旧国鉄・広尾線(1987年廃線)の『愛国から幸福ゆき』乗車券から始まったとされる縁起切符ブームですが、その中の一つに宗谷本線の『徳満から豊富ゆき』がありました。
両駅は隣同士、しかも縁起の良い駅名が揃っているという事で、上写真の通り「人徳キップ ちてかに」というキャッチフレーズで売り出されていたのです。
しかし、合理化の波は避けられず、1984年11月10日から徳満駅は周辺の駅と共に無人駅となり、切符の発売は終了しています(※逆の豊富から徳満ゆきは、発駅が簡易委託駅となったためしばらくの間発売されていた)。それから36年余…。ついに2021年3月のJR北海道のダイヤ改正に伴い、利用客僅少に伴い駅そのものが廃止されてしまいました。
 
私は廃止約2か月前の1月16日に、その徳満駅を訪問しようとはまなす編成の特急宗谷に乗車し、稚内から改めて普通列車で同駅に向かう予定でしたが、宗谷地方北部の暴風雪に伴い、同日の普通列車は稚内早朝発の列車以外は全て運休になったのに加え、札幌から向かっていた特急宗谷自体も結局幌延で運転打ち切りとなってしまったため、敢えなく断念せざるを得なかったのでした。
その時のブログはコチラ→『はまなす編成の幌延発着特急列車』
 
そのリベンジを果たそうと、改めて1月30日(土)に同じくはまなす編成で運転された特急宗谷に乗って稚内へ向かい、そこから徳満駅訪問に出掛けて参りました。それに加えて、翌日の帰路では同じく3月12日限りで廃止となった北剣淵駅にも訪問しています。今回はその前半として、1日目の旅行記を紹介します。
 
 
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前日1月29日に続いての乗り鉄で、「そんな頻繁に出掛けて大丈夫か!?」との声も聞こえてきそうですが、当然コロナ感染予防対策は気を抜かず行っていますのでご安心を。実際、周囲の人間には誰一人感染者は出ておりませんので念のため。
私は学園都市線524Mで札幌駅に出向き、7:30発の51D特急宗谷で稚内へ向かいます。
はまなす編成の特急宗谷に乗車するのは2度目。
 
 
 
今回は『えきねっとトクだ値35』で予約した2号車指定席(キハ260-5301)の乗車で、この日はそこそこ乗っていましたが、やはり空席が目立ちます…。ちなみに増1号車のはまなすラウンジには立ち寄らず。1月16日の幌延からの帰路で十分に満喫させて頂いたので。
 
 
 
途中8:23着の滝川では、『北の40記念入場券』(※昨年12月31日で発売終了)の連動企画として最もリクエストの多かったキハ400系『宗谷線急行色』の復刻塗装を施されたキハ40 1747(旭アサ)が側線に留置されていました。この日は根室本線の運用に入っていたようです。結局、宗谷本線でこの車両に出会う事も乗る事もできないままキハ40の運用は終了してしまいました…(涙)。まぁ、本家(?)キハ400系の急行列車には何度か乗っているので…😁
 
 
 
途中の行程は省略しますが、今回も車窓から利尻山を眺める事はできませんでした…。
稚内駅には定刻の12:40から5分程度遅れて到着。ようやく、はまなす編成で稚内まで辿り着きました!
折返し13:01発の64Dサロベツ4号となるためヘッドマークはソチラに変わっています。実はLED仕様のサロベツは今回が初見。雪と氷で見づらくなっていたのは残念ですが…。
 
 
 
 
本来は、稚内到着後夜の列車で徳満駅を訪問するつもりでしたが、13時からチェックイン可能なサフィールホテル稚内が休業中に加え、この日の宗谷本線北部の普通列車はまたしても雪による終日運休が既に決まってしまったため、レンタカーで向かう事にしました。
タイムズレンタカー稚内駅前店で借りた車種は2018年式のマツダデミオ(1500ccガソリン)。
モデル途中で車名がマツダ2に変わってしまいましたが、この形のデミオはディーゼルも含めて何度かレンタルしており、私が今まで乗ったコンパクトカーの中では最も運転しやすく、走行安定性も優れているので走りも楽しい車種だと思ってますよ。ただ、マツダ車故にナビが使いづらいのは玉にキズですが。
 
 
 
雪道の国道40号線を快調に飛ばし(?)約35分で徳満駅に到着。
幸いにも、他に同業者は来ていませんでした。

 

 

 

到着後、まずはホームに出て、13:38頃(?)に通過するはまなす編成の64Dサロベツ4号をハンディカムで動画撮影しました。ヘタクソな映像で恐縮ですが、お時間のある方はご覧ください。

 

 

 

サロベツ4号通過後、じっくりと駅を見物する事に。

駅名標はおそらくJR化後の1988~89年頃に自社様式に交換された時以来のモノと思われ、かなり年季が入っていて黒ずんでいました。2001年に隣の芦川駅が廃駅となったため、上から『かぶとぬま』(兜沼)のシールが貼られています。

 

 
 
ホームから旭川・名寄方を見た図。かつてタブレット閉塞扱いのため駅員が配置されていて交換設備があった名残で、駅構内前後の線路はY型分岐器の跡を示す湾曲があります(稚内方も同様)。かつてあった2番線のホームは画面奥側に千鳥状に配置されており、両ホーム間は構内踏切で連絡していました。
 
 
 
 
駅舎と別棟のトイレは工事現場で使われるプレハブ製で、2000年にこの建物になりました。
宗谷本線は先述の通り1984年11月に無人駅になった駅が多く、翌85~86年にかけて交換設備が撤去された駅に関してはほとんどが従来からの木造駅舎が取り壊され、車掌車改造のいわゆる『ダルマ駅』に変わりましたが、ここ徳満は利用客が少ないという理由から(?)建て替えられず、1926年(大正15年)開業以来の木造駅舎がしばらくの間残っていました。
トイレ棟は見るからに建機レンタル大手(株)カナモトの『KKトイレ』ですが、駅舎棟はエポック(株)製。
 
 
 
外壁には一枚板の駅名板がボルトで固定されていましたが、既に文字はかすれており、かろうじて徳満駅と読める程度。
プレハブ駅舎に替わった当初は、旧駅舎時代から掲げられていた縦書きの駅名板が別の位置に付いていたそうですが、後にこの駅名板に交換されたとの事です(訂正させて頂きました)。
 
 
 
入口ドアにはJRマーク、そして列車の運休を知らせる貼り紙が…。
この日もDE15による排雪列車は走っていましたが、普通列車は結局運休…。建前上低気圧接近による計画運休なのでしょうが、どうせ動かしても一般の乗客がほとんど乗らないから、というのが正直な処なのでしょう…。
 
 
 
駅舎内部。
近年設置されたプレハブ製だけに、こぎれいに保たれています。建物自体は2坪程度の大きさですが、奥に見える物置(?)スペースのため待合室分は1坪半程度の広さで、4人掛けのベンチが置かれています。ベンチ上には座布団と、駅ノートの入ったポーチが置かれていました。
 
 
 
物置(?)ドアに貼られていた『自然体験マップ』とその横の『頑張れ宗谷本線』のポスター。
 
 
 
入口ドア付近にはリースなどが飾られており、訪問者を和ませてくれました。
 
 
 
隅っこに置かれていた台には愛好家が置いて行った駅名標を模して書いた小さな色紙、牛の置物、1月号の北海道時刻表と折り鶴、そして何故か『クレヨンしんちゃん』のキャラクター・ボーちゃんのぬいぐるみがありました。
 
 
 
その他、待合室内にあったモノあれこれ。
 
 
 
 
他にも、JR北海道の特急列車備え付けの車内誌『The JR Hokkaido』で当駅のエピソードが紹介されたページのコピーが貼られていました。木造駅舎だった頃の記事なので、おそらく1990年代後半の号と思われますが、残念ながらこの時期は乗り鉄から離れていた時期(その代わり、マイカーで道内各地を廻って硬券を買い集めていた)で、せめてその時期に駅舎の写真を撮っておけばよかった…と後悔する事しきり。
 
 
 
 
その隣には旧駅舎時代の写真が飾られていました。おそらく、無人駅になってあまり年数が経過していない時期に撮られたと思われます。晩年は上写真の『The JR Hokkaido』記事にもあるように、老朽化で建物自体が沈下して波打った状態にまで変形していました。
 
 
 
例によって当駅も、盗り鉄対策で『本場の味サッポロビール』の広告入りホーロー製縦型駅名標は既になく、待合室内にはこのように撤去した事を知らせる張り紙がありました。
北海道の鉄道を荒らすクズ鉄は断固許さんゾ!!🤬
 
 
 
発車時刻表と運賃表。
幌延~稚内で運転される全ての普通列車が停車していましたが、全部合わせてもコレだけの本数という少なさ…。運賃表には当駅と同時に廃止となった安牛、上幌延の両駅への分も記載されていました。
 
 
 
ひと通り写真を撮り、駅ノートを書いていたら同業者の男性が豊富ハイヤー(今や貴重なコンフォートのディーゼル車!)に乗って現れました。おそらく、稚内からのサロベツ4号を豊富駅で降りて、そこからやって来たのでしょうか。私はノートを書き終えたタイミングで駅を後にする事にしました。
 
 
 
最後に駅前風景。国道40号線沿いには民家や店舗、そして徳満会館がありますがいずれも建物の前は除雪されておらず、人の住んでいる気配はありません…。
ここまで極端な過疎化が進めば、駅廃止もやむを得ないのでしょうか…。
 
 
 
国道40号線には並行して別線の高規格道路・豊富バイパスが通っており、豊富北ICまで開通しています。徳満駅前の少し稚内寄りには、そのバイパスに通じる道への交差点があります。
地方だけに一般道も交通量が少なくて十分に走りやすいのに、わざわざこんな高規格道路を造る必要があるのでしょうか?道路ばかり立派になって、鉄道はますます虐げられてゆく…。
 
 
 
駅前から続く道を進むと、宮の台展望台に辿り着く事ができるようですが、冬なので展望台自体の除雪がされていないと思われ、また行けたとしてもどっちみち天気が悪くて、サロベツ原野や利尻山が見渡せるワケでもないので結局足を運ぶ事はありませんでした。
 
 
 
ここで1つ蔵出し(?)オマケ画像を紹介します。
徳満駅有人駅時代最末期の130円硬券入場券と、それが貼られた駅スタンプ入りの台紙。
硬券の日付はエラーで角の部分しか入っておらず、台紙の日付は(昭和)59.11.30とありますが、その日は既に無人駅になって20日後だったので詳細は判りません。
コレはかつて私が『ホンモノの』鉄道少年だった頃、道北エリアのとある駅で硬券収集のため切符類を購入した際に駅員さんからご厚意で頂いた逸品でして、徳満駅に勤めていらした方と思われますが、そこまでは訊いておりません…。
スタンプには利尻山とサロベツ原野の植物、そして徳満から豊富ゆきの乗車券の裏に押されていた謳い文句のゴム印があしらわれ、宮の台展望台の案内が記載されています。何らかの理由でウッカリ濡らしてしまい、スタンプのインクをこすってしまった跡はご愛嬌という事で…。
 
 
 
レンタカーは17:00まで借りられる事になっているので、まだ時間があります。
徳満駅を後にした私は、さらに南下してお隣の豊富駅に来てみました。
右に見えるタクシーが先程徳満駅まで同業者を乗せた豊富ハイヤーのコンフォート(2001年まで製造されていた2.4ディーゼル)で、しかも『旭川55』ナンバー!札幌以外の地域も1999年には分類番号が3ケタになっているので、都市部よりは稼働率が少ないとはいえ、既に20年以上も使われているというのは驚きです。
 
 
 
駅舎の右隣には、豊富町観光情報センターがあり、『北の大地の入場券』の委託販売先になっています。私は昨夏に6日間パス利用で旭川からの普通4325Dに乗車時、3分半の停車時間を利用して購入しましたが(※北の大地の入場券HPには『※各駅での停車時間はわずかであり、事故防止の観点からも、停車中に途中下車してお買い求めいただくことなどはお控えください。なお、停車時間が長い列車についても、列車の遅延等により停車時間が短くなることがございます。』と記載されており、このような購入方法はNGとの事…。反省します)、今回来訪の記念として改めて1枚だけ追加購入しました。
 
 
 
ピンボケ気味の画像で恐縮ですが豊富駅の『北の大地の入場券』。
裏面の鉄道地図には徳満駅が記載されていますが、他の廃止駅が記載されている入場券も含めて3月ダイヤ改正後は一体どうなったのだろう?

 
 
 
駅前からは沿岸バスが発着しており、このバスは留萌市立病院行。国鉄時代最後の廃止路線となった羽幌線の鉄道代替バスの役割を担っています。元々同社のバスは羽幌線廃止前からほぼ全線にわたって並行して運行されていたため、140㎞超という長大路線にも関わらず名寄本線などの『長大4線』としての一時廃止保留の枠組みには入れず、JRに引き継がれる事はありませんでした。
日本海側の厳しい気候ではありますが、何せ道路が除雪さえされていれば汽車が止まってもバスは動いていたというのだから、冬場は地元から羽幌線の信頼はないに等しかったのです…。
 
 
 
駅舎入口には、運休列車を知らせる貼り紙がありました。
そういえば稚内まで乗車した特急宗谷は、士別駅では62Dサロベツ2号との交換がありませんでした。この貼り紙には6:05発名寄行(4324D)も含まれていますが、徳満駅ではその4324D以外は全て運休となっていました。果たしてどちらが正しかったのだろう?
 
 
 
駅待合室。一応、石油ストーブが置かれており、少なくとも日中は焚いているようです。
奥に見えるシャッターは閉店したキヨスクの店舗跡で、無人駅化後(窓口要員廃止後)は乗車券の簡易委託先になっていました。
 
 
 
かつて有人駅だった時の名残りで改札口のラッチがそのまま残っています。
運賃表には、特急停車駅という事で周辺の駅に加えて旭川や札幌などの駅の他に、新千歳空港までの運賃も掲載されています。
 
 
改札口上にある電照式の駅名標。
隣の徳満駅の分は、3月ダイヤ改正後書き換えられています。
 
 
 
今回は廃止となる駅の紹介がメインなので豊富駅はこの辺にしておきますが、まだ昼食を摂っていなかったので、遅いランチという事で駅事務室跡に入店している軽食喫茶の『すてーしょん』にお邪魔する事に。
一応、GoToイート(※利用停止中)参加店のため入店時に検温とアルコール消毒が求められます。お店は地元民の憩いの場となっているようで、何人かのご婦人方が店主らと談笑を楽しんでいました。
 
 
 
 
結局食べたのは今回もカツカレー(価格は失念)。
私の旅行記にはやたらカツカレーを食べるのが紹介されていますが、特に大好物というワケではないので念のため。基本的にそのお店を知るためには、まずカツカレーを食べてみようという事なのです。
喫茶店ではありますが、ルーも自家製と思われ、カツもきちんと筋切りしているようでなかなか悪くない!普通に美味しかったですよ。

 
 
 
店内にはタブレットキャリアーが飾られており、食べ終わった処で店主のオバチャンに一声掛けて写真を撮らせて頂きました。ただ、どこの路線で使われていたのかは不明との事。
 
 
 
そしたら、その店主の方からタブレットの『玉』を見せて頂いたり…。
 
 
 
カウンター席の隅には古レールがあったりして。
 
 
 
さらには、旧羽幌線の古丹別駅ホームの擁壁に取り付けられていた工事銘板までも見せて頂きました。よくもまぁ、こんな貴重な品々を…と思っていたら、店主のご主人様が骨董屋で購入してコレクションしていたとの事で。
いろいろと貴重なコレクションをお見せ頂き、ありがとうございました。
 
 
 
店主の方にお礼を言って店を出ましたが、特に訊かなかったものの駅舎入口に鎮座している4灯信号機も、コレクションの1つだったのかな?
 
 
 
豊富駅を後にして、再び稚内へ向かいます。
国道40号線の豊富バイパス~稚内の一部区間は、高規格道路とは異なるものの最高速度が70㎞になっている区間があります。交通量の少ない地方は、わざわざ一般道に並行して高速道路や高規格道路を造らずに、このような一般道の改良だけで十分だと思います。
それにしても、この区間もすごく立派な道路ですよ。鉄道も同様に高速化できたら良いのに!
 
 
 
稚内市内に入る頃にはすっかり陽も暮れかけました。レンタカーを返却する前に、稚内駅の一つ手前である南稚内駅に立ち寄る事に。
駅舎は1953年に建築された建物を1978年に大幅リニューアルし、現在の外観になっています。当駅は徳満駅の管理駅であるため、幌延駅でも購入した『徳満→豊富』のマルス乗車券を記念に購入しました。

 

 

 

駅舎内にははまなす編成の紹介コーナーや、駅員さん手作りの南稚内駅ペーパークラフトが展示されていました。

いずれも、「愛される鉄道に!」という社員さんの意気込みを感じます。

 
 
 
残念ながら、やはり18:08発(稚内18:04発)の4330Dは運休…。
計画運休なので、例え天候が回復しても予め決めた運休に関しては撤回しないようです。
この列車に乗って徳満駅に18:48に到着後、16分程度の滞在にはなりますが19:04発の4331Dで稚内方面へ戻る事ができるのです。改めて列車で徳満駅に行ってみたかったなぁ…。
 
 
 
この後レンタカーにガソリンを入れて返却し、稚内駅から徒歩3分程度の距離にある『天北の湯 ドーミーイン稚内』に投宿し、1日目の旅が終わります。
このご時世なので、直前予約でも余裕でお部屋を確保できました。何せ、時節柄JRもいつ止まるかわからないので、宿を事前に予約する事は危険なのです(交通機関のトラブルでキャンセル料を免除してくれるというのなら安心なのだが…)。
 
 
 
お部屋からは、稚内の駅や港を一望する事ができます。
ドーミーインなので最上階には天然温泉があり、日頃の疲れを癒しにひとっ風呂浴びてきました。遅い時間にランチを済ませたので夕食は摂らない代わりに、夜食の夜鳴きそば(コレもドーミーイン名物)を頂いたのですが写真を撮るのを忘れてしまいました…(汗)。
 
 
今回はここまで。
次回は翌1月31日の旅行記として、北剣淵駅の訪問などを紹介します(予定)。
後半へつづく。
そういえば『ちびまる子ちゃん』、キートンさんのナレーション今日で最後だなぁ…。