葉県千葉市に転勤、○○製鉄所勤務となりました。神戸の臨家の幼馴染のアキ子ちゃんと別れて、母、兄と一緒に千葉の社宅に住みました。東海道線の列車に神戸から乗車でたぶん特急つばめ号でした。まだ5歳くらいで列車に揺られてトイレに母と一緒にいくと、和式便器の穴から走っている線路が見えたのを覚えています。千葉では幼稚園に行かず幼いころヒマで遊び友達もいませんでした。○○社宅の群れの中で、砂利の道路を覚えています。

小学校入学の事前に検査で、胸がどきどきして、男の先生が怖いと感じました。

学級は元気な子ばかり、歌を歌うことはやっちゃんは知りませんで、先生のアコーディオンに見とれていたでしょうか。関西弁で「ほんまー」と言ったら大笑いされて、泣きそうでした。兄は3年生へ転入でいじめられました。・・でき過ぎくんだったのでしょうか。勉強はそのころ簡単に感じて、学年が上がると学級委員にされました。気が小さいので体格が小さい子にびくびくしていました。学校から10分で海岸・東京湾で浅利も取れてはぜ釣りもしました。運動会は恥ずかしくてつらかった。両親に運動会に来ないでくれと泣きました。

 

3.中学受験をさせられて塾も行ったけど落ちました。私立中学へ電車通学、電車の中でトイレの大がしたくても行けないので貧血もしました。30年後に大腸が人の3倍あるとわかりました。学校で大がしたくても恥ずかしくてまた、時間もかかるので行けませんでした。高校は県立の千葉で一番の学校に落ちまして、中学からの同じ学園の高校へ行きました。高校の試験の日、トイレで大がしたくても我慢するしかありませんでした。もう悩みが深くなってきて、ヘルマンヘッセの車輪の下のハンスと同じでしたね。心因反応があると体育もできません。人と視線を合わせられません。赤面恐怖症と対人恐怖ですね。外から見た目にははっきりわかりません。瞳は平静を自然と装います。喜怒哀楽がない・わからないと見えます。瞬間的に顔が引きつります。母親はほほ笑みと勘違いをして、火に油を注ぎました。男子なら野球のボールをフライを取れないです。グラブをかまえても捕球のときの手が働きません。おでこにボールが当たってしまいます。痛さよりも瞬間的に自分の不思議なふがいなさに結びついて、大きな痛手になります。しばらく罪を犯したように感じて、後にずっとついてきます。蛇ににらまれてるカエルと同じです。あと気持ちが身体の態度に出て、人は勝手に勘違いしてよみます。誤解や間違って人は受取りどうしようもないですね。山の斜面に立っているとでもたとえられます。何かを待つ時間何十秒から数分、じっとしてるのができないのです。何かの反応があります。耐えられない緊張感です。最近になって、バスに乗ってるとき高校2年生くらいの男子が心因反応の様子で、具体例を見ました。ワンマンのバスで、次の停留所の案内で「お降りの方はボタンでお知らせください。」のアナウンスの後、学生カバンの下で降りなくても、毎回その高校生はボタンを押していました。運転手が停車後、「いらっしゃいませんか」と言って、その生徒さんは、外見は平静に見えましたが、私の隣だったので、私は生徒さんの顔を見ましたら、苦しい瞳をされていました。中途半端に立ち上がって、瞳が鉛のようでした。後で思ったのですが、医療機関やソーシャルワーカーのいるところへ行ったらいいですよと言わなかった私は後悔しています。

また自分自身をあまりにもつらいからでしょうか、それと落着かないわけで、何かで、自己尊大感を持ってしまう、ほんとにいやらしいですね。できると思っていることができない、または理由もないのに、うぬぼれ感、それが最後の砦なのか、安直に負けがつらいのか、それで尊大感を持つのか、つらいですね。

友だちを避け始め、図書館で真空管のラジオの原理を知ったので、電話級のアマチュア無線技士の試験を受けて免許をとりました。試験場まで東京へ行くのがつらくて、母が後ろの方からついてきてくれました。学年2年で寮に入ることに学校の方針でなって、5人部屋で一睡もできない日が続きました。家では父の方の祖父をなくし、祖母が千葉で同居となりましたが、これも嫌でならなかったです。・・教育方針の寮・・社会に出ることをあきらめたのはこのころです。ズボラと青二才という先生は私を叱っても、心はメンタルは何もできないのです。発達障害と30年後自分で診断したのですが、ここで終わっているのです。ハンスは川で水死体で発見されても、大酔っ払いの日でしたから、川に落ちたのでしょう、飛び込みではないと確信します。

4.高校卒、苦労した、実質大学受験できず予備校は形だけ行きました。海外の短波ラジオを聞いてベリフィケイションカード集めでニート。

5.○○××センターで生活訓練、ソーシャルワーカーにお世話になった。買い物・料理・食事・卓球・楽器演奏など。あたりまえのことをやり直しです。また家では父や母に「お父さん」「お母さん」と言ったことは一度もありません。会話もしませんでした。後の子育てのときに、自分が受けた家庭の人間関係を完全否定しました。これは親の方が、使わないとだめです。パパとママはいいでしょうが、お父ちゃんとお母ちゃんは後に私はだめで、ちゃんは恥ずかしいと感じることが多いからと決めました。子育ては○っちゃんは「それはお父さんがするよ。お母さんに聞いてみて」とか私が使ってましたし、「ありがとう。ごめん、わりぃーとどんどん使いました。

6.○○近隣の町役場に勤務 臨時募集に受験橋にも棒にもかからない人を40年先まで育ててくれた恩。試験を受けるときは清水の舞台から飛び降りる心境でした。

7.私は小さいころから口臭 公衆トイレではなく胃の中から匂いが臭かった 踏んだり蹴ったり 26歳で月刊、今は季刊MY詩集と出会う 同人で詩とイラストを発表続く 小椋佳の楽曲に触れて、ビビッときました。当時は井上陽水と並んでヒット中、共感。「大いなる旅路」は小椋佳の歌声が夜明けにラジオから聞こえて目がハッと覚めました。テレビで小椋佳コンサートを見ながら、ウイスキーを飲んでとても良い気分にもなりました。テレビドラマの「俺たちの旅」のファンになっていました。オメダという人物はダメ男だからそう言うんですが、目が暗い感じの内向的がやっちゃんと被っていました。「生きる」「木漏れ日の向こうに」挿入歌、田中健は歌ってもいました。どうしても悩む人物像は放ってはおけないんですね。昭和60年ころ、私は市立図書館勤務で、そのころには詩集「愛と命の渇き」を出版していました。第1作自費出版「心の血」の後で、第3作の「蒼い結晶」の前です。日航機墜落事故のころ、奇跡的に助かった○○さんと他数人のニュースのころでよく泣きました。「日航123便の少女」を書いて命の大切さを強く感じました。前後しますが小説「エデンの海」若杉彗も映画化されて、本格的に泣きを覚えました。

8.初めてのデート お付き合いできるまで成長できてなく 好き嫌いの感じがわからない たぶん外見の「長い髪の少女」という歌グループサウンズの映像的・女性的・母性的を好んでいた 数人お付き合いでもゴールしなかった 30歳に向かって嫁探し 婚活サークルは大勢では負けるから 1対1のサークルへ 職場では弱肉強食で顔がよくても無理 

 

9.アパートの一人暮らし 就職後1年足らずで家では何も得するものがないから、家から2キロくらいのところへ移った。原付バイクの免許をとって、仕事でも不便で26歳で車の免許をとった。下手な運転をしていた。雪の降る日、車で銭湯へ行って、中古の車を電信柱でゴツンもありました。銭湯では隣で洗ってる人が刺青が入っていても、気にせず。運転をしても職場で、かなり地図オンチで地図を買いました。アパート暮らしで数回危ないことがありました。夜、煙草を吸いかけで落として眠り込んだ、畳の上に敷いたじゅうたんを焦がして穴。酔って帰ってから電気ポットでお湯を沸かして、眠り込んで電気ポットが壊れて、あたり一面の水蒸気、ラーメンも食べれなかったこと。鍵を閉めこんで、家まで歩いて、母に預けたスペアキーを取りに行った。サークル参加や自分の連絡のため固定電話を持った。父がかけてきたら、知らねーな―と言ってガチャンと切った。MY詩集に住所と電話番号を載せて、誰とでもお付き合いできるようにして、中野サンプラザでの集まりにはずっと行ってた。そのころ、ある女性が逢いに来て、泊るつもりだったが、私はおくてで、ゲットできなかったが、その人は既婚女性で「幸せに・・」を言いたかった方のようでした。

 

10.○っちゃんの結婚  31歳のときでした。サークルでお互いに結婚を望んでいて初めて逢ったとき、握手をしました。千葉と、彼女は埼玉に住んでいて、真ん中の東京秋葉原で待ち合わせしていました。横浜や江の島で、夜になるように予定して、あとはじきに指輪を2セット買って、約束の証に金の指輪、式の後は銀、ちなみにお金はあまりなくて2セットで5万円、金額は高いのには意味やこだわりはしませんでした。私の父はまさにうぬぼれが強くて、えらそうにずっとしてきました。○っちゃんは心に入り込んでるのを捨てながら、式は父が費用をかけてしまいました。うぬぼれは絶対に許せない 父の名前の一字を息子につけるなどはタブーであると、理解しています。子供は自然と、同じになろうと意識をしてしまうと思います。

妻の出産はじきで女の子を授かりました。妻がうれしくしてるのが印象的でした。あとは2男をさずかり、私はゼロからの子育て

 

11.酒は飲んでわかる永~い友だち

職場の中途採用12月、じき忘年会・生まれて初めて 歌を知らなくても歌わされる 本を購入 丸暗記「喜びも悲しみも幾年月」カラオケは当時ありませんから、口伴奏で4番まで歌いました。 後にプラスでした。公務員は官官接待はしょっちゅうあります。後になって自分の癒しの居酒屋やスナックは見つけておくべきです。執拗ないじめ、私は仕事が遅い、できない、そうなるとあります。最初は先輩の言うことをしっかり聞いて、言葉をきれいに話します。しかし、自分でどうにもならないのに小姑が必ず出ます。○っちゃんは飲み会の席で「何い、ふざけるんじゃねー」とこぶしを顔面にもっていって殴る前に、向こうが平手で止めました。敵の力は強いです。以来著しく減りました。私の本音が見えなかったのもあったのでしょうね。

12.車酔い  就職当時や子供のころから車酔いは、踏んだり蹴ったりにプラスα―、親は子供が小さいとき振り回すことをしっかり抱いてするべきなんでしょうかね。

13.へっぽこ係長になってから、夜市街へ車で行くとき、酔うから私が運転すると言って対処、運転は酔わないから

 

12.年齢とともに風化  大人になっても風化していくには年月は永くかかります。時と場合ではちょっと後戻りしたりして、基本的には外見的には不審者っぽく見え、ミスターエックスとでもいうか本音が出てこない、八方美人的にも見えます。酒を飲んでも、ほんとうに酔えない、ときに飲み過ぎると、内面的に意識がなってぼーっと外界と切れたふうな意識になり、常識を狂わせ、必ず気づくと心に罪の意識ができます。悪いことは基本出来ないのは、強迫観念が付きまとうからですね。では何か対策はないのかといっても、経験でしょうか、そして耐えるのでしょうか。脳はどんどん先回りして、みんな手を出すとだめにしてしまうとは人は言うでしょうが、しょうがないですかね。しょうがないですむことではないですがね。自己表現の単なる気休め努力は、会話する、カラオケで歌う、詩や文やイラストに根気よく残す映像的にでしょうか。それでよくニートになった方は、描いたものを持つのでしょう。でも意識に混在する汚れや怠惰、いやらしさでちょっと不足の作品になると思います。 昭和30年にエト邦枝が歌ってヒットした「カスバの女」を歌が好きでしたが、歌詞もイメージ的に読んで共感を覚えます。嘆き、ため息、やるせなさ、異国情緒、地の果て・・がいいです。

 

13.家庭生活の様子 小学校の4年ごろ、正月休み・冬休みにカルタの百人一首で過ごしたのは、よくないことと思います。父が読んで兄と私が取る、小学校時代にこんな過ごし方は間違いだと思います。子供には子供の遊び方もあるし、知識があることをうぬぼれるような遊びは要らない。家庭麻雀も小学校高学年から土曜日にやりましたが、どうやって覚えたかはわかりませんが、私が覚えた後やりたくて夢中になって、やってもらえないと泣きべそをかいたというのは、過ごし方として最低です。冬休みと夏休みは母の実家の祖父母の家へ行くのが楽しみのような、恐れるようなこと、私は普段の家と違うのはうれしくても、怖いような違いを感じました。自分が自分で居られないような感じです。祖母が迎えに来て、一緒に電車で渋谷に出てから私鉄で数駅で着きます。世田谷区です。叔父さんと祖父、兄と私で麻雀、花札、いいように見えてもよくはないと思いますね。官僚の祖父、一流会社勤めの叔父、私は畏敬の念でも恐れに近い存在でした。食事や会話はするときに別の感情で、ドキドキしていました。異物が意識に混じっていましたね。

14.父親の欠格事項 妻が娘が生まれて2年後長男を出産したときのこと 父は家からすっ飛んで来やがって、2歳の娘、孫を膝にのせて有頂天になってた、私は「バカヤロー、っざケンなー」にらみつけて、声の音は制限したが一喝した。殿様時代の世継ぎの男の子、明らかに男尊女卑を憎みました。女性が出産したときは実の母と二人でゆっくりさせるものだ、妻のお母さんはみえていて、父が妻の部屋にでんと座っていて、動かない・・。お母さんが私に○○さん、帰ろうと言われたので、出ました。いったい何様のつもりだ・・。ずっと私は妻と子供はよい環境を求め、私の両親の教育を、完全否定するわけで、この父、母はなんとなくうれしくてもそっとしといて、内心考慮してた。ひどい話です。

家の3人の子供たちが大きくなる時、父は運動会に割り込んできたり、私は父親を許せないのです。うぬぼれとは破壊を内側から

引き起こしてくるのです。後に、父はパーキンソン病を患い、一時的に私の家に同居したとき、小学生の長男と口げんかして、「じじい死ね」「うるさい、お前は黙ってろ」とやったのを見て、隔離は必要で、私は「出てけ」

と言ったので地獄に落ちてもいいです。

15.家の子供がいじめにあったらいかに怒りたいか

子供たちは学校に行き始めると、少なからずいじめっ子が居ますので、敵対を大げさにしないで、いかに抗戦するか。子供どうしなら、私の経験では、頭脳のきれる子は、授業中にぶんなぐって処理したけんがあった。先生が何と言ったってかまわないから、頭に来たら教室の授業中なら、逃げられないから授業中がよい。逃げたら、入ってこさせないか追いかける徹底抗戦。教師が怒ろうと、自分の方が大事だ。また、家の子がもし学校で、いじめがあって先生がピリッとしなけりゃ、お父さんが木刀持って、校長室でもなんでも怒鳴り込むぞと私は言ったが、そこまではなかった。あとはいじめられた私の経験、そいつのランドセルがあったら、水の中に叩き込む。怒りはそういうもので、せっかく生まれてきたのは、勝利したひとつだから、殺されてたまるか、いじめられ自殺防止だ と思っています。子供を強くするのは難しくても、ひどい子はいつでも居るので、怒るのは怒るで、いいのです。

16.富士登山での知識

職場の親睦で富士登山がありました。へとへとで登れたが2度と行かないと決心。しかし子供が登りたいと言って、困って、無計画に早朝から登っても胸突き八丁で、妻が吐き気、長男が息切れ、私は騙してでも行こうとしたが、それは誤り。命が大切ならそこから下山道へ行く、長男が下り始めて、ひとつ私が教わった。夜から登り始めるとか、経験を生かせばよかった。 

17.ここで一般的に神経質な人にいい趣味をドクターが勧めたというもの、私ではなくテレビで芸能人が言っていました。

釣りです。私は子供の時のハゼ釣り、結婚後に陸からの釣りをしました。そして釣れる効率が良いから船の釣り、乗合船に乗りました。釣りクラブに入って、釣果も競いました。童心に帰れる、マナーを守る、仲間を思う、何より魚が帰って食べておいしいということですね。まあ、船酔いはよくしますが、内湾で釣り場が近ければ、バスくらいの揺れで大丈夫と思います。船酔いには口の中をおいしくすると遠のく、経験があります。チョコレートや漬物を食べる、缶ビールもいいですが、酒に酔って船酔いを遠ざける、効果は少しですが、さめてくるといやらしいとかあります。渥美二郎の歌「夢追い酒」がありますが、酒は助けてくれる薬の一つでしょうか。

 

※ ※ どうかあきらめずに、ほんの少しずつやっていきましょう。趣味を持つことは大事です。仕事に面接に行くときは、清水の舞台から飛び降りるつもりで、全力でやってください。社会や人々から受けたことは、私は恩返しするので、ここに記録しています。

 

やっと脱肛・脱腸、脱稿に近づきました。何せ千夜一夜物語、相当混在した文になりました。

 

 おまけ

心因反応ってそのままの意味で心に因があって、反応するという症状でしょうか、統合できないとか、心がすさむ鬱とは縁、がなくとも。あるのでしょうかね。

酒と涙と男と女、人は男と女しかいないから互いに痛みをわかり合いましょう

オナベとオカマは今の時代否定できないですかね。

カラオケ居酒屋がいい、カラオケボックスでは何が面白いかは私にはわかりません。居酒屋でひとり毒を飲んで、女性の店員さんやママとちょっと会話、本音は多分言えます。ご家庭の奥さんとはまた違う世界、夢の世界へいざなう架け橋、「明日にかける橋」サイモンとガーファンクルも歌うとしびれる。家では奥さんに叱られても、ここでは大人であり少年であったり、詩人のまねができますかね。