皆様こんばんは。ブログおよびホームページ管理人の神@北見です。

 

最近ブログのキハ58系ネタに尽きつつあり、かといって他のネタを提供できないので悩んでいましたが、今日から久しぶりにホームページを更新することにしました。先月2021年2月15日以来なにもホームページ弄っていないですからね。

 

今回もホームページ上のキハ58系イラストの更新を行い、昭和38年度本予算追加及び昭和38年度第2次債務のキハ28のイラストを更新しました。キハ28 329~342に該当します。更新したのは2329・2330・2331・332・2333・344・346・2340・2341・2342の10両です。

 

このグループは非冷房車が半数近くを占め、しかもJRに継承されずに廃車されたものが多く、また盛岡地区では国鉄時代は渡り板に車番が書いていない車両が大半で写真から車番確認が出来ず、335・337・338・339と多くの車両が未確認のまま残ってしまっています…。なんとか見つけたいのですがかなり難しいですね。339は晩年九州へ移動した車ですが、これもなかなか活躍の姿を見れません。

 

このグループは長大編成対応車の初期グループに当たり、バランサー点検蓋無しです。多くが東北地区に配置されていました。

 

あまり特徴のある車両はありませんが、一部ピックアップしてみたいと思います。

 

キハ28 2329

 

↑長らく広島で活躍しましたが急行「みよし」の運用終了後は急行色に変更の上岡山へ転じ、イベント用として残存しました。ただし急行色の塗り分けが原形と微妙に異なり、正面の窓周りの赤色は若干低いなどの相違がありました。現在は津山に保存されています。

 

 

↑キハ28 2329の急行「みよし」時代です。最後は急行色になり津山で活躍し、現在でも津山で大切に保存されているのは幸運ですね。

 

キハ28 2333

 

↑東北生え抜きのキハ28では少数派の冷房車です。東北地区では秋田担当の急行「しらゆき」「きたかみ」基本編成に冷房車が入っていました。その割に上野まで顔を出す「おが」には冷房車が入っていませんでした。「おが」基本編成にもキハ28が入っており、指定席車だけでも冷房化することは可能だったと思いますが…。

 

↑キハ28 2333は長く秋田で活躍し、最後は波動用や男鹿線キハ40系の予備車としても活躍していました。

 

キハ28 334

 

↑キハ28の非冷房車自体JRへの継承率が低くこの車はその中でも機関換装(火災対策工事)の対象となった少数派でした。盛岡地区で活躍しましたが1992年には秋田に転じて1995年の田沢湖線の新幹線化まで活躍しました。

 

 

キハ28 336

 

↑キハ28の「うみねこ」「むろね」用車は336と390の2両が用意されましたが、390はすぐさまキハ58 416と交代し一般車に復元されました。当車はそのままJRに継承されましたが機関換装の対象とはならず、この塗装のまま廃車となりました。

 

 

キハ28 2340

 

↑キハ28 2340・2341の2両は1971年に小牛田から千葉へ転属し、その後冷房化されました。房総電化後は名古屋に転じ、2両仲良く同じような道を歩みました。

 

↑キハ28 2340

 

↑キハ28 2341

 

この2両は瓜二つの外観をしています。細かな差異はありますが、貫通ドアの千葉ヘッドマークステイが特徴ですね。

 

今回のグループは形態不明車が多く、だんだん特徴も少なくなってきました。今後は更新のペースを上げて特徴のある車をピックアップしてゆきたいと思います。

 

今回も最後までご覧いただきありがとうございました。それでは次回もお楽しみに!!

 

是非私のホームページ

 

http://kami-kitami.sakura.ne.jp/index.html

 

にもキハ58系各車の解説がありますのでご覧になってください。