NO.2457 由緒ある駅舎解体決定、日田彦山線彦山駅間利用記(前編、原田→田川後藤寺→添田編) | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 

 当ブログでもこれまでもご紹介しておりますように、JR日田彦山線は添田~夜明間が平成29年に発生しました「九州北部豪雨」によりまして大きな被害を受けまして、現在も運転見合わせとなっておりますし、その区間では代行バスも運行されております。

 

 しかし、この日田彦山線の寸断区間も鉄道としての復旧を地元自治体を中心に願ってもいましたが、残念ながらこの区間では「BRT(バス高速輸送システム)」に転換される事が明らかになりまして、令和2年に最も反対しておりました福岡県東峰村もこの「BRT」化に支持へと転換した事もありまして、この区間では正式に「BRT」化へと移る事にもなりました。

 

 その後は、上の画像の彦山駅~筑前岩屋駅~大行司駅~宝珠山駅の間が線路を活用する事になった事から、この区間を中心に線路の撤去工事が進行しておりますし、宝珠山~大鶴間に架かっておりました大肥川橋梁を、「令和2年7月豪雨」で久大線の豊後中村~野矢間にあります野上川橋梁が流出した事から再利用する措置が取られまして、その結果3月1日に全線再開へと至っております(NO.2453参照)。

 

 

 さて、上の画像は昨年6月訪問時の添田町の彦山駅でありますが、この彦山駅は次回ご紹介しますように現在線路の撤去が行われておりまして、BRT化への動きが見られております。さらに、この由緒ある駅舎も近く解体される事が訪問後に明らかになっておりまして、今後この駅舎の姿も見られなくなるようでもあります。

 

 

 そう言った事もありまして、その彦山駅へ解体が明らかになります一週間前の3月8日に代行バスを利用しまして訪問しておりましたが、この行程のスタートは画像の筑紫野市にあります原田駅でありました。今回と次回はその話題をご紹介しますが、前編の今回では原田駅から添田駅までの乗車の模様を皆様にご紹介してまいります。

 

 

 今回原田駅からスタートからもわかりますように、「原田線」を使いまして桂川・新飯塚・田川後藤寺各駅を乗り換えながら彦山駅へと足を運んでおりましたが、この筑豊線の原田~桂川間を称します「原田線」は、原田駅から桂川町の桂川駅間に3駅(筑前山家・筑前内野・上穂波)と駅が存在しておりますが、この区間は筑豊線でも元々運行本数が少ない区間でもありまして、筑豊線でも難関とされます冷水峠を越える事になります。この区間では、運行本数は平日8往復・土休日9往復と少なく、キハ40系気動車(キハ40形・キハ140形)1両編成が運行されるのみとなっております。

 

 また、これら途中3駅は全駅無人駅となっておりますので、「SUGOCA」と言ったICカードの利用が途中駅ではできなく、エリア内の駅で通しましてこれら3駅を通過して利用する時のみ利用する事ができます。それでも福岡近郊区間にあたりますので、そう言った事から「大回り」などでこの区間を通過された方もご覧の中にもいらっしゃるのではないかと思います。

 

 

 さて、今回原田→桂川間を利用しましたが、今回はキハ40 8062に乗車しまして移動しておりました。この「原田線」ではキハ40形・キハ140形各気動車が使用されておりまして、先述のように全て1両編成による運行でもあります。

 

 「原田線」は、番外でもご紹介しましたように、「駅ナンバリング」では緑となっておりまして、そう言った事もありまして方向幕も緑色に平成31年のダイヤ改正より改めております。改めましてその下の画像でもご紹介しますように、7・8番の行先が「原田線」に関します行先も記載されました行先表ですが、「原田線」や後述の後藤寺線・日田彦山線がカラーで表している事もわかるのではないでしょうか。

 

 (行先「桂 川」)

 

 (行先)

 

 

 原田駅を出ますと、すぐ右側、さらに進みますと左側からも住宅地の姿を見る事ができております。国鉄末期~JR初期の頃の原田駅周辺は何もないような場所でもありましたが、その後宅地化が急速に進んでおりまして、まさに福岡のベッドタウンとしての姿を見る事ができております。それでも、「原田線」も残念ながら駅の新設や増発とまでは至っておりませんので、もしも設けていたならば後述の筑前山家駅くらいまででも区間列車が運行されていたのかな?とも思う所でしょうか。

 

 

 しばらくしますと、西日本鉄道(西鉄)天神大牟田線とクロスします。西鉄天神大牟田線に関しましては、この先の筑紫駅周辺まで宅地化されておりますので、先述のように西鉄との共用駅がこの地に設けていたならば利用者増につながっていたのかな?とも思います。

 

 

 こうして、約6分で筑前山家駅にやってまいります。この周辺も家の姿は多くありますし、手前の国道386号線の周辺も宅地化されておりますので、先述のように途中に新駅を設けまして、この駅まで原田駅間で区間列車を運行していたならば良かったのではとも思うだけにもったいない所でもありましょうか・・・。

 

 (駅名標(駅板))

 

 所で、この筑前山家駅には、西鉄の旧福岡市内線で使用されておりました路面電車500形電車507号と西鉄バスの姿も見られます。ただ、507号はきれいに整備されているのに対しまして、西鉄バスの姿は錆が多く見られているのがもどかしい所ではあります。

 

 

 こうして、原田駅から30分足らずで終点の桂川駅に到着しました。今回は6624Dに乗車しましてやって来ておりましたが、この列車からはしばらく空きがありますので一旦直方車両センターへと回送されます。そのため、行先も「回送」に合わせまして、ある事もお分かりいただけます。

 

 (7番 桂川)

 

 (6番 回送)

 

 所で、この桂川駅では橋上駅化の工事が行われておりまして、以下画像の全体の姿からもお分かりいただけるのではないかと思います。また、階段と上り口も設けておりますので、より橋上駅である事が伺う事ができるのではないかと思います。

 

 (南口入口)

 

 このように桂川駅も動きが見られておりますが、駅横の売店に関しましては通常通りの営業を行っておりました。ここは画像のようにホームからも利用できるのがいいのかもしれません。

 

 

 そして、桂川駅から新飯塚駅までは画像右の813系電車で運行の直方行き電車(4628H)で移動します。それにしても、キハ40形気動車と813系電車との並びを見ましても、国鉄とJRの並びがしっかりしている事も伺わせておりました。

 

 

 桂川駅からわずか10分足らずで、飯塚市の新飯塚駅に到着、到着しますと今度は後藤寺線(1549D)に乗り換えまして、田川後藤寺駅へと向かいます。この行先を見ますと、紫色の行先となっている事もお分かりいただけますが、こちらも「駅ナンバリング」によるもので紫色の行先となっているものであります。

 

 (「田川後藤寺」行き行先)~色は紫色

 

 

 この後藤寺線は、元々は沿線の石炭・石灰石を運ぶための貨物線として敷かれたものでありましたが、昭和18年に旧九州鉄道、旧産業セメント鉄道として敷かれた区間を統合して後藤寺線となったものであります。このうち、筑前庄内~船尾間にあります画像の船尾鉱山・関の山鉱山の区間は旧産業セメント鉄道が敷設したものでしたが、現在は画像からもわかりますようにトラック輸送に転換されておりますので、鉄道がかかわるのはこの区間を抜ける区間のみとなっております。

 

 

 それにしても、これまでも利用しているからわかりますが、この車窓の姿を見ましても圧巻さを感じさせられます。けれども、かつては貨物駅も設けられていたなど今以上に賑わいの姿もあった事を思いますと、それだけ大きな所もあったのかなと思ってならない所ではあります。

 

 (関の山鉱山)

 

 (船尾駅に隣接した所にある、麻生セメント田川工場)

 

 

 こうして、約20分で田川後藤寺駅に到着しました。この田川後藤寺駅も、後藤寺線や日田彦山線、そして平成筑豊鉄道に転換されました糸田線もありますので、より広い事を感じさせられます。

 

 (駅名標(駅板))

 

 田川後藤寺駅に到着しますと、行先を回しまして、再び「新飯塚」の行先になります。上の画像からもわかりますように、11番・12番とありますので、1コマしか回す事がない事もわかります。

 

 

 この田川後藤寺駅は、0番ホームから4番ホームまでが設けられておりまして、画像の小倉・直方方からわかりますが、左から、後藤寺線(0番ホーム)・日田彦山線(1番ホーム)・平成筑豊鉄道糸田線(2番ホーム)・日田彦山線(3番・4番ホーム)と、日田彦山線の間に平成筑豊鉄道の線路が入っている事がお分かりいただけます。

 

 (後藤寺線ホーム、0番ホーム)

 

 (2番ホーム、金田方面直方行き、平成筑豊鉄道400形気動車408号)

 

 

 この日田彦山線では、キハ40系気動車(キハ40・キハ47・キハ140・キハ147各形)が運行されておりますが、画像のキハ147形気動車に関しましては特に多く見られております。この田川後藤寺駅では、画像のように留置線が見られますし、折り返し列車もある事から、その分多く見る事ができている事がわかります。それにしても、このほど改正に伴い九州内のキハ40系気動車の機関非改造車が運用離脱に及びましたが、こちらは機関改造車でもありますので、当分は活躍する機会が見られるようではあります。

 

 (キハ147 49他)

 

 (キハ147 1033他)

 

 (キハ147 1032)

 

 (キハ147 107)

 

 

 さて、私はキハ147形気動車2両編成で運行の943Dに乗車しまして添田駅へ向かいます。この時は画像のキハ147 1068+キハ147 184の編成での運行でありました。

 

 

 列車は田川後藤寺駅より2駅先の豊前川崎駅を過ぎますと、途中まで路盤跡が見られる部分があります。それがいわゆる「未成線」であります旧油須原線の路盤跡でありますが、平成筑豊鉄道田川線の油須原駅まで線路が延びる事になっておりました。しかし、当時の国鉄財政難や開業しても収支は見込めないと言う判断から昭和55年に工事は中断しまして、結局工事再開する事もなくなりました。この旧油須原線では、工事もほとんど進んでおりまして、かつ線路敷設された所もあったそうですが、結局再開に至らなかったのは残念な所ではなかったかと思います。

 

 (分岐点付近、橋の姿も見られます)

 

 

 田川後藤寺駅を発ちまして14分ほどで、終点の添田駅へやってまいりました。この添田駅と言いますと、ご紹介しておりますようにかつては旧添田線も接続しておりましたが、その面影も駅舎があります北側で見る事ができております。

 

 (キハ147 184)

 

 (奥に駅舎)

 

 

 今回は、原田駅→彦山駅へと向かうために、桂川駅→新飯塚駅→田川後藤寺駅と経由しまして添田駅と移動してきました所までご紹介しましたが、利用区間もほとんどが非電化区間でもありますし、歴史も深いと言うのも筑豊地区を走る鉄道ならではかなとも思う所でしょうか。特に、後藤寺線の船尾駅手前からの鉱山を走る区間の姿はこれまでもうまくは収める事ができなかった所でもありましたので、尚の事良かったかなとも思っております。次回は、添田駅から彦山駅までの代行バス往復の利用シーン、そして撮影時の彦山駅の現状をご紹介しますので次回もご覧になっていただきたいと思います。