Nゲージレイアウト国鉄露太本線建設記

運転よりシナリー重視コンセプトで、昭和40年代後半の風景再現を目指しレイアウトを製作中です。映像・画像を交えながら、製作記に加え、随想や旅行記も発信します。2016年9月より延伸線建設に着手しました。

鉄道模型販売店の栄枯盛衰に想う

前回TMS1968年12月号掲載広告から鉄道模型製造メーカーの栄枯盛衰を見てきました。 今回は鉄道模型販売店の栄枯盛衰を見ていきます。

【擁壁下築堤を往く】
製造メーカーの多くは販売も行ってました、ただし自社製品と一部取引関係があるメーカー製品だけです、例えばカツミでは天賞堂/カワイ/鉄道模型社製品を扱ってませんでした。


4.鉄道模型販売店
鉄道模型販売店とは各社製品を幅広く販売してる店舗です。

【TMS1968年12月号より】
その代表は各デパートの模型売り場です。 街の模型屋さんも数多く存在し、各社製品販売に加え、模型店独自開発のキットやパーツ販売で特色を出してました。 つまり独自開発品に関してはメーカーでもありました。

【TMS1968年12月号より】
みどりやの広告がそれを一番良く表してます。 カワイを除く大手3社にトビー/つぼみ堂/宮沢模型製品を販売し、独自製品京急1000型ペーパー車体キットの販売もしてます。 みどりやは1993年廃業してます。 

【TMS1968年12月号より】
カツミEF66とピノチオ模型製車体キット写真広告のニットー教材も模型販売店でした。 東京近郊では国鉄駅数駅に一つはこの様な「模型屋さん」があった様に記憶してます。

【TMS1968年12月号より】
右下を拡大すると大手中小全社に加え専業メーカー製品も多く扱っており、『何でも揃う』の看板に偽りなしです。 ニットー教材も時期不明ですが廃業してます、鉄道模型が模型店で見て確認して買う製品でなくなったからです、デパートからも姿消したのでしょうね。

【TMS1968年12月号より】
ピノチオ模型も各社製品を扱う販売店でした、独自製品も多く前出ニットー教材にも供給してました。 リーマンショックを乗り越え生き永らえましたが2013年廃業してます。

【TMS1968年12月号より】
さんご模型も各社製品を扱う販売店でした。 鉄道模型社下請けからのスタートで、プレスやエッチングパーツ品揃えが豊富なのが特徴です。 ここは16番、HO(1/87、12mm及びナロー9mm)部品供給メーカーとして事業継続してます、コア技術の強味だと思います。

【TMS1968年12月号より】
関根模型も各社製品を扱う販売店で、蒸機の特注加工なども手掛けてましたが廃業しました。 当時として珍しく16番とHOを混同しており、マニアから??だったと思います。

【TMS1968年12月号より】
取扱い製品明記してませんが大阪の模型販売店です、オリジナル16番車両携帯ケースが載ってますが、20両入りで電機が買えた高価格です。

【TMS1968年12月号より】
他にも年数回広告掲載する様な小さな模型店が数多く存在しました。 左の北沢理科教材社の地図は、246号線を玉電が走り、首都高3号線がなかった頃の三軒茶屋です。

【TMS1968年12月号より】
そんな中で忘れられないのが二子玉川のいさみやさんです。 高校時代の学校帰りに度々寄り、ご健在なら90代のご主人と模型談義したり、部品/製品情報教えて貰ったりしました。 TMSバックナンバーを高価で引き取ってくれたのもいさみやのご主人です。

【いさみやロコ・ワークスHPより】
それ以来50年以上足を運んでませんが現在も営業してます。 当時からペーパーキットなどオリジナル製品販売に力を入れており、鉄道模型再開時に16番通票閉塞機出してるのを知りました。 オリジナル製品が生き残りの鍵だったのかもしれません。

【TMS1968年12月号より】
珍しい東海地区模型販売店の集合広告が掲載されてました。 小規模店で調査しようもありませんが、その大部分は廃業したと思われます。


通販がなかったから鉄道模型販売店が多く存在した側面はありますが、それだけではありません。 当時の鉄道模型は取扱いが難しくて壊れ易く、修理や調整が必要な製品でした。 信頼できる店員さんやご主人の居るお店から対面販売で買う製品だったのです。

現在私たちが『コンビニ』『通販』『宅配』『ユニクロやワークマン』で購入してる物品を当時は違う場所で手に入れてました。 鉄道模型もそれと同じ事なのだと思います。


ではまた。

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