皆様こんばんは。ブログおよびホームページ管理人の神@北見です。

 

先日よりキハ58系パーツ別の考察として、常磐無線アンテナについて見てきました。前回までに同アンテナを取り付けていた可能性のあるキハ28形がどの車かという点と、それらの形態について検証しました。今回は2エンジン車のキハ58について見てみたいと思います。

 

常磐線急行を担当する水戸区では主に上野発の急行「ときわ」「奥久慈」に使用されるグループと、磐越東線系統の急行「いわき」、そして「あがの」にも足を延ばす運用の2つに大きく分かれていました。急行「ときわ」に使用されるグループは大半が1エンジンのキハ28であり、急行「いわき」は編成中の多くが2エンジンのキハ58でした。なおキハ55系については資料が少ない事もありここでは割愛させていただきます。

 

急行「ときわ」「奥久慈」の編成中にも2エンジンのキハ58は組み込まれていましたが、

 

1970年代の編成では、

 

奥久慈<キハ28+<キハ28+キハ58+キハ28+キハ28>+ときわ<キハ28+キロ28+キハ28>+<キハ28+キハ58+キハ28+キハ28>

 

ときわ<キハ28+<キハ28+キハ58+キハ28+キハ28>+<キハ28+キロ28+キハ28>+奥久慈<キハ28+キハ58+キハ28+キハ28>

 

のように、<キハ28+キハ58+キハ28+キハ28>と、グリーン車入りの<キハ28+キロ28+キハ28>、増結的なキハ28 1両を組み合わせた編成になっており、キハ58は基本的に先頭に出ません。

 

このようなことから、晩年キハ58冷房車が大量に転入した際も常磐無線を取り付けている車はいないという状況が多く見られました。まぁ中間にばかり入っていますので問題ありませんが…。急行「ときわ」「奥久慈」は1982年11月の東北・上越新幹線開業後もその恩恵を受けない地域ということで存続しましたが、他所からの485系転入により「ひたち」が大増発された「60-3改正」で451系電車と共に急行「ときわ」は廃止されました。

 

では水戸のキハ58系で常磐無線を取り付けていた車に付いて考察してみたいと思います。

 

<1966年4月>

 

この時点で水戸に配置されていたキハ58は21・28・562・578・579になります。

 

21は翌1967年には夏季輸送で千葉地区へ転出し、夏季輸送終了後は水戸に1038・1039が新製されたことから高松へ転じて水戸から離れています。そのため常磐無線アンテナを取り付けていたかは不明ですが、付いていたとしても後の冷房化で撤去されて通常の位置にクーラーが付いていたものと思われます。

 

28は長く水戸に在籍しており、各地から冷房キハ58が転入したために玉突きで盛岡に転ずるまでの間水戸にいました。1970年代後半の写真を見ると常磐無線を取り付けていました。

 

562・578・579は昭和39年度本予算で水戸に新製配置されており、冷房化後もクーラー配置が不規則であった事から常磐無線アンテナを取り付けていたものと思われます。

 

<1968年4月>
 

この時点で水戸には28・562・578・579・1038・1039が配置されていました。キハ58 1038・1039が新製配置され、21が転出しています。

 

1038・1039は常磐無線を取り付けており、後にグラシアに改造された後もその名残がありました。

 

<1971年4月>

 

この時点で水戸には28・455・456・562・578・579・1038・1039が配置されていました。キハ58 455・456が新潟から転入しています。

 

455・456は1970年10月1日付で新潟から転入しています。冷房化は水戸転入後だと思われますが、当車は常磐無線アンテナ対応ではなく、通常のクーラー配置でしたので恐らく同アンテナは取り付けていなかったと思われます。

 

<1971年10月>

 

この時点で水戸には28・202・256・260・455・456・562・578・579・1038・1039が配置されていました。キハ58 202・256・260が新潟から転入しています。

 

202・256・260は1971年4月30日付で新潟から転入しています。202・260の冷房化は水戸転入後だと思われますが、当車は常磐無線アンテナ対応ではなく、通常のクーラー配置でしたので恐らく同アンテナは取り付けていなかったと思われます。256は非冷房のまま1980年に人吉に転じますがアンテナが付いていたかは不明です。ただ202・260が同アンテナ非対応で冷房化されていることから、256もアンテナ無しであったものと思われます。

 

<1972年10月>

 

この時点で水戸には28・105・202・256・260・455・456・562・578・579・1038・1039が配置されていました。キハ58 105が千葉から転入しています。

 

105は外房・内房電化により1972年7月19日付で千葉から転入しました。千葉配置の2エンジンキハ58は珍しく水戸でも千葉ヘッドマークステイが付いており異彩を放っていました。この車は常磐無線アンテナが付いていたかどうかは不明ですか、この頃の転入車には付いていないケースが多いので、恐らく未取り付けでしょう。

 

<1973年4月>

 

この時点で水戸には28・105・202・256・260・455・456・496・562・578・579・1038・1039が配置されていました。キハ58 496が新潟から転入しています。

 

496は1972年10月2日付で新潟から転入しました。同車は冷房車が大量に転入した1980年10月に入れ替わるように人吉に転じました。人吉時代の写真にはアンテナが付いていませんが、恐らく水戸時代から付いていなかったものと思われます。

 

<1973年10月>

 

この時点で水戸には28・105・202・256・260・455・456・485・496・562・578・579・1038・1039が配置されていました。キハ58 485が秋田から転入しています。

 

485は1973年6月1日付で秋田から転入しました。同車は冷房車が大量に転入した1980年10月に入れ替わるように人吉に転じました。人吉時代の写真にはアンテナが付いていませんが、恐らく水戸時代から付いていなかったものと思われます。

 

<1975年4月>

 

この時点で水戸には28・105・137・150・151・202・256・260・455・456・485・496・562・578・579・766・1038・1039が配置されていました。キハ58 137・150・151・766が直方から転入しています。

 

137・150・151・766は1975年3月6日付で直方から転入しました。九州では冷房化が比較的早くに概ね完了しましたが直方区のみは非冷房車が集まっていました。これも1975年3月のキハ66・67投入により捻出され800番台以外は転出することになり、豊岡に転じた793以外は水戸に転じていました。これらのうち137・150・151は水戸区では最後となる1978年・1980年に冷房化されました。冷房化の際には通常のクーラー配置で改造されており、常磐無線は取り付けられていませんでした。非冷房のまま残った766は1980年10月に冷房車が転入すると郡山に転じました。

 

<1979年4月>

 

この時点で水戸には28・44・92・105・117・137・150・151・202・256・260・455・456・485・496・562・578・579・766・1038・1039が配置されていました。キハ58 44・92・137が和歌山から転入しています。

 

44は1978年10月13日付で和歌山から水戸へ転入しました。紀勢本線電化による捻出車です。しかし水戸での活躍は短く「57-11改正」で直方に転じています。和歌山から転入した時点で通常の姿で冷房化されており、常磐無線アンテナ対応ではありませんでした。

 

92も1978年10月13日付で和歌山から水戸へ転入しました。紀勢本線電化による捻出車です。しかし水戸での活躍は短く、キハ58の全冷房化が達成された1980年10月の転配で捻出され、盛岡に転じました。水戸時代の姿は不明ですが、他車を見ても恐らく常磐無線は取り付けられなかったものと思われます。

 

137も1978年10月13日付で和歌山から水戸へ転入しました。紀勢本線電化による捻出車です。当車は水戸で長く生き永らえ、水郡線営業所に在籍した最後のキハ58系となり1996年に廃車になりました。和歌山から転入した時点で通常の姿で冷房化されており、常磐無線アンテナ対応ではありませんでした。

 

 

<1981年4月>

 

この時点で水戸には44・51・66・69・74・76・117・137・150・151・202・260・455・456・562・578・579・1038・1039が配置されていました。キハ58 51・66・69・74・76が徳島から転入しており、非冷房の28・92・105・256・485・496・766が他区へ転出しています。

 

51・66・69・74・76の5両は、四国内における急行の減車により1980年10月13日付で徳島から水戸に転じました。しかしこれらの活躍は短く、急行「いわき」が廃止された「57-11改正」で捻出され、1982年11月に51・74・76は急行「月山」「もがみ」冷房化の為山形に転じ、66は九州は直方へ転じ、69は状態不良か事故かは不明ですが早くも廃車されました。これらはいずれも徳島から転入した時点で通常の姿で冷房化されており、常磐無線アンテナ対応ではありませんでした。

 

これで国鉄時代の水戸区へのキハ58転入は最後になります。この後は1982年11月の「57-11改正」で急行「いわき」「あがの」運用廃止により冷房車が他区へ転じ、「60-3改正」で急行「ときわ」「奥久慈」廃止後は水郡線の普通列車運用に本格的に投入されました。

 

文字ばかりになってしまったので写真を交えます。といっても元水戸配置のキハ58はあまり撮影できていませんが…

 

↑キハ58 66です。1978年の紀勢本線電化で和歌山から水戸に転じ、1982年11月の急行「いわき」廃止で直方に転じました。若番でかつ特異な経歴の車ですが、九州では長生きし2002年まで在籍しました。ご覧の通りクーラー配置は通常のタイプで、常磐無線対応ではありませんでした。

 

↑キハ58 562(上)と578(下)です。写真ではクーラー配置は分かりませんが、これらは常磐無線対応のクーラー配置になっていました。水戸生え抜き車は同アンテナを取り付けていました。

 

1966年の常磐無線アンテナ使用開始以降、水戸配置で同アンテナを取り付けていたのは、キハ58 28・562・578・579・1038・1039の6両のみであると考えられます。その後水戸には他区からキハ58の転入が相次ぎ、延べ26両になっていましたが、後に追設された車は無かったと考えられます。2エンジンのキハ58は主に磐越東線・磐越西線の急行「いわき」「あがの」の運用で使用されており、「ときわ」「奥久慈」の編成でも基本的に中間に入るため、キハ58の同アンテナを付けていなくても支障は無かったものと思われます。但し増結減車など組成の場合は注意が必要であったことでしょうね。

 

 

さて、これで2エンジンキハ58の常磐無線アンテナ取付け車についての考察は終わりかと思いきや、実はまだまだ奥の深い事実が隠されています。文章が長くなってきましたので、続きは次回にしたいと思います。

 

今回も最後までご覧いただきありがとうございました。それでは次回もお楽しみに!!

 

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にもキハ58系各車の解説がありますのでご覧になってください。