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これまで、何度となく「幸運」を手にした鉄道車両を紹介してまいりました。中でも、国鉄時代に製造されながら、分割民営化を目前にした1986年頃に「余剰車」という扱いを受けて廃車になり、新会社に継承されることなく国鉄清算事業団に所有権が移り、解体されて鉄屑になるのを待つように機能停止した操車場などに留置されたものの、様々な事情で新会社に買い戻されて「奇跡の復活」を遂げた車両たちです。
中でも国鉄時代には動力集中式の列車、いわゆる客車列車が旅客輸送の中心であったり、多数の貨物列車が運転されていた中では大量の機関車が必要でした。しかし、時代の流れと国鉄の財政赤字を少しでも軽減させるための合理化の一環として、動力分散式である電車や気動車の導入が進んだ結果、新会社は電車や気動車を中心とした列車を運行し、貨物輸送を継承する貨物会社もコンテナ列車を中心とした拠点間輸送の貨物列車を運行するため、国鉄時代には必要だった大量の機関車が不要となってしまったのです。
ところが、1987年の分割民営化直後、世の中の状況は大きく異なっていました。特に、後にバブル景気と呼ばれる好景気で貨物輸送量は増加し、物流の中心になっていたトラック輸送はドライバー不足に陥った結果、かつてはストの頻発により相次ぐ運休や定時制の悪さから鉄道を忌避した荷主たちは、再び貨物会社が継承した鉄道貨物を利用するようになったのです。
その結果、増加する輸送量に対応するために、貨物列車を可能な限り増発したのですが、コンテナ車は1両あたりの単価が安く、製作期間もそれほど長くはないので比較的容易に増備できますが、それを牽く機関車はそうはいきませんでした。そこで、1列車の牽引定数を大幅に増加させて輸送量を確保するために、1,600トン列車の構想を打ち立て、それを実現させるために出力6,000kWという前代未聞のハイパワー機関車の開発に着手していました。とはいえ、新型機の開発はそう簡単に右から左にできるものではないので、国鉄時代に開発して実績があり、貨物会社が継承して部品や検修技術を共用できるEF66とEF81を、リピードオーダーとして増備しました。
しかし、いくら開発費がかからず、すでに安定した性能を発揮している機種とはいえ、新品の製造となるとそれなりに高価になってしまいます。JR東日本のようにドル箱を抱えて資金が潤沢なら話は別ですが、なにしろ設立当時から、いえ、分割民営化前から赤字経営が予想され、「いずれはなくなる会社*1」ともいわれたJR貨物にそのような贅沢はできません。少ない資金で、より効果的な方法を選ばなければならなかったのです。
昭和39年度第一次債務で製造された一次者で、9号機と同じ時期に製造された11号機。132両も製造されたEF65 0番代の中でも「若番」で、写真は原型の姿でもある。後に車籍復活を果たした9号機とは異なり、11号機は1987年に清算事業団へ移管された後、解体されてしまった。(出典:<a href="https://commons.wikimedia.org/wiki/File:EF65_11_FC_yamazaki.jpg">Spaceaero2</a>, <a href="https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0">CC BY-SA 3.0</a>, ウィキメディア・コモンズ経由でウィキメディア・コモンズS2,© CC BY-SA 3.0, )
機関車は必要なのでほしい、けれど新車を買う資金がない。このジレンマに、貨物会社はあるものに目をつけたのでした。
それが、国鉄末期に「余剰車」の烙印を押され、廃車手続きが取られて車籍が奪われ、機能停止して「国鉄車両の墓場」と化した操車場で、解体されて鉄屑になるのを待つ日々を過ごしていた機関車でした。
中でも大量に継承し、汎用的に運用できるEF65は、貨物会社にとってうってつけの車両だったのです。廃車となったEF65を継承した清算事業団から、比較的状態がよく整備してすぐ使える16両が買い戻され、車籍を復活させて稲沢機関区に配置され、再び鉄路を走り出したのです。
16両の車籍復活組のEF65は、ほとんどが廃車前と変わらぬ姿で運用されたので、筆者も貨物会社に在籍した当時、あまり気にすることなく間近で目にしたものでした。鉄道を趣味にしていた同期から、「あれは車籍復活ガマだ」と言われなければ気づかないほど、ごく普通に走っていたのでした。
その幸運を手にした16両の中で、非常に目立つ存在だったのが9号機でした。
ファンからは注目される存在となった16両でしたが、この9号機はさらに幸運を手にしたのでした。
《次回へつづく》
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