こちらは、一昨年(2019(平成31)年)4月20日に、東京地下鉄(東京メトロ)副都心線の7000系(有楽町線、副都心線の車両)の7105Fによる、急行元町・中華街行き🚃🚇です。

今回撮影した列車は、土休日53S運用(当時、10000系または7000系の10両編成が使われている)の和光市発元町・中華街行きの列車(全区間急行運転)であり、和光市駅(埼玉県和光市)を20時10分に発車した後、途中、小竹向原、池袋(副都心線)、新宿三丁目、明治神宮前〈原宿〉、渋谷、中目黒、学芸大学、自由が丘、田園調布、多摩川、武蔵小杉、日吉、綱島、菊名、横浜、みなとみらい、馬車道、日本大通りの各駅に停車してから、元町・中華街駅(神奈川県横浜市中区)へと向かうことになっています。

この編成は、7000系の10両編成でWi-Fiが付いていない最後の1本となっており、今日(3月23日)は、平日27S運用に入っていることを確認しました。

有楽町線は、1974(昭和49)年10月30日に池袋~銀座一丁目間が開業したのが始まりで、当時は、7000系の5両編成が使われていました。

銀座一丁目駅は、その名の通りの銀座一丁目にある駅で、麹町駅と同様に狭い道の地下にある為に、上下二層式となっているけど、開業当時は、上部の1番線(現在の新木場方面乗り場)が主に使われ、ラッシュ時には、上部の1番線と下部の2番線(現在の池袋、和光市方面の乗り場)が交互での発着となっていたので、終着駅だった頃の都営地下鉄6号線→都営三田線の三田駅に似ているところがありました。

これによって、池袋~銀座間のバイパスルートが出来たことにより、丸ノ内線の混雑が緩和されていました。

千代田線は、日比谷線の混雑緩和により出来た路線であるので、有楽町線と同じ役割があります。

当時の車両基地は、飯田橋駅付近の地下にあった飯田橋検車区(2代目)が暫定的に使われ、大掛かりな検査の時に桜田門~霞ケ関間の連絡線経由で綾瀬工場まで回送されていました。

初代の飯田橋検車区は、1964(昭和39)年12月23日に東西線の高田馬場~九段下間が開業した時から、1967(昭和42)年9月14日の大手町~東陽町間の開業に伴う深川検車区の新設までの間に使われていたものであり、こちらは飯田橋~九段下間の地下にありました。

開業当初は、池袋駅と銀座一丁目駅に自動改札機が試験的に設置されていたけど、試験が終了した後に撤去され、1990年代に再び設置されるようになっています。

1980(昭和55)年3月27日に新富町駅まで延長され、銀座一丁目駅が途中駅(上部が新富町行き乗り場)となったけど、5両編成のままでありました。

1983(昭和58)年6月24日には、営団成増(現、地下鉄成増)~池袋間が開業し、5両編成から現在の10両編成へ。

当時は、営団成増駅が東武東上線の成増駅への乗換駅扱いとなっていたので、1972(昭和47)年10月20日に千代田線の霞ケ関~代々木公園間が開業し、1978(昭和53)年3月31日に代々木上原駅まで延長されるまでの間に代々木公園駅が、小田急線の代々木八幡駅への乗換駅扱いとなっていたことと同様でありました。

1983年の10月1日には、西武有楽町線の小竹向原~新桜台間が開業したことにより、乗り入れが開始されていました。

当時の西武有楽町線は、他の西武線の路線と繋がっていなかった為に、営団地下鉄(当時)の車両が借り入れられていたので、西武線の路線よりも、営団地下鉄有楽町線の新桜台支線のイメージが強かったです。

このことは、半蔵門線で、1978年8月1日の渋谷~青山一丁目間の開業の時から、1981(昭和56)年4月1日の8000系の営業運転開始までの間、全て東京急行電鉄(現、東急電鉄)の8500系が借り入れられていたことにより、東急新玉川線(当時、東京高速鉄道の現代版)の延長部分のイメージが強かったことと同様でありました。

1987(昭和62)年8月25日には、和光市~営団成増間が開業し、東武鉄道東上本線(東武東上線)との森林公園駅までの直通運転が開始され、東武鉄道の9000系も乗り入れるようになっていました。

こちらは、営団地下鉄にとって、東西線の浦安~西船橋間(千葉県浦安市、市川市、船橋市)に続く2番目の東京都外への路線であり、埼玉県(和光市)にも進出したことになっています。

同時に有楽町線初の本格的な車両基地である和光検車区が新設され、これまでの飯田橋検車区が留置線に格下げされていました。

こちらは、1996(平成8)年3月26日の南北線の四ツ谷~駒込間の開業により、有楽町線と南北線を繋ぐ線路の役割を果たすようになっています。

前述の東西線の初代飯田橋検車区の跡地も、留置線として使われています。

当時は7000系が非冷房車であった為に、冷房化率100%だった東武東上線の和光市~川越市間に乗り入れた時には、1994(平成6)年の7000系の冷房化が完了し、再び冷房化率100%となるまでの間に、非冷房車が復活していたので、夏場にはサービスダウンを余儀なくされていました。

こちらは、1993(平成5)年4月1日に、京浜急行電鉄(京急)空港線が羽田(現、天空橋)駅まで延長された時に非冷房車だった都営浅草線の5000形が乗り入れたことで一時的に非冷房車が復活していたことにも言えることでありました。

翌年の1988(昭和63)年6月8日には、新富町~新木場間が開業し、有楽町線が全通していました。

新木場駅の先にある新木場検車区(現在の和光検車区新木場分室)が出来たのも、この時でありました。

1994年12月7日には、現在の副都心線の一部となっている有楽町新線(小竹向原~新線池袋(現在の副都心線池袋駅)間)が開業し、日中の和光市~小竹向原間の運転間隔が6分に統一されていました。

当時の有楽町新線は、要町、千川の両駅が通過扱いで、新線池袋駅が丸ノ内線のホームと繋がっていなかったです。

同時に西武有楽町線の新桜台~練馬間が下り線部分の単線運転で暫定開業し、他の西武線と線路が繋がったことによって、西武有楽町線らしい路線となり、西武6000系の有楽町線乗り入れが開始されていました。

これまでは、新桜台行きが運転されていた絡みにより、日中の和光市~小竹向原間で12分も開いていたこともあったけど、有楽町新線の開業によって解消されていました。

自分(しゃもじ)が西武線全線制覇したのは、1994年12月の西武有楽町線の練馬延長の時でありました。

1998(平成10)年3月26日には、西武有楽町線の新桜台~練馬間の複線化により、西武池袋線との直通運転が行われるようになり、西武6000系の乗り入れ運用が拡大されていました。

これによって、西武有楽町線が地下鉄有楽町線と西武池袋線を繋ぐ路線として機能するようになったのであります。

2004(平成16)年4月1日には帝都高速度交通営団(営団地下鉄)の民営化により、東京メトロこと東京地下鉄🚇Ⓜ️となり、営団成増駅が地下鉄成増に、営団赤塚駅が地下鉄赤塚駅にそれぞれ変更されていました。

東京メトロとなった後の2008(平成20)年6月14日には、副都心線(池袋(旧、新線池袋)~渋谷間)が開業し、有楽町新線が副都心線に編入されたと共に、要町、千川の両駅にも停車するようになり、和光市~小竹向原間が有楽町線と副都心線の共用区間となっていました。

当時は、有楽町線で準急運転(和光市~池袋間で、途中の小竹向原駅のみ停車し、池袋~新木場間は各駅停車となっていた)が行われていたけど、副都心線の急行と被っていたことで評判が良くなかったことにより、同年11月29日に減便され、2010(平成22)年3月6日の改正で廃止されていました。

2013(平成25)年3月16日には、東急東横線の渋谷~代官山間の地下新線への切り替え(地下化)により、副都心線と東急東横線、みなとみらい線の元町・中華街駅までの直通運転が開始されたことで現在に至っています。

東急東横線の渋谷~代官山間で、代官山駅を出てすぐに地下トンネルに入る理由は、地形や勾配の関係のほか、地下トンネルの出入口の真上にあった渋谷1号踏切を立体交差化させる必要があったからでもあります。

東急東横線と地下鉄副都心線の渋谷駅は、地下5階と、東急田園都市線と地下鉄半蔵門線のホームよりも深い場所にあるので、代官山駅を出てすぐに地下に入るのもそのはずであります。

代官山駅の中目黒寄りには渋谷トンネルがあるので、2013年3月16日からトンネルとトンネルの間に挟まれた駅となっています。

かつて代官山駅では、渋谷寄りにもう1ヶ所踏切があった関係により、ホームの長さが20m車5両分しかなかった為に中目黒駅寄りの車両でドアカットが行われていたことがありました。

このことを解消させる為に、渋谷寄りにあった踏切を潰し、渋谷トンネルの一部にホームを延長させるという大掛かりな改良工事が行われていたので、工事期間中に渋谷寄りに代官山仮駅が設けられていました。

工事が完了した時に8両編成対応となったので、同じ渋谷区にある京王井の頭線の神泉駅で、ドアカットを解消させる為に吉祥寺(駒場東大前)寄りのトンネル部分にホームを延長させる措置が取られていたことと似たような現象となっていたのであります。

JR横須賀線の田浦駅(神奈川県横須賀市、こちらもトンネルとトンネルの間に挟まれた駅)では、11両編成の場合、先頭車(下りの横須賀、久里浜方面は1号車、上りの逗子、東京、千葉方面は11号車)と先頭から2両目の前のドアが開かず、トンネル内に掛かることになっているので、かつての代官山駅や神泉駅と同様の現象となっています。

横須賀・総武快速線のE235系1000番台(近郊バージョン、スカレンジ)のドアカットの表示には、英文も併記されるようになっています。

東急東横線、みなとみらい線の女性専用車🚃🚺️は、各駅停車を含めた平日の朝ラッシュ時(始発~9時30分)の1号車(渋谷寄りの先頭車)に設定されているけど、2005(平成17)年7月25日に設定された当時は、平日の特急、通勤特急、急行の全列車の横浜(元町・中華街)寄りの8号車に設定されていたので、菊名駅の階段に近いことにより、男性利用客を中心に反発を受けていたという菊名問題が発生していました。

翌年の2006(平成18)年7月18日には、設定時間が朝と夕方以降に縮小されたと共に5号車に移されたことで解決していました。

2013年3月18日からは、地下鉄副都心線、東武東上線、西武池袋線に合わせる形で1号車に女性専用車(平日の朝のみ)🚃🚺️が設定されるようになっています。

インドネシア🇮🇩にも女性専用車🚃🚺️が、あり、女性を象徴するモチーフが描かれています。

熊本市電(A系統とB系統)では、昨年の9月14日から平日の朝ラッシュ時に2両編成の低床電車(LRTタイプの車両、9700型または0800型)の後ろの車両で、女性優先車🚃🚺️が試験導入され、4月1日から本格導入されるけど、路面電車としては珍しいなと思いました。

東急東横線の菊名駅では、1991(平成3)年頃まで、大倉山(渋谷)寄りに踏切があった関係により、ホームの有効長が20m車の7両分しかなかったので、東横線内の20m4ドアの8両編成の列車に対して、急行待避駅なのに渋谷寄りの1両がドアカットとなり、その時に開かずの踏切となっていたことで、こちらも菊名問題となっていました。

大倉山~菊名間の一部が高架化され、この区間にあった3ヶ所の踏切が廃止され、ホームが渋谷寄りに延長されたことで解決していたのであります。

2013年には、東急菊名駅のホームが再び渋谷寄りに延長されて10両編成対応となっています。

JR横浜線の快速は、1988(昭和63)年3月13日の運転開始から2006年3月17日まで、東急東横線との乗換駅である菊名駅を通過していたので、JR側にも菊名問題がありました。

1994年12月2日までの間は、横浜線の快速が東急田園都市線とこどもの国線の乗換駅である長津田駅を通過していたので、菊名問題ならぬ、長津田問題となっていました。

東京メトロ7000系は、1974(昭和49)年から1989(平成元)年までの間に、10連34本340両が日本車輌製造、東急車輛製造(総合車両製作所横浜事業所の前身)、川崎重工業(Kawasaki)、近畿車輛の各社で製造されていたけど、当初は黄色の帯となっていました。

1974年に導入された7101~7119Fと、1980年の新富町延長の時に導入された7120Fは、5両編成として落成した初期型であり、2018(平成30)年11月まで千代田線で活躍していた6000系の初期型と同様に、田の字型の窓となっていました。

1983年6月の営団成増延長の時に後期型(1段窓)である7121~7126Fが10両の編成単位で導入され、5両編成だった7101~7120Fに後期型の中間車が入れられた上で10両化されていました。

こちらは、新木場(元町・中華街)寄りの5~9号車(8両編成は4~7号車)が該当しているので、窓の違いで見分けることが出来ます。

1987年の和光市延長の時に7127Fが、1988年の新木場延長の時に7128~7132Fがそれぞれ導入されていたけど、後者のほうは初の冷房車でもあります。

1989年には、輸送力増強用として最終増備車である7133Fと7134Fが導入されて34本340両が出揃っていました。

1998年の西武線乗り入れの時に西武ATSの取り付けと前面、側面表示のLED化が行われていたけど、B修繕が行われていなかった初期型編成に関しては、幕式の表示のままで、西武線に乗り入れない運用に限定されていました。

この時に7000系の初期型編成の側窓が田の字型から1段窓になっていたけど、6000系に関しては、田の字窓のまま更新された編成も含まれていたのであります。

2008(平成20)年から2010(平成22)年に、7000系が副都心線乗り入れ対応に改造され、黄色の帯から10000系に準じた茶色と黄色の帯に変更されていました。

初期型の一部と7127F以降の後期型は、東急東横線、みなとみらい線で各駅停車に対応させる為に8両編成に短縮されたので、10000系と同様の有楽町線、副都心線兼用の10両編成、副都心線専用の8両編成に分けられるようになっています。

運転台のほうは、東急電鉄への直通により東急方式のT字型ワンハンドルマスコンに交換されていました。

改造された編成は、10両編成が7101,7102,7104,7105,7110,7118Fの6本、8両編成が7103,7109,7113,7115,7116,7119,7120,7127,7128,7129,7130,7131,7 132,7133,7134Fの15本であり、7127F以降に関しては、ドアの窓が大窓化されています。

副都心線乗り入れ対象から外された7106,7107,7108,7111,7112,7114,7117,7121,7122,7123,7124,7125,7126Fの13本130両は、10000系に置き換えられた上で編成単位で廃車となったけど、そのうちの7117,7121,7122,7123Fがインドネシア🇮🇩に輸出されていました。

そのうちの元7121Fは現地で事故廃車となったので、現在は3本となっています。

副都心線の開業後、改造予定または廃車予定の7000系にYマークが付いていたので、東急田園都市線の車両の東武線直通非対応編成にサークルKマークが付いていたことみたいだな❗と思っていました。

このYマークは、西武6000系の改造前の編成や東武9000系の9101Fにも取り付けられていました。

東京メトロ有楽町線の路線

(東武東上線、森林公園駅まで直通運転)←和光市~地下鉄成増~地下鉄赤塚~平和台~氷川台~小竹向原~千川~要町~池袋~東池袋~護国寺~江戸川橋~飯田橋~市ケ谷~麹町~永田町~桜田門~有楽町~銀座一丁目~新富町~月島~豊洲~辰巳~新木場

東京メトロ副都心線の路線

(東武東上線、森林公園、小川町駅まで直通運転)←和光市~地下鉄成増~地下鉄赤塚~平和台~氷川台~小竹向原~千川~要町~池袋~雑司が谷~西早稲田~東新宿~新宿三丁目~北参道~明治神宮前〈原宿〉~渋谷→(東急東横線経由、横浜高速鉄道みなとみらい線の元町・中華街駅まで直通運転)

副都心線から小川町駅(埼玉県)への直通運転は、土休日の朝の3本(小川町行き)のみとなっています。

西武線直通列車は、有楽町線、副都心線共に小竹向原駅から分岐しています。

副都心線の急行の停車駅

和光市~小竹向原~池袋~新宿三丁目~明治神宮前〈原宿〉~渋谷

通勤急行(平日の朝と夕夜間のみ運転)の停車駅

和光市~地下鉄成増~地下鉄赤塚~平和台~氷川台~小竹向原~池袋~新宿三丁目~渋谷

急行と通勤急行は、西武線直通列車にもあるけど、西武線直通の通勤急行は、急行とは異なり明治神宮前〈原宿〉駅が通過となっています。

地上にある駅は、和光市、新木場の両駅であり、和光市駅は、東武鉄道による管理となってます。

車両基地は、和光市(和光検車区)、新木場(新木場分室)であり、全般検査や重要部検査は、南北線の9000系と同様に、千代田線の綾瀬工場(東京都足立区)で行われることになっているので、桜田門~霞ケ関間の連絡線路を通って行くことになります。

麹町駅と銀座一丁目駅は、上下二層式の地下駅で、どちらも1番線(新木場方面)が上、2番線(池袋、和光市方面)が下で、右側のドアが開くことになっているので、都営大江戸線の六本木駅(最も深い場所にある駅)に似ているところがあります。

副都心線の東新宿駅も上下二層式の地下駅であり、1,2番線(新宿三丁目、渋谷方面)が上、3,4番線(池袋、和光市方面)が下となっているので、有楽町線の麹町、銀座一丁目の両駅との共通点があります。

西武鉄道の40000系ライナー仕様車によるS-TRAIN(全席指定)🚃💺は、平日が有楽町線直通(所沢→豊洲、豊洲→小手指間)、土休日が副都心線、東急東横線・みなとみらい線直通(元町・中華街~飯能、西武秩父間、元町・中華街→所沢間)で運転されており、東京メトロの駅での途中停車駅は、平日が有楽町、飯田橋の両駅(小手指行きは乗車、豊洲行きは降車)、土休日が新宿三丁目、池袋(降車専用扱い)であり、東京メトロ線だけでの乗車が出来ないようになっています。

乗換駅

和光市 東武東上線(川越市、森林公園、小川町方面へ直通運転)

小竹向原 有楽町線⇔副都心線、西武有楽町線(練馬、小手指、飯能方面へ直通運転)

池袋 有楽町線⇔副都心線、丸ノ内線、JR(山手線、埼京線、湘南新宿ライン(横須賀線⇔宇都宮線、東海道線⇔高崎線))、東武東上線、西武池袋線

東池袋 東京さくらトラム(都電荒川線、東池袋四丁目停留場)

飯田橋 東西線、南北線、都営大江戸線、JR中央・総武緩行線

市ケ谷 南北線、都営新宿線、JR中央・総武緩行線

永田町 半蔵門線、南北線、銀座線・丸ノ内線(赤坂見附駅)

有楽町 JR(山手線、京浜東北線(日中は快速運転の為通過))、日比谷線・千代田線・都営三田線(日比谷駅)

銀座一丁目 銀座線・丸ノ内線・日比谷線(銀座駅、地上連絡)

新富町 日比谷線(築地駅、地上連絡)

月島 都営大江戸線

豊洲 新交通ゆりかもめ

新木場 JR京葉線、東京臨海高速鉄道りんかい線

雑司が谷 東京さくらトラム(都電荒川線、鬼子母神前停留場)

東新宿 都営大江戸線

新宿三丁目 丸ノ内線、都営新宿線

明治神宮前〈原宿〉 千代田線、JR山手線(原宿駅)

渋谷 銀座線、半蔵門線、東急東横線(横浜経由、元町・中華街駅まで直通運転)、東急田園都市線、JR(山手線、埼京線、湘南新宿ライン(横須賀線⇔宇都宮線、東海道線⇔高崎線)、相鉄・JR直通線)、京王井の頭線

2018年3月17日には新富町駅が日比谷線の築地駅、昨年6月6日には、銀座一丁目駅が銀座線・丸ノ内線・日比谷線の銀座駅との乗り換え駅として認定されるようになったけど、どちらも一旦地上に出てからの乗り換えとなります。

桜田門駅は、霞が関の官庁街の裏の最寄り駅であり、周辺に警視庁、国土交通省、法務省の本部庁舎があります。

日比谷公園の最寄り駅でもあるので、桜田門駅を使ったほうが比較的空いています。

現在は、1991年11月29日に開業した南北線の西ケ原駅が東京メトロの駅で最も利用客の少ない駅となっているけど、それが出来る前は桜田門駅が営団地下鉄で最も利用客の少ない駅となっていました。

桜田門駅は、桜田門外の変の舞台となった桜田門(江戸城の内堀に作られた門)の近くにあることが由来であります。

このことで、元ステーション♪の桜田初姫🌸を思い出します。

葛西の地下鉄博物館で行われたステーション♪のオフ会では、桜田初姫氏🌸と一緒の班だったので、当時のことを思い出しました。

辰巳駅のある江東区辰巳は、皇居の辰巳の方向(南東)にあることが由来となっています。

辰巳駅は、辰巳の森緑道公園(春はお花見🌸を楽しめる)、辰巳の森海浜公園、東京辰巳国際水泳場🏊‍♂️の最寄り駅であり、2番出入口が辰巳の森緑道公園に直結しています。

東京臨海高速鉄道りんかい線の東雲(しののめ)駅のある江東区東雲(しののめ)は、明け方にたなびく雲が由来となっており、篠竹で作られた網の目である「篠の目」であることから、東雲=しののめの語源となっています。

東雲(しののめ)駅は、京都府舞鶴市にあるWILLER TRAINS(京都丹後鉄道)宮津線(宮舞線)にもあるけど、こちらもしののめと呼ぶ駅で、安寿の里の愛称があります。

3月13日をもって廃止されたばかりのJR北海道石北本線の東雲駅(北海道上川郡上川町、安足間(あんたろま)~上川間にあった)は、「しののめ」ではなく、「とううん」と読む駅でありました。

北海道の東雲駅は、3月12日まで下り5本、上り6本(うち1本は休日運休)のみの停車となっていました。

3月13日の改正で廃止された北海道の駅は、函館本線の伊納駅、宗谷本線の南比布(ぴっぷ)、北比布、東六線、北剣淵、下士別、北星、南美深、紋穂内(もんぽない)、豊清水、安牛の各駅、石北本線の北日ノ出、将軍山、東雲、生野の各駅、釧網本線の南斜里駅(合計18駅)でありました。

3月末には、2015(平成27)年1月の高波被害により運休(バス代行輸送🚌)となっている日高本線の鵡川(むかわ)~様似間が復旧されることもなく、正式に廃止され、バス転換🚌されることになります。

昨年4月は、札沼線(学園都市線)の北海道医療大学~新十津川間が廃止されたことで記憶に新しい状態であるけど、浦臼~新十津川間は、1984(昭和59)年3月31日に廃止された清水港線(清水~三保間)の末期と同様に、たったの1往復しかなかったです。

東雲繋がりでこのことを話題にしました。

豊洲は、将来の発展を願って豊かな洲となるように命名された地名であり、豊洲市場にもその願いが込められています。

あーにゃこと水湊あおひ氏😸が出てくる舞台は、5月1日から9日まで築地本願寺ブディストホール(昨年と同じ会場)で行われる「QUEEN DOM 文化女子の戦におけるかくも腹黒き百花繚乱戦国絵巻」であり、あーにゃ😸はBチームとなります。

あーにゃ😸からは、舞台見に来てね❗と言われているので、是非行きたいです。

あーにゃの予約枠がピンチであると言われているので、自分(しゃもじ)🐰が行ってピンチをチャンスに変えてやりたいです。

自分(しゃもじ)🐰があーにゃ😸を救うということになりますように。

本当に長引く第二次緊急事態宣言の解除及び、自分(しゃもじ)🐰のドルヲタ($ヲタ)活動再開を願っています、と言っていたけど、ようやく解除されたことになり、青函トンネルと同様の長いトンネルを抜け出したことになりました。

アイドルたちも、緊急事態宣言が解除されなければしゃもじさん🐰に会えないと言っているに違いないので、解除を願っていたのもそのはずであります。

21日の解除は、聖火リレーに間に合わせる形であるけど、28日の自分(しゃもじ)の誕生日にも間に合いました。

飲食店のほうは、当面21時までの時短営業が継続されることになります。

自分(しゃもじ)が白金高輪で最後にHIGHSPIRITS(ハイスピ)を見てから3月20日で1年経ちました。

そろそろ再会してみたいと思っているけど、コロナ大騒動がネックとなっています。

昨日(3月22日)のさやぽんこと葉月沙耶氏🐶の生誕祭に仕事で行かれなかったのが残念です。

一昨日まで続いていた今回の第二次緊急事態宣言では、前回とは異なり、アイドルのライブが決行となっていたことにより、しゃもじ出禁であったので、自分(しゃもじ)に対する嫌がらせでありました。

これにより、2月14日のバレンタインデーにあーにゃこと水湊あおひ氏😸のプレミアム撮影会に行かれなかったのが残念でありました。

このように、緊急事態宣言により、自分(しゃもじ)🐰がドルヲタ($ヲタ)活動が出来なかったことを、全般検査や重要部検査(自動車で言えば車検)に入場中であることに例えていました。

自分(しゃもじ)はサンライズエクスプレスの285系に乗りたいと強く思っています。サンライズエクスプレスに乗りたい❗日出快车に乗りたい❗あー乗りたい❗あーにゃ乗りたい❗I Wan't to ride the Sunrise  Express❗我想骑日出❗

特に走るビジネスホテルであるシングルDX(シングルデラックス)に乗ってみたいと思っています。

その寝台料金は、13980円(128.55ドル)します。シングルデラックスに乗りたい❗あー乗りたい❗あーにゃ乗りたい❗

coco亀🐢のさゆ氏🧡も、サンライズエクスプレスに乗ってみたいと言っていたので、お互い様であります。

一昨年4月20日は、池袋であーにゃこと水湊あおひ氏😸を見た日でもありました。

今日の東京メトロ17000系は、17101Fが平日65S運用(有楽町線)、17102Fが87S運用の前半(有楽町線)、17103Fが、29S運用(副都心線)に入っていることを確認しました。

17103Fに関しては、一昨日(3月21日)の土休日55S運用の後半(和光市 21時42分発新木場行き)で営業運転入りしていたのであります。

本当に自分(しゃもじ)がそれに乗れる時が近づいてきています。

これまでは、古い画像の使い回しを行っていたけど、緊急事態宣言の解除により、最新の画像も使えるようになりました。

京浜急行電鉄(京急)では、今日(3月23日)と3月26日(金)に、上大岡駅(京急百貨店前)の特設会場で、三浦半島(神奈川県三浦市初声(はっせ)町)にある河田農園でその日の朝に収穫された春キャベツとブロッコリーが販売される企画が行われています。

河田農園から三崎口駅まで自動車で輸送され、三崎口駅で、10時26分発の快特京成高砂(高砂)行き(平日59H(40行路))に搭載された上で上大岡駅まで輸送されることになっているけど、今日は新1000形の1105Fが使われていました。

販売時間は、11時~18時までで、売り切れ次第の終了となります。

3月28日には、東京メトロ日比谷線の南千住~仲御徒町間が開業60周年(還暦)を迎えることになるので、明日(3月24日)から4月4日まで記念のスタンプラリーが行われることになります。

開業当時の日比谷線は、3000系による2両編成でありました。

長野電鉄長野線(長野県)に3500系として譲渡された元営団3000系は、2両編成であるので、長野の地下区間(長野~善光寺下間)で開業当時の日比谷線を彷彿とさせる状態であるけど、同じ日比谷線で活躍していた03系から改造された3000系への置き換えが進められています。

こちらには、元東急8500系も活躍しているので、長野の地下区間で、東急時代に地下を走っていた時を思い出させるようなモーター大人の響きが聞こえます。

長野電鉄長野線の長野~善光寺下間は、1981(昭和56)年3月1日に地下化された区間であり、地下化40周年を迎えていました。

東京メトロ7000系の10両編成は、7110Fと7118Fが廃車となったので、残りは7101,7102,7104,7105Fの4本となっているけど、17000系で10両編成から導入されることになっているので、7000系の10両編成並びに有楽町線での運用の撮影、乗車はお早めにということになります。

緊急事態宣言が解除されたからと言って油断は禁物であり、コロナ感染対策に取り組まなければならない状態となっています。

このことを肝に命じてもらいたいです。

このように、副都心線の池袋駅で、東京メトロ7000系の7105Fを撮影し、話題にすることが出来て良かったです。