さて、自動車専用道路早雲山線への乗り入れ問題で敗訴となった小田急は、代替えの輸送手段としてロープウェイの建設を決定する。
道路が駄目なら空からと言う訳で、「空中作戦」であった。
1931年、箱根登山鉄道はこのロープウェイの構想を立てていた。
しかし、戦時中の事でもあり「レジャー施設等モッテノホカ」と言う訳で計画も進まなかったのである。
これに目を付けた五島は安藤に提案する。
道路を締め出された安藤は元々そのつもりでいたので、その策を採用するのである。
小田急は、早雲山から湖尻桃源台までを結ぶロープウェイの建設計画を立てる。
しかし・・・ロープウェイのルート上には伊豆箱根鉄道の専用自動車道があった。
建設には伊豆箱根鉄道の承諾が必要である。
こんな話は道路側の西武が承諾するとは思えなかった。
これが五島の狙っていた事である。
西武側が許可を出すとは考えられないので、又その件で火種が大きくなる。
これで小田急と共にもっと西武側を締付ける事が堂々と出来るのである。
更に、道路を独占しているので戦後に出来た「独占禁止法」にのっとり、訴訟を大々的に起こし、世間に訴える事も可能なのであった。
小田急は西武側にこの許諾を伺った。
この人を食った様な小田急の申し出を受けた西武側は激怒した。
当然ながら伊豆箱根鉄道と西武鉄道の社員達は反対するであろうと思っていたが、康次郎は、
「大乗的見地から土地使用料は無料で承認する」
と、ロープウェイの上空通過を認めたのである。
「え?」と社員達は訝しげに思った。
しかし、康次郎は先が観える男なのである。
実際、元箱根や強羅地区の住民からは、
「湖畔線と早雲山線を一刻も早く買収を」
という意見が出る一方、県議会でもこの専用道路は問題となっていた。
早かれ遅かれ、西武の専用道路は買収されると観ていたのである。
ならば、ここで更に争い事を大きくして揉める必要も無い。
又、相手に貸を作る事も出来るのである。
この案に大賛成したのは息子の清二であった。
清二も、将来西武百貨店の渋谷進出を考慮し、争いの火種となりかねない有料道路を神奈川県に委譲する事に依って、東急側に貸しを作っておこうと考えていた。
この承諾に小田急は気味が悪くなったが、兎に角認可されたと言う事でロープウェイは急ピッチで工事が進められたのである。
この記事は2015-02-10
yahooブログにて掲載していました。