EF210 と EF510
久しぶりの電気機関車の記事です。
以前はよくUPしていましたが、西日本豪雨以降はEF66の運行が無くなり、2年前のダイヤ改正でEF200が引退して。
あまり撮らなくなってしまいました。
冒頭からの3枚は、広島駅を通過して行くEF210-311号機。
上りの貨物列車を牽引しての登場で、これから広島貨物ターミナルへ到着するところです。
撮影は昨年の10月ですが、コロナ禍の影響で経済が滞っている顕れなのか、積荷が極端に少ない列車でした。
続いての1枚は五日市駅を通過して行く115号機です。
機関車の後ろはスカスカ状態ですが、全体的には半分ぐらいコンテナは載っていて、EF210は下関まで牽引して行き、そこからはEF81かEH500にバトンタッチします。
その下の2枚と下の2枚は、岡山駅にて昨年12月のEF210です。
上り貨物列車を牽引する新塗装の11号機で、PC柱の間からムリヤリ撮った下り列車は、旧塗装の102号機。
そしてこの1枚は京都鉄道博物館での1コマで、恐らく140号機だと思われます(笑)
シャッター速度を落としているのを忘れていて、トロッコ嵯峨野と合わせて撮ろうとしていたら、後ろを223系が通過して行きました。
1月に梅小路公園で8620形の無限列車を待っていたら、突然現れたEF510です。
山陰本線の下り勾配が、機関車の下半分を邪魔してしまっていますが、広島在住の私にとっては貴重な出会いなので、何はともあれ撮りました(笑)
こうして見ると、EF510って車体長がかなり長いものですね。
この4枚の1枚目は、3月2日に高須駅の高須側で下り銀河を待っている時にやって来た、18号機。
続いての3枚は同じく下り銀河とetSETOraを待っていて、先行で現れた16号機です。
城西側での写真ですが、草津南駅側の西国街道からの撮影で、私個人的にはこのガードを境に写真右側を城西側、左側の西国街道からは草津南、山手からを草津梅町と使い分けて呼んでいます。
まぁ、江戸時代までは草津梅町は存在しませんでしたが、草津南と城西は実際に通称ではありますが、そう呼ばれていたらしいので、それに倣って便利に使わせてもらっています(笑)
さてここからの6枚は、広島草津八幡宮の境内から、桜を入れてM字カーブを草津城の切り通しを抜けて、城西側へ走り去る下り列車を撮りました。
142号機です。
142号機もこの機関車も27日の撮影で、次は少し流してみました。
136号機ですが、遠距離の流し撮りはカメラが変わってからまだ、上手く撮れないようです(困)
この頃は天気が好いと家の中でも暖かかったのですが、この翌日の雨からは天気が好くても家の中では暖房が欲しくなる今日この頃です。
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そして1987(昭和62)年4月1日に国鉄分割民営化により東京~塩尻間はJR東日本が、名古屋~塩尻間はJR東海がそれぞれ承継し、現在に至ります。
国鉄時代までは新宿~名古屋間の中央本線と、東京~新宿間や青梅線・五日市線などの支線を指す総称として中央線の名称が使用されていました。
現在は国鉄分割民営化の際に策定された基本計画において路線の名称が中央線と定められ、それまで中央本線と呼ばれていた路線に対しても、公文書を中心に中央線の名称に統一されるようになりました。
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ゑ |