皆様こんばんは。ブログおよびホームページ管理人の神@北見です。

 

今回は久し振りにキハ58系パーツ毎のネタになります。それまでは非常に地味なアイテムを選んでいましたが、今回は比較的メジャーな「常磐無線アンテナ」になります。

 

常磐無線アンテナは昭和37年に発生した常磐線三河島駅における重大な脱線衝突事故を機に整備され、常磐線では昭和41年3月より上野~取手間で無線の使用が開始されました。

 

当時同区間を走行する車両には例外なく同無線の取り付けが行われ、屋根上にはアンテナが付きました。電車では特急型の485系・583系から急行用の451系、近郊型の401・403・415系、通勤用の103系・203系・旧型国電にまで取り付けられました。機関車では同区間を走行するEF80・81のほか我孫子から成田線に入る運用に入る佐倉区のDD51やDE10にも取り付けられていました。気動車では「いなほ」の間合いで使用される「ひたち」に使用されたキハ81系のほか、急行「ときわ・奥久慈」で使用されたキハ58系の他、キニ55・56などの荷物気動車にも取り付けられました。

 

このため松戸区・勝田区・仙台区の電車の他、田端・水戸・内郷の電気機関車、田端・佐倉区のディーゼル機関車、水戸区の気動車などに「常磐無線アンテナ」が取り付けられました。

 

この中で非常に興味深いのが水戸区のキハ58系で、当時水戸区のキハ58系の運用は主に上野発着の「ときわ」「奥久慈」に運用されるものと、水戸以北に行く「いわき」等で活躍するものに分かれており、水戸以北で使用される運用に就く車両に対しては同無線アンテナを取り付ける必要がありませんでした。そのため特に運転台の数が多いキハ58系では取り付け対象車が絞られ、水戸区内でも同アンテナの取り付け車と未取り付け車が混在する事態になりました。このため水戸以南に行く急行編成では、先頭に立つ車は常磐無線アンテナ取付車が指定されていたものの、中間に入る車ではこの限定が解除されていました。

 

電車は基本的に編成単位で動くため全先頭車に取り付けられるのが原則であり、また機関車は1両単位で使用されますのでこれまた全車必須です。その中でキハ58系はグリーン車以外は先頭車で1両単位で運用が可能なものの、上野へ乗り入れる列車の編成は長いため、全車に取り付ることが必須では無かったというのは非常に事態をややこしくしています。。。 さすが複雑怪奇なキハ58系とでも言いましょうか…。

 

↑キハ28 2382は元常磐無線アンテナ取付車で、前4つ分クーラー配置が不均等な他、アンテナを撤去した名残が何となく残っています。

 

私は1996年頃から本格的にキハ58系の撮り潰しを行っているので、国鉄時代末期には全国統一の列車無線に代わり廃止された常磐無線アンテナは写真撮影など叶いませんでした。

 

しかし、キハ58系では非冷房車の時代にアンテナが取り付けられたものの後の冷房化の際に、冷房装置の間隔が同アンテナを避ける形で不規則になったのはあまりに有名な話で、アンテナが無くなった後もクーラーの配置が不均等で同アンテナ取り付け車の歴史を残していました。

 

 

↑キハ28 2446 これも元常磐無線アンテナ取付車でクーラーの配置が歪です。

 

 

では、キハ58系で同アンテナを取り付けた車が何両いたか?については実ははっきりした資料が無く、また前述の通り水戸にいたキハ58系の全車に取り付けられていた訳ではないので、非常にこれを追求するのは困難ですが、集まった写真や配置の履歴からある程度推測することは出来るでしょう。

 

キハ28

 

16・17…この2両は1965年より長期に渡って水戸に配置されていたため、常磐無線アンテナが取り付けられていた可能性が高い車です。しかし両車とも1978年10月改正で九州へ転じており、九州転属後の写真では同アンテナは見当たりません。九州転属に伴って撤去されたのか、それとも水戸時代から付いていないのかは不明のままです。また16は九州転属後キハ58系の冷房化ではかなり遅い1979年に施工されましたが、九州では同アンテナは使用されないため通常のクーラー配置のまま冷房化されたものと思われます。

 

24…1965年より水戸在籍で、1970年頃には4VKを搭載しない冷房化が施工されています。同車は冷房化後、常磐無線アンテナを取り付けられている姿が記録されています。

 

38・52・54…1975年3月に総武電化で千葉から転入した4VKを搭載しない冷房車です。アンテナ取り付け前に冷房化されており、アンテナを取り付けられないまま水戸で一生を終えています。

 

64…1964年から水戸に在籍しており、1980年10月に非冷房のまま豊岡に転じています。豊岡転属後の姿が記録されていますが屋根上に常磐無線アンテナの台座が残っており、同無線取付車であったことが分かります。

 

82・83…1964年から水戸に在籍しており、82は1980年10月に非冷房のまま長野に転じていますが常磐無線アンテナの台座が残っています。83は1970年に水戸で4VKを搭載しない冷房化が行われており、常磐無線アンテナ対応の不均等なクーラー配置になっていました。

 

103…2103は冷房化率向上のため1980年10月に和歌山から転入しましたが奥久慈以外の水戸以北の急行が1982年11月改正で廃止されたため1982年で山形に転じており、常磐無線アンテナ対応ではありませんでした。

 

122・123・124…水戸生え抜き車です。122・123は非冷房のままで、123は1979年に事故で早々に廃車になりましたが、122は同アンテナを取り付けていたので123も取り付けていたものと思われます。124は1980年に滑り込みで冷房化されており、常磐無線アンテナ対応の不均等なクーラー配置でした。なおこの車はJR化後も同アンテナ台座を残しており貴重な存在でした。

 

138・139…水戸生まれで1974年には冷房化され2138・2139になりましたが常磐無線アンテナ対応でした。

 

168…1965年に水戸に転入し、キハ58系では晩年の1978年に冷房化され2168になりました。もちろん常磐無線アンテナ対応でした。

 

172…2172は冷房化率向上のため1980年10月に和歌山から転入しましたが、急行が減車された1984年3月で秋田に転じており、常磐無線アンテナ対応ではありませんでした。

 

182…1973年に水戸に転入し、1978年には九州へ転出した非冷房車です。九州時代の写真では常磐無線アンテナや台座は確認できず、水戸時代に同アンテナを付けていたかどうかは不明です。

 

190・191…1965年に水戸に転入した車です。これらは国鉄末期まで非冷房のまま水戸に在籍しており常磐無線アンテナを取り付けていました。

 

318…2318は冷房化率向上のため1980年10月に和歌山から転入し、他の和歌山転入組は早々に山形秋田に転出したのに対し当車はJR化後も水戸地区に残留し、真岡線転換で山形に転じました。常磐無線アンテナ対応ではありませんでした。

 

370~372、378~384、391~393・405・446…水戸生え抜きの車で全車常磐無線アンテナを取り付けていました。このうち378と405は非冷房のまま、370は冷房車ながら4VKを取り付けないままでした。446は水戸のキハ28で唯一の通風器8個車なのでアンテナ取付位置が通常の車より前でした。

 

 

整理しますと、

 

16:○? 17:○? 24:○ 38:× 52:× 54:× 64:○ 82:○ 83:○ 103:× 122:○ 123:○? 2124:○ 2138:○ 2139:○ 2168:○ 2172:× 182:×? 190:○ 191:○ 2318:× 370:○ 2371:○ 2372:○ 378:○ 2379:○ 2380:○ 2381:○ 2382:○ 2383:○ 2384:○ 2391:○ 2392:○ 2393:○ 405:○ 2446:○

 

で、付いていた(可能性が高い)のは29両になります。キハ28については1960年代末期までに水戸にいた車は基本的に全車付いていたように思われます。

 

しかし水戸配置車でも1975年に千葉より転入した38・52・54は同アンテナ無しでしたし、1980年に和歌山から転じた2103・2172・2318もアンテナなしでした。そのため現場では組成時に注意が必要で運用上苦労が多かった事でしょう。

 

 

さて記事も長くなってきましたので、常磐無線アンテナ取り付け車のうち、キハ28の解説はこれで終わりにしたいと思います。次はキハ58になりますがこれは次回ご紹介したいと思います。

 

 

今回も最後までご覧いただきありがとうございました。それでは次回もお楽しみに!!

 

是非私のホームページ

 

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にもキハ58系各車の解説がありますのでご覧になってください。