ながっっタイトルながっっwww(殴)

西武鉄道の路線図、或いはGoogleマップで見ると、「これ何なん?」と思うところがある、かもしれませんが、そこには西武鉄道の気が違っているような計画があるのかも…?今日はいつくか紹介しようと思います。

ここで注意以下にはただの都市伝説が含まれる可能性もあります。著作権スレスレなので元記事等は掲載しません。予めご理解下さい。また、分かるように予想も入れてあります。

都市をぶち抜く!?新宿線の悲劇

西武新宿線、新宿側と川越側で全く異なる路線だと思うかもしれません。西武新宿線は、当時ライバルだった現西武池袋線に対抗するため武蔵野を無理やりぶち抜いたんだにゃあ”あ”あ”…で、当時ド田舎小平や田無近辺は、遮るものがほとんど無くストレートに線路を引けました。撮り鉄御用達の小平カーブはその例外ですが。しかし都市部はそうも行きません。家の間を縫えばそりゃクネクネした路線になりますよね。

☆本題はここから☆

新宿線は高田馬場まで伸び、さあ…ここで国鉄(中央線)に勝つために東京(駅)方面への延伸を計画します。

競合路線多いな…と言うわけではないんです。まだ東西線のいる時代ではなかったので。なんと当時計画した路線が、大日本帝国軍の射撃演習所の側を通るため、国から「危険」と難癖つけられて建設出来ず。急カーブで無理やり国鉄の隣に高田馬場駅を造ります。さて、「折角なら新宿まで伸ばそう!」と気を取り直して伸ば…せない”い”い”い”い”い”い”

新宿駅に建設予定地がほとんど残って無く、ビルに突っ込むつもりが、そこも6両分しか入らなかったのです。もちろん西武は当時から10両運転していた訳ではないですが、将来を見込んでか、新宿手前に西武新宿駅を建て、そのまま現在まで絶妙に不便な駅になっているのです。それでも乗降客数は高田馬場(西武のみ)の6割程。そもそもの目的地である、という理由もあるのかもしれません。こんな感じで強引に造った西武新宿線。すこ。(それってあなたの感想ですよね)

大胆過ぎた延伸計画~西武軽井沢線~

西武秩父線の開業により、秩父盆地と都心が繋がったのは今や昔のこと。しかし当時、西武鉄道の野望は秩父じゃ終わらなかったんです…

見出しで察したかもしれませんが、秩父から軽井沢まで延伸しようとしていたのです。理由は「え?軽井沢に西武HDの開発地区あるよね?伸ばそ?」…なんとも無鉄砲な計画。しかし当時特急レッドアローが運転を始め、国鉄特急への対抗策、無かった訳ではないのですが、当然建設費用がバカにならず、さらにそうこうしているうちに長野新幹線の計画が発表され、あえなく挫折。軽井沢の観光自体は続いています。

多摩戦争

西武多摩川線。西武で唯一他路線から独立していて、車両検査の度に甲種輸送が行われていたり。そんな多摩川線も、もちろん当初はあんなこじんまりとした路線にするはずてはなく、さらなる延伸を目論んでいました、が…

画像を見ての通り、敵が強かったのです。小田急と京王が早くに進出し、いまさら西武が凸っても需要があるのか、という話になり、結局延伸は実現せず。(京王なんて更に延伸計画ありましたし)ぼっちな”都会のローカル線”が誕生したのです。

かなり駆け足で紹介しましたが、気になる方は是非調べてみて下さい。きっと沼に浸かります(ニッコリ)