国鉄電車急行全盛期、一部の列車を除いて連結されていたのが半室食堂車。といっても、特急のような本格的なランチやディナーではなくて、ちょっとした軽食が立食で食えるというサービスを提供していました。中でも東海道急行の本格的な職人さんが握る立ち食い寿司は有名ですよね。因みに、国鉄では半室食堂車を 「ビュッフェ」 と呼称していましたけど、今でこそ、 「ビュッフェ」 っていうとバイキング形式による食い放題をついついイメージしてしまいますが、元をただせば 「立食形式」 を意味するフランス語です。

 

昭和40年、中央東線の急行 「アルプス」 にビュッフェを連結する事になりましたが、 「佐渡」 などに連結していたサハシ165をかき集めて対応する事になりました。それでも2両が足らないということでその分は新製することにしたのですが、中央東線特有の輸送事情を踏まえ、ビュッフェではなくて157系で実績のある売店方式が採用される事になり、登場したのが売店車サハ164です。

室内構造は7割方客室なんですけど、前位1/3程度のスペースに売店施設と車販準備室を設置しました。画像は1~3位側を写していますが、2~4位側と窓配置が異なります。

売店内には飲料用の冷蔵ケースと流し台が置かれ、冷蔵ケースの電源用として床下には電動発電機 (MH128-DM85) が搭載されています。

登場当初は非冷房でしたが、急行形車両の冷房化が推進されていた昭和45年にAU13による冷房化工事が実施されました。

 

予定通り、1と2が昭和41年 (昭和40年度第二次民有車両発注) に製造されまして (いずれも川重製) 、松本運転所に配置、急行 「アルプス」 に組み込まれますが、昭和49年に新潟運転所、昭和53年には大垣電車区へと転配されます。新潟ということは、 「佐渡」 に組み込まれたかと思うんですが、大垣転配は? よく 「名カキ」 表記のサハ164が東京駅に出没している絵面を雑誌とかで散見しましたが、 「大垣の東京駅」 ということはやはり、 「東海」 に組み込まれていたのでしょうか? ただ、大垣は水に馴染めなかったのか、1は半年ちょっとで、2は1年半で放出され、古巣の松本へ戻り、ここが結果的に終の棲家となります。廃車は2両とも昭和58年ですが、松本出戻りの頃は既にサハシですらビュッフェの営業は行われておらず、座席エリアのみが使われていたような感じ。編成から外さなかったのはMGを搭載している関係だと聞いた事がありますが、サハ164もその流れなんでしょう。サハシの連結は昭和57年までだそうですが、サハ164も同様と思われます。なお、営業はしませんでしたが、 「アルプス」 が最後まで残ったサハシ連結列車でした。

 

この売店車、民営化後も似たような車両がいくつか登場しました。サハ164 (モハ156の方が先だけどね) は先取りした感じがします。車内販売が消えつつある昨今、コンビニと提携して車内にコンビニを設けるというのも一興かもしれません・・・。

 

【画像提供】

は様

【参考文献・引用】

鉄道ピクトリアル No.867

鉄道ピクトリアル別冊 「国鉄形車両の記録 165系急行形電車」

(いずれも電気車研究会社 刊)

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