敦賀から下関まで 冬の日本海岸を鉄路で行く 30 / 青春18令和2・3年冬紀行 最終日
冬の荒れた天気の中、山陰本線を西に進み、益田駅までたどり着きました。
益田17時47分発、長門市行き鈍行列車。
定刻、発車します。
すでに陽は落ちています。
雪の中、列車は走ります
木与駅、18時37分発のところですが、ここで行き違いを行う対向列車が遅れています。
4分遅れの18時41分に発車しました。
山陰の小京都と言われる萩市の中心駅です。
次の萩駅
「萩」を名乗っていますが市内中心部は東萩のほうが近く、こちらの萩駅は閑散とした無人駅です。
終点、長門市。定刻では19時37分着のところ、3分遅れの19時40分着。
向かいのホームに停まっていた、19時39分発小串行きの鈍行列車に乗り換えます。
この時間帯、令和2年3月のダイヤ改正前は益田から下関まで乗り換えなしに行けたのですが、改正後は長門市と小串で系統分割され、2回乗り換えなくてはならなくなってしまいました。
すでに発車時刻を過ぎているので、乗り換えが住むとすぐに発車します。
雪の中、列車は発車します。
終点、小串着。定刻の20時55分着。
ここでさらに下関行きに乗り換えますが、列車は跨線橋を渡った別ホームに停車しています。
跨線橋の上から見る、今乗ってきた小串どまりの列車。
その跨線橋は上屋根はなく、雪が張り付いていた階段はガチガチに凍結していた。こりゃ危ね・・
20時59分発、下関行き鈍行列車。
定刻、発車します。
雪が積もった中を列車は進んでいきます。
幡生着、定刻では21時23分着のところ、7分遅れて21時40分に到着しました。
幡生は京都から続く山陰本線の終点です。幡生からは山陽本線に合流します。
ところでこの雪で、山陽本線のダイヤも乱れているようなのです。
幡生では先に山陽本線の列車が先に出ると案内がありました。なのでここで山陽本線の下関行きに乗り換えることにしました。
雪のホームに入ってきた山陽本線の電車、黄色一色の国鉄115系電車3000番台。
時刻は21時41分。
おそらく定刻だと21時27分という列車がありますので、その列車ではないでしょうか。だとしたら14分遅れということになります。
山陽本線のほうが遅れて入ってきても、路線の格では山陰本線より上なので、山陽本線の電車のほうを優先して運行させるのでしょうね。
そして幡生から一駅で下関、21時46分に到着。
ちなみに山陰本線の列車が定刻で運転されていたら、下関には21時41分につくはずでした。
本州の西端、 下関駅
ここからまた列車を乗り継いで九州に帰りますが、九州島内もこの大雪で・・
・・・と言っても雪の量は、山陰とか北陸なんかの雪国に比べれば屁みたいなものなのですが・・・
それでも列車のダイヤは乱れまくり、バスに至っては運休も多発していました。
どうにかかこうにか、予定より大幅に遅れましたが、日付が変わる頃には自宅にたどり着き、ほっと一安心です。
最初は冬とは思えない穏やかな陽が照っていたのですが、天橋立を歩いている途中からにわかに天候が急変し、その後は大荒れの天気となりました。
敦賀から下関まで、気比神宮・天橋立・中嶋神社に立ち寄りながら3日間かけて日本海岸の鉄道線を進んできた旅、完結です。
お読みいただいた皆様、ありがとうございました。
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