奈良ホテルに行ってきました。 | よしひろ よしちゃん 鉄道写真館

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みなさんこんにちは!よしひろよしちゃんです。 大ターミナルの駅舎内などには必ずと言っていいほどホテルがあると思います。


東京駅なら一度は泊まりたい憧れの東京ステーションホテル。大阪駅.京都駅はホテルグランヴィアなどがあります。こういったステーションホテルは現在も鉄道会社または鉄道会社の子会社が経営していることが大半です。


鉄道会社が経営する日本初のホテルは1902年山陽鉄道(現在のJR山陽本線)旧下関駅舎に隣接した山陽ホテルです。当時は関門トンネルはなく東京・大阪方面から来る列車の終点は下関駅でした。また鉄道連絡船の関門航路(下関〜門司)ほか関釜航路(下関〜韓国・京釜鉄道 京城(現在のソウル)2航路も開設され国内はもちろん海外との行き来に重要な場所ですごく高級ホテルだったのだと思います。


1922年に山陽ホテル初代の建物は焼失して1924年に2代目が建築されるものの下関駅が現在の場所に移転したこと。敗戦により関釜航路が廃止になったことで1942年にホテルは営業を停止。その後は国鉄のビルとして使われましたが老朽化や耐震不足を理由に2011年解体されてしまい現在、山陽ホテルがあった場所はJR西日本が所有する駐車場になっています。2代目山陽ホテルの建物の一部(外壁の一部など)が山陽ホテル跡地には石碑となりその他資料などが京都鉄道博物館にて保存されています。

残念ながらあまり当時の面影はありません。


ですが、ここからが本題です。

山陽ホテルと同時期の1909(山陽ホテル創業から7年後)に創業した鉄道会社が経営するホテルが創業当初に近い姿で残されているほか、現在も現役の高級ホテルで関西の迎賓館とも呼ばれるくらい有名です。



奈良ホテル 本館

創業からある本館は木造2階建て瓦葺き建築です。おそらくですが鉄道会社が経営するホテルで一番古いものかと思います。1968年に万博開催のため改修工事がされた際に新館が完成します。現在、本館と新館合わせて127室ツイン・ダブルの洋室があるほか、少しだけ和室があります。


日露戦争に勝利し日本には来訪する外国人観光客が急増しました。日本政府から外国人宿泊施設整備を支援する政策がとられこの時に関東では大倉喜八郎(帝国ホテル創始者)関西では西村仁兵衛(都ホテル創始者)などが動きました。奈良市もホテル誘致をしており、また当時奈良県を代表する私設鉄道(私鉄)である関西鉄道も加わりホテル建設に向け覚書を交わします。ところが1906年に鉄道国有法が公布され際に関西鉄道も対象になり三者の覚書の実行は難しくなってしまいました。奈良市は意欲が薄れ代わりに奈良県が関わることになり東大寺南大門前参道東側の土地を提示しますが、西村氏は拒否し現在の場所である旧乗院門跡の御殿山(高畑町飛鳥山)は眺望に恵まれていることから用地を購入します。


そして翌年の19076月に西村氏は都ホテル.有馬ホテル.奈良ホテルなど4社を統合して大日本ホテル株式会社を設立します。しかし資金面などを理由に奈良ホテルには手つかずで建設などはじまりませんでした。同年10月に関西鉄道は国有化されるのですが、ここからが面白いところ。国有化の4日前に奈良ホテルを関西鉄道が大日本ホテル株式会社から購入したのです。そして国有化され奈良ホテルは鉄道院の持ち物に。建設は鉄道院が行うこととなり建設予算が大幅に増え普通の宿泊施設でなく高級ホテルになったのでしょう。

奈良国立博物館

奈良ホテル建設の15年前に帝国博物館(現在の奈良国立博物館)が建設された際に洋風の建物は奈良の景観によくないなどの意見から県議会で建物新築では古建築との調和を考えるべきと決議され奈良ホテルは和洋折衷建築が採用されたそうです。


1909年に奈良ホテルは営業を開始しました。当初の部屋数は52室だったそう。初期の利用客は1日に僅か45人で従業員は5060人程いて、どう考えても赤字です。西村氏は鉄道院から補助金を申請しますが、受け入れられず代わって鉄道院が経営することになりました。


この頃、日本は第一次世界大戦.満州事変.第二次世界大戦で敗戦して大変な時代を迎えていましたが、国営施設なので利潤に追われなかったそうです。宿泊客は高等官以上か資本金一定額以上の会社の重役の原則が厳格に守られ賓客を迎える度に改装していたホテルでしたが1944年に金属類非常回収のためホテル金属類供出され1945年には米軍による奈良ホテル接収が決まり鉄道院から鉄道省に終戦直前の1945年には運輸省に変遷となりました。同年12月に奈良ホテルを財団法人日本交通公社に貸し付けて営業も委ねることにこうした中、奈良ホテルは米軍に接収され1951年に日本は戦争状態終結のため対日講和条約を締結。条約発効後1952年に奈良ホテルは接収解除が認められ翌年の1953年に営業開始します。しかし外国人客は減少、また日本人客の生活水準が低く期待できず厳しい状態が続き日本交通公社は1954年に1949年に発足した日本国有鉄道(国鉄)に返還を求めますが、運輸省から分離した公共企業体で当時、鉄道事業と鉄道事業に関連する(鉄道連絡船や鉄道代行バスなど)以外のホテル事業などを行うことは禁じられ直営にできませんでした。


そこで食堂車や奈良ホテル創業とも関わりのある株式会社都ホテルが営業を引き受けると申し出があり引き継がれます。1955年には高度成長の時代となり日本人客が増えまた1964年の東京オリンピックや1970年の日本万国博覧会(大阪万博)などで外国人客も増えていきます。


昭和時代後期には国鉄の他事業進出が少しずつ緩和されホテル事業への進出も少しずつ始まりました。そこで奈良ホテルも国鉄直営という話になります。都ホテルと話し合い結果、国鉄と都ホテルの共同出資の会社にすることが決まりました。その会社が1983年から現在まで続く株式会社奈良ホテルです。ここからも様々なエピソードがありますが当ブログは鉄道専門のため割愛します。皆さんご存知の通り1987年に日本国有鉄道(国鉄)は分割民営化されます。つまり奈良ホテルも現在、JR西日本に引き継がれたのでした。ここから現在に至る形となります。


長い説明でした。早速、奈良ホテル本館の中を見ていきましょう。

奈良ホテル本館エントランス

入るとカウンターがあり少し進むと大階段と左右は廊下となっています。

現在、一部の場所は見学のみでも大丈夫でスタッフの方にお願いすれば案内パンフレットをいただけます。

左右の廊下や大階段を登るとたくさんの美術品やホテルに関する資料が展示されています。

ホテル資料展示

奈良ホテルをはじめ先程紹介した山陽ホテルのマッチなども展示されています。展示品を見ているだけでもあっという間に時間が過ぎていきます。もっと見たかったのですが見切れないくらい展示物があるのでまたいつか泊まりに来たときの楽しみに置いておこうと思います。


1階には客室・ロビー・ダイニングルーム・宴会場やホテルショップがありました。


ロビーやダイニングルーム、ホテルショップなどは宿泊しなくても利用できます。


桜の間 ロビー

落ち着く空間でした。

ここにはアインシュタイン博士が滞在した際に弾かれたピアノが展示されています。脚部に鉄道省の動輪マークがあるのも見どころです。

★1階廊下

高級感あふれる廊下を進みます。

ホテルショップには奈良ホテルのグッズ、カレーの缶詰やホテルの歴史を書いたガイドブックなどが販売されています。


それでは大階段で2階へ上がりましょう。

奈良ホテル 銅羅

階段の途中にはこんな物が展示されていました。銅羅です。宿泊客にの食事時間の合図に使用していたほか戦時中には空襲警報の際にも使われたそうです。貴重なものが展示されていますね。


奈良ホテル本館 2

階段の音がこれまた独特です。2階にも美術品が展示されています。

奈良ホテル本館2階 廊下

2階は全て客室になっています。宿泊者以外はこれ以降は入れません。

奈良ホテル本館1階エントランス

2階から1階のエントランスが見えます。2階の手すり私の膝ぐらいの高さです。間違って落ちないように気をつけなければです。

スチーム暖房

大正時代から使われているスチーム暖房が所々に置いてあります。現在は稼働しておらずオブジェになっているそう


他にもいろいろな場所が見学できます。奈良ホテル新館は先程も記載した通り大阪万博の際に建築したもので紹介するまでではないので割愛させていただきます。

名勝 旧大乗院庭園

1087年に創建され、平安時代から江戸時代に栄えた門跡寺院のひとつでその敷地内の一部が奈良ホテルとなっているのです。開館時間9時~17時で入園料は大人200円、小、中学生が100円、休館日は毎週月曜です。奈良ホテルと合わせて行くといいかもしれません。


奈良ホテルの近くには

東大寺の大仏

東大寺(奈良公園)や春日大社、奈良国立博物館、奈良公園バスターミナルなど有名な観光地がたくさんありとても便利な立地なのですがJR奈良駅から徒歩25分。近鉄奈良駅から徒歩15分と交通アクセスは少し不便で最初に記載した山陽ホテルや東京駅舎内にある東京ステーションホテルと違い鉄道会社が経営するホテルですがステーションホテル(駅隣接ホテル)ではありませんでした。


奈良ホテルから徒歩約25JR奈良駅に到着です。

奈良駅2代目駅舎(現奈良市総合観光案内所)

奈良駅は大阪鉄道、王寺駅〜奈良駅間の開通時に開業して2代目駅舎は1934年に誕生。周囲の景観に考慮して和洋折衷様式(寺院風駅舎)となりました。

奈良駅2代目駅舎(現奈良市総合観光案内所)内

2003年まで使われ現在は現奈良市総合観光案内所で奈良駅は3代目駅舎となっています。

★JR奈良駅 ホーム

JR奈良線の列車が京都駅からやってくるが、奈良線は木津駅(京都府)〜京都駅(京都府)で奈良駅〜木津駅間は関西本線(大和路線)に乗り入れる形になっているため奈良線は奈良県を走らない不思議な路線であります。


奈良ホテルに行ってきました。は以上になります。いかがだったでしょうか?

いろいろな困難があったホテルでした。。今の壁は新型コロナウイルスでしょう。奈良ホテルは今までたくさんの壁を乗り越えてきたのです。コロナという壁も必ず乗り越えてくれるでしょう。また楽しい日常が取り戻せますように!


ご覧いただきありがとうございました。

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