再来週の月曜日 (4月19日) 、海老名に 「ロマンスカーミュージアム」 のオープンが予定されてる小田急。SE、NSE、LSE、HiSE、そしてRSEと、歴代のロマンスカーが保存展示される他、小田急開業時の車両であるモハ1形も展示される事が決まっています。私もこれはちょっとそそられるなということで、コロナが落ち着いたら行ってみようかなと思っているところですが、世が世であれば、もしかしたらこの車両も保存展示の対象になったかもしれません。

 

 

小田急で運行していた向ヶ丘遊園モノレール。

当時、川崎市にあった向ヶ丘遊園の利用客を輸送する目的で敷設されたモノレールで、2001年まで運行されていました。

この向ヶ丘遊園モノレールは、 「ロッキード方式」 という、世界レベルでも実用例があまりない稀少なモノレールで、世界で初めて実用化したのがこの向ヶ丘遊園モノレールでした。

 

以前、姫路市営モノレールを取り上げた際にちょっと説明しましたが、お復習いすると、 「ロッキード方式」 とは、その名が示すように、アメリカの航空機メーカーが開発した跨座式モノレールの建設方式で、軌道の上にさらに鉄製のレールを敷くというもの。車両には鉄輪が備わっており、普通の鉄道と同じように線路の上を走るような、そんな感覚です。車輪を使うため、小径の車輪でも車両の重量を負担する事が出来る他、車両の床も平面にするメリットがあります。

跨座式モノレールには他に、軌道桁を太くして鉄輪ではなくゴムタイヤを車輪にするアルヴェーグ式がありまして、代表的な実用例に東京モノレールや名鉄犬山モノレール (2008年廃止) があります。それを発展させたのが日本独自の 「日本跨座式」 と呼ばれる方式で、多摩都市モノレールや大阪モノレール、北九州、沖縄ゆいレールなどは全てこの方式になっています。

 

ロッキード式も日本で現地法人 (日本ロッキード・モノレール) を立ち上げ、 「時速160キロで走行が可能」 だとか、 「乗り心地が頗る良い」 とかの謳い文句で売り出しに奔走していましたが、鉄路ですから騒音に問題があったり、メンテナンスも煩雑だったり、経年劣化によって揺れが激しくなるなど、デメリットばかりが目立ち、実際の採用は日本の2路線だけに終わってしまいました。結局、ロッキードのモノレール開発は早々に撤退し、1970年には日本現地法人も解散し、採用例の1つである姫路市営モノレールは1974年に運行を休止しました (正式廃止は1979年) 。

 

姫路市営モノレールの廃止後、小田急のモノレールは世界で唯一のロッキード方式を用いる路線として一部のコアな趣味人の注目を集めますが、元々、向ヶ丘遊園への輸送は小型の蓄電池機関車が客車を牽引する列車が請け負っており、 「豆汽車」 と呼ばれてたそうです。その豆汽車が1965年に廃止されて、その代替路線でモノレールが建設されたわけですが、1966年の事でした。

小田急の向ヶ丘遊園駅から向ヶ丘遊園の正門前までの1kmちょっとのミニ路線でしたが、遊園地の利用客だけでなく、通勤客にも利用されたとの事です。遊園地でウルトラマンショーが開催される時には、車両の前面に巨大なウルトラマンのマスクを被せるなどして話題を振りまきました。年間の輸送人員だけで言えば、ピークは1986年になりますが (年間の輸送人員は80万人余り) 、その後は減少の一途を辿るだけ。統計が示されていない年度もありますので、一概には言えませんが、1kmちょっとだったら歩いちゃえという人も多かったのかもしれません。

 

日本ロッキード・モノレール社の解散後もメンテは行われていましたし、必要な修繕部品は自社で製作していたりしていましたが、2000年に行われた定期点検の際、台車に致命的な亀裂が生じている事が判明し、運行休止を期限付きから無期限に変更されました。 「タラレバ」 の話になってしまいますが、これが普及しているアルヴェーグ方式 (日本跨座式) であれば、メンテは容易で、修繕後、運行再開の目処は立ったのかもしれません。しかし、ロッキード方式という特異性から、莫大な費用がかかる点と、向ヶ丘遊園自体の入場者数も減少傾向にあったため、コストを度外視して修繕する必要性を感じなくなった小田急は、モノレールの運行再開を断念し、2001年2月に正式に廃止としました。向ヶ丘遊園も2002年に閉園しています。モノレールの跡地は遊歩道が整備され、要所要所に 「ここにモノレールがあったんだぜ」 という看板が設置されているそうです。向ヶ丘遊園の跡地にはそのものではないけど、藤子・F・不二雄ミュージアムが建設されました。

 

画像の風変わりな車両は、向ヶ丘遊園モノレール一代限りの500形です。

モノレール開業前の1965年製とされていますが、実際はロッキード式モノレールの試験用車両として1962年に製造されたのを営業用として活用したものというのが史実のようです。川崎重工グループの川崎航空機製で、デザイン自体は工業デザイナーが手がけています。

制御装置はアメリカ製で、主電動機は国産 (三菱製) 、駆動方式は直角カルダン駆動で、台車は川崎製のエアサス台車を履いています。1970年には運輸省が定める鉄道車両の防火基準に (A-A基準) 対応させるため、不燃化工事が実施されています。

デハ501-デハ502の2両編成で、これ以降の増備車はありません。

 

この500形は解体されてしまっているため現存はしませんが、小田急の歴史を知る意味でも1両くらいは保存しても良かったのではないかと小田急ファンは悔やんでいることでしょう。ただ、モノレール線の前身である 「豆汽車」 の蓄電池機関車は残存しているらしいです。それが真実なら、モノレールの代わりにその機関車をロマンスカーミュージアムで展示しませんかねぇ~?

 

【画像提供】

ウ様

【参考文献・引用】

ウィキペディア (小田急向ヶ丘遊園モノレール線、小田急向ヶ丘遊園モノレール500形、ロッキード・モノレールなど)