少し旧聞となってしまいましたが、2019年夏の集中豪雨により、橋梁が流されてしまった上田電鉄の千曲川橋梁が復旧し今年3月29日に運行を再開しました。
運行再開から遡ること半年前、長野県上田市では地域の足を守るべく、鉄道会社だけでなく地域ぐるみで鉄道を護るべく一所懸命に活躍する姿がありました。
もと東急1000型と並ぶもと東急デハ5202
城下
2020年8月2日
なんと❗️暫定始発駅の城下駅には東急5200型がいまにも走り出そうとしているではありませんか。前情報ナシでの対面にびっくりしました。
東急電鉄デハ5202→上田交通クハ5251
城下
2020年8月2日
この車輌は、1958年に東急車輛製造で製造され東急電鉄に納入された日本初のセミステンレス車。基本性能は1954年に登場した初代東急5000系と同一であるが、車体については骨格は普通鋼を用いて外板をリブ付ステンレス鋼を用いている。セミステンレス車体を用いた狙いは、軽量化等の性能的なものではなく、無塗装によるメンテナンスフリー化と腐食しないため部材を薄くできることであった。結果としては重量はデハ5200(制御電動車)は29.5t、デハ5210(中間電動車)は29.0t、サハ5250形(中間付随車)は21.0tに留まり、超軽量車の5000系のデハ5000(制御電動車)の26.6t、デハ5100(中間電動車)は27.0t、サハ5050形(中間付随車)は20.0tにクハ5150形(制御付随車) は20.0tよりむしろ重くなっている。
東急電鉄5000系(写真は岳南鉄道5000系)
岳南富士岡
東急電鉄大井町線で活躍する
デハ5201ほか
大井町線緑ヶ丘
1985年2月
(Wikipediaより)
1979年3月、中間に5000系の電動中間車:デハ5117号を挟み5輌編成となり、ステンレス車の中に緑色の鋼製車輌が組み込まれたイレギュラーな編成となった。1979年8月の田園都市線・新玉川線の直通化により大井町線が誕生した際、一時的に東横線に復帰して、デハ5201+サハ5251+デハ5211+デハ5202の桜木町側にに5000系2連(デハ5054+デハ5050)を併結した6連で運用されたこともあった。
翌1980年、東横線5000系運用終了と同時に大井町線に復帰した。その際には再び5000系の電動中間車:デハ5117号を組み込み5輌編成のイレギュラーな編成に戻っている。1985年6月には大井町線の5000系運用終了に伴い5200系も目蒲線に転属し、サハ5251を抜いたデハ5201+デハ5211+デハ5202の全電動車3輌編成で運用されたが1986年5月に5000系全車廃止とともに運用終了となった。
東急電鉄廃車後は上田交通(現・上田電鉄)の架線昇圧に伴って東急電鉄5000系とともにモハ5201とデハ5202(電装解除されてクハ5251となる)の編成となったが、1993年、東急電鉄7200系への一斉置き換えに伴い営業運転を終了した。
クハ5251
2006年2月5日
廃車後は、先頭車クハ5251号と中間車2両(最初にデハ5211が、後釜にサハ5202→サハ5251)が上田交通下之郷電車庫で倉庫として使用されていたが、のちに中間車は解体され、先頭車のみが倉庫として使用・静態保存されていた。