皆様こんばんは。ブログおよびホームページ管理人の神@北見です。

 

本日は約1週間ぶりにホームページのキハ58系イラストを更新しました。また今回は新規発見車を1両追加できました。前回更新から1日数両ずつイラストを更新していましたが、昭和39年度第2次民有は両数が多く、キリの良いところまで変更修正を終わらせるのに時間が掛かってしまいました。

 

今回は前回の続きで、

 

昭和39年度民有 帝車 キハ28 357・358

昭和39年度本予算 帝車 キハ28 2359・2360

昭和39年度第2次民有 新潟 キハ28 361・2362・2363・2364・2366・2367・368・369・370・2371・2372

 

を更新・公開しました。この中でキハ28 368は新規公開車です。その他はイラストを更新したのみです。

 

 

ではこの中からピックアップして数両ご紹介いたします。

 

キハ28 357

 

キハ28の300番代は0番台に比べて東北地区配置車が多く、非冷房のままであった車が多い傾向がありました。そしてキハ28の非冷房車は比較的寿命が短かったため、0番代冷房車がバリバリ活躍している時代から多くの廃車が出ており姿を見ていない車も多数います。片運転台・1エンジンでしかも非力・非冷房では、あまり残すメリットが無いものですからね。この車もJRに継承されたものの、1990年には廃車になっています。

 

 

キハ28 2360

 

↑「60-3改正」で鳥取より長野経由で七尾に転じた車です。後藤顔っぽいですが七尾に転じた時点で前面補強未施工、ワイパーも未更新で、JR化後の1988年の時点でも同じでした。その後の写真を見るとワイパー更新されていますので1988年以降ですね。そしてワイパー更新が遅いため、金沢地区の車なのに運転席側正面窓下の手すりが撤去されず位置が少し下がったのみです。そのため元鳥取~七尾車にしてはちょっと異質な顔つきでした。七尾線電化後は小浜線に転じ、更に小浜線電化後は高岡に転じ、最後は高山本線北部の増発社会実験に使用され、晩年はキハ58 477と共に急行色に塗り戻されました。このあと元高岡車が「いすみ鉄道」へ移籍するということで、てっきりこの急行色の2360が行くのかと思ったら、高岡ワインレッドの2346が整備のうえ急行色に塗り替えられて移籍し、この2360は廃車になりました。どういう運命が待っているのかは分かりませんね。

 

↑この時代にしては珍しく、前面補強未施工です。敦賀駅ですが隣の貨物列車が怪しい…。全てが懐かしい…。

 

 

キハ28 2364

 

↑1980年10月のダイヤ改正では九州で急行の大幅削減が行われ、これにより捻出された冷房車が他区へ転じる動きが多く見られました。当車も大分から新潟へ転じたグループです。1980年当時は2362~2366は九州にいましたが、2363・2364は新潟に転じました。その後この2両は似た動きをし、1990年代のキハ110系投入による転配では両車揃って長野に転じます。1997年の飯山線キハ110系化の際には2363は廃車されますが当2364は小牛田に転属し、普通列車や快速「南三陸」で活躍しましたが長生きせず2000年には廃車されました。

 

↑長野時代(上)と小牛田時代(下)のキハ28 2364。 長野時代は新潟由来の単線型スノープロウを装備していますが、小牛田転属後は複線型スノープロウに交換されています。飯山線色に「快速」の幕が目新しいです。

 

キハ28 368

 

↑長らく発見できず「形態不明」の車でしたが、とうとう直方時代の写真を発見しました。先の2364は「55-10改正」後に大分から新潟に転じた冷房車ですが、当車はその逆で同改正後に新潟から長崎に転じた車です。ちょうど九州と新潟で非冷房車と冷房車を交換した形になっています。非冷房で転入した車はもちろん急行用ではなく、キハ55系等の置き換え用で普通列車で使用されました。しかしキハ28には変わりないので、冷房を使用しない冬季間の増結等では急行に紛れ込むことも稀にあった事でしょう。この車は新潟時代にはシャッター式もしくは新潟特有の竹槍みたいなタイフォンであったと思われますが、九州ではスリットカバーに変更されていました。それ以外は殆ど手を加えられていないのでは?というくらい原形のままの車でした。

 

 

キハ28 369

 

↑非冷房のキハ28ながら割と長生きした部類で、機関換装及び東北地域本社色への変更が行われ、新庄配置で普通列車で使用されていました。更にこの車は3位側の窓が1枚ユニットサッシに改造されているという超異端車でした。これが何の理由で改造されたのかはよく分かっていません。

 

 

キハ28 370

 

↑ぱっと見普通の冷房キハ28に見えますが、「370」という番号で分かる通り4VKを装備しない車になります。平坦線で1エンジンのキハ28比率が高い千葉や水戸では、冷房化の際に冷房電源を装備しないキハ28が用意されました。千葉では比較的まとまった数が存在しましたが、水戸では24・83・370の3両しか私は知りません。千葉にいた4VK非搭載キハ28は全車0番台で、300番代でこの4VK非搭載冷房車になったのは、この370しか居ませんでした。そのためクーラーの常磐無線対応配置と合わせて非常にレアな車になります。

この車は特殊な存在でしたが同じく水戸の「83」と共にJRへ継承されますが、真岡線廃止後は用途が無く1989年に廃車となりました。

 

 

キハ28 2371

 

↑JR東日本では最後まで営業用で残ったキハ58系の1両でした。水戸配置でしたがキハ110系投入による転配で新津へ転じ、晩年は急行色に塗り戻されて人気でした。ただし原形の急行色とは若干仕様が異なり、雨どいは比較的時代設定の古い赤色、そして車番表記が「白色」になっており、クリーム色の地肌ではほとんど読めないという問題がありました。。。 これは後に急行色ふうにされた新津のキハ40系でも同じでした。なんでこういう間違いが発生するのでしょうかね…。

 

 

↑私は急行色になる前の新潟色時代しか知りません…。

 

 

昭和39年度第2次民有はこれ以降も帝車製の373~377、富士重製の378~390も続きますが数が多いので次回に回したいと思います。まだイラストの修正が終わっていませんのでもう少々お待ちください。

 

 

今回も最後までご覧いただきありがとうございました。それでは次回もお楽しみに!!

 

是非私のホームページ

 

http://kami-kitami.sakura.ne.jp/index.html

 

にもキハ58系各車の解説がありますのでご覧になってください。