3月13日のJR北海道のダイヤ改正で、宗谷本線などの無人18駅は廃止となってしまいましたが、その消えゆく駅を訪問する旅の続きです。

今回は1月24日の後半として、石北本線の北日ノ出駅と函館本線の伊納駅(いずれも旭川市に所在)を訪問し札幌へ帰路に就くまでの行程を紹介します。記事のボリュームが大きくなりますが、最後までお付き合い頂ければ幸いです。

 

 

前回の記事で紹介した下士別駅から乗車した324Dは12:48に旭川駅6番線に到着。

今回乗車した708を含む旭川のキハ40形未更新車700番台は、新鋭H100形の大量導入に伴いほとんどが運用を離脱した模様ですが、改正後は一体どうなったのでしょうか?更新済みの1700番台は今後も使用されますが、室蘭本線にもH100形の運用が開始された事によって道内各所の間で転属が予想され、状態の悪い車両は廃車になる可能性もあります。いずれにしても、実際に現地で確認してみない事には何ともいえませんが。

 

 

 

お昼時はとうに過ぎていますが、まだ昼食を頂いていない(ちなみに朝食は車内で済ませた)ので駅東口寄りにある『駅ナカ食堂 なの花』に入ります。

 

 

 

多寄→下士別の雪中行軍で汗ばんだ後はすっかり体を冷やしてしまったので、暖まるメニューとして味噌ラーメンの大盛(\640+大盛\70)を頂きました。野菜不足を補うにも丁度良いし。

 

 

 

お腹も満足した処で乗り鉄を再開します。

次の目的地である石北本線の北日ノ出駅へ向かうため、13:40発上川行4527Dに乗車します。

 

 

 

5番線から発車する4527Dはキハ40の未更新車829の単行。

緑色のサボは、国鉄末期~JR初期に普通列車の愛称として用いられていた『マイタウン列車 そううん』の名残りです。

 

 

 

キハ40 829は1977年製の最初期車・104が原番号で、それ故に内装化粧板がキハ22形や711系と同様の薄茶色4号となっているのが特徴です。キハ40系草創期から44年もの長きに渡って活躍してきましたが、コチラも同様にダイヤ改正で運用離脱したのでしょうか…?

 

 

 

この駅名表示がされるのも3月12日まで…。

 

 

 

13:59,北日ノ出駅に到着します。他に同業者の姿は見られませんでした。

このアングルだと太陽🌞がバックでモロに逆光…。

 

 

 

上川へ向かうヨンマルの雄姿を見送りました。

 

 

 

コチラも駅名標は真新しいです。

 

 

 

1960年に仮乗降場として開業した北日ノ出駅。当時から設置されていたと思われるブロック積みの待合室が残存していました。駅の北側は主に農地が広がり、人家はまばら。

 

 

 

駅名看板はかつて『北日の出』と書かれていたそうで、「ノ」に見えるように一部を塗り潰した跡があります。

 

 

 

待合室側からホームを見た図。写真では判りづらいですが、線路の反対側(南側)には農地を転用した旭川工業団地が形成されており、工場や運送会社などの事業所が建っています。廃止される駅は人里から離れているか、若しくは人家もまばらな場所への立地が多い中、当駅のケースは異例ともいえます。

 

 

 

待合室内部の様子。スポンサー入りのベンチが置かれています。

右側のベンチに書かれている『良いお酒 花の友』とは、現在のオエノンホールディングスの中核企業である合同酒精(旭川発祥)が製造販売する清酒。

 

 

 

『清酒 旭正宗』って旭川の地酒かと思っていましたが、埼玉(浦和)に同名の酒を製造する酒造会社があり、そのブランドなのか、はたまた、かつて旭川で造っていた同名のお酒なのか…?

 

 

 

もう1個のベンチ『新世アイスクリーム』。このブランドは存じ上げませんでしたが、宮城県にあった新世乳業(後の新世フーズ、倒産)が製造販売しており、かつては北海道にも販路を拡げていたようです。

 

 

 

駅ノートはやはり100均のファスナー付きポーチに収納。中には愛好家が描いたと思われる待合室と女の子のイラストが印刷された紙がそこそこの枚数入っており、『お1人様1枚』という事で私も1枚頂いてきました。

 

 

 

発車時刻表と運賃表。

せっかく工業団地に面した立地にも関わらず、上り5本、下り4本という仮乗降場時代からあまり変化のない停車本数では不便過ぎて通勤客からは見向きもされなかったでしょう…。

 

 

 

駅全景を撮って、北日ノ出駅を後にします。

次の上り旭川行である4530Dは当駅を通過してしまうため、隣の東旭川駅までまたも徒歩で移動する事になりました。

 

 

 

踏切のある道路の両サイドには工業団地に立地する事業所が立ち並んでいます。北日ノ出駅から東旭川駅の間に線路沿いをストレートに結ぶ道路はないため、複雑な経路を行く必要があります。

 

 

 

駅に向かう道を歩いていると、大雪山系の山並みと、地上波TVの送信所がある旭山が見えてきます。旭山の麓にあるのが言わずと知れたあの旭山動物園ですが、その最寄り駅でもあったのが北日ノ出なのでした。しかし2次交通は整備されておらず、30分程度歩く必要がありました。

 

 

 

ようやく東旭川駅の停車場標識と場内信号機が見えてきて、駅構内手前にある最初の踏切を渡ります。

 

 

 

少し西に進んだ後、駅構内に入った処にある踏切を渡ります。

東旭川といえば、1988年の8月にプロパンガス充填工場で死者まで出した大爆発火災があったのをTVのニュースで知り愕然とした思い出があります。この事故により石北本線も一時不通となりましたが、万が一走行中の列車が爆発に巻き込まれていたら…と思うとゾっとします…。その事故があった工場は踏切の西側(画像でいえば右手前側)にありました。

 

 

 

距離にして2.7㎞、歩く事33分で東旭川駅に到着です。

駅前にはタクシーが待機しています。

 

 

 

かつては東旭川町という独立した自治体の代表駅でもあった東旭川駅。

現駅舎となったのは1989年秋の事で、同時期には他に近文、蘭留、西神楽、千代ヶ岡といった旭川近辺の各駅も建て替えられています。

 

 

 

利用客が比較的多いからか、無人駅としては珍しく待合室にはストーブが燃えていました。

 

 

 

私が駅に着いて程なくして、旭川駅を14:40に発車したキハ150-8単行の3583D特別快速きたみが到着しました。

かつては旭川~上川は途中当麻のみ(※コチラも当初は通過していた)停車で、北見までの間は特急停車駅のみの停車だったのに、旭川~当麻の普通列車とダイヤを統合したため、現在特急並みといえるのは下りに関して言うと当麻~遠軽の間位なモノ。もはや、特別快速ではなく区間快速というべきでは?

 

 

 

現在は『ひがしあさひかわ』ですが、1988年3月までは『ひがしあさひわ』と、旭川駅などと同様に『がわ』と濁点入りの読み方でした。

 

 

 

しかし…このホーロー製縦型駅名標に注目してみてください。

何かお気付きではありませんか?

 

 

 

なんと、読み方が変わって33年経過した時点でも、元々の読み方の駅名標が残っているではありませんか!北日ノ出駅に向かう車中で気付いたのですが、コレは新発見でした。

この記事を読んで、駅名標を『盗り鉄』しようと思ったマニアはいないだろうね!?そんな輩がいない事を信じていますが、犯罪行為は断じて許しませんゾ!!

 

 

 

再び待合室に入って列車を待っていたのですが、構内踏切の警報器が鳴りだしたのでホームに出て見ると、2番線にDE15 2521(旭)の排雪列車が入って来たではありませんか!

これから乗車する4530Dと交換するために停車します。この日は見事な晴天だったので、旭川をはじめとして道北各地で撮り鉄された方も多かったのでは?

残念ながらこのアングルだと前面がモロに逆光なので、大幅にレタッチさせて頂いています。

 

 

 

4530Dが到着しました。またも未更新のキハ40 721による単行です。

当駅からは私の他に、旭川などへ向かう若者数名が乗り込んできました。

 

 

 

旭川駅6番線には15:22に到着。

 

 

 

7番線には721系F-6編成による岩見沢からの2329Mが15:38に到着し、折返し16:12発の岩見沢行2334Mとなります。コレに乗って、旭川から2つ目の伊納駅に向かいます。

 

 

 

721系はデッキ付き故に密室になりがちなため、コロナ感染予防のために冬期間においてもデッキ扉を解放する事になっています。乗降扉には半自動機能もないため、停車中の車内にはモロに冷気が入り込んできます。しかし、キハ40や54での普通列車ではデッキ扉を解放する決まりはなく、例え解放していたとしても運転士が閉めてしまうので整合性がありません。むしろ空調設備のないキハ40や54こそデッキ扉を解放すべきだと思いますが…?

 

 

 

この日はツインクルプラザの休業日だったため、みどりの窓口で北日ノ出→伊納のマルス券を記念に購入しました。

 

 

 

旭川から10分で、2日間の旅で最後の廃止予定駅訪問となる伊納駅に到着します。

 

 

 

駅名標は、宗谷・石北本線の駅と異なりそれ程新しいモノではありません。

列車で訪問するのは今回が最初で最後でしたが、実は私にとってこの駅には思い出がありまして…。

 

 

 

この写真は私がまだ『ホンモノの』鉄道少年だった頃の1987年8月、当駅を管理していたとある駅の駅長さんに撮って頂いた1枚です。詳細は伏せますが、私は当時その駅長さんと交流があり、ご好意で管理駅巡回の時にご一緒させて頂いた時のモノでして、今ではファンとの私的な交流、さらには業務中に部外者と一緒の行動は完全にNGですが、当時はまだ大らかな時代で、現場の社員には鉄道趣味に対して理解ある方が多かったのです。地方のローカル駅では「ちょっと入っていきなヨ」と事務室に入れて頂いた事もよくありました。そんな事もファンと現場社員との間の信頼関係の上で成り立っていたのです。

もう30数年前の事という事もあり、時効なので今回掲載させて頂きましたが、業務中だというのにいろいろとお付き合いして頂き、お手を煩わせてご迷惑をお掛けしたという罪悪感もあり、その駅長さんとは自然と疎遠になってしまいましたが、今でもお元気にされているのでしょうか…。もしも再びお会いする機会があれば、あの時のお礼とお詫びをきちんとしたいです。

 

 

 

それから33年半後…ほぼ同じ位置から撮影したモノですが、ホームの鉄柵は錆だらけとなり、背後の風景も大きく変わっています。ホーロー製の駅名標も盗り鉄対策からか既に撤去されてしまいました。

 

 

 

ホーム側から駅舎を見た図。伊納駅といえばいわゆる『ダルマ駅』の元祖的存在で、1984年2月ダイヤ改正での貨物列車の大量廃止で余剰となったヨ3500形車掌車の有効活用と、老朽化した木造駅舎を安価に建て替えるという一石二鳥的な考えで、1985年7月に道内で初めてこのテの駅舎となり、以後民営化直前までの間に全道各地に普及しました(道外にも、旧信越本線、現しなの鉄道線の平原駅などの例があり)。

尚、廃止される『ダルマ駅』で私が列車に乗り降りする形で訪問したのは当駅のみで、宗谷本線の紋穂内、安牛、上幌延の各駅は他に廃駅となる南美深と豊清水も含め、昨夏のマイカー利用での訪問のみとさせて頂きました。ご了承ください。

 

 

 

駅の東側は保線と電気の研修施設になっているらしく、本線とはつながっていないレールが敷かれ、その上には通電されていない架線が張られています。冬季は雪で埋もれて使用されていないようですが。

 

 

 

再び昔の写真ですが、コチラも件の駅長さんに撮って頂いた1枚でして、まだ真新しい伊納駅舎と入口に佇む私が写っています。ご覧の通り、旭川鉄道管理局管内の『ダルマ駅』は当初アイボリーホワイトと緑色に塗られていました。

その後伊納駅は、かつて石狩川の対岸の台場にあった北都商業高校の通学生のために手前側に同型の待合室をもう1つ増設しましたが、同校の閉校により利用客が激減した事に伴い、結局後に撤去されています。コレも一つの謎ではありますが、増設した当時は既にJRになった後なのでタネ車である車掌車の残存車はないハズであって、どこかの廃車体を拝借したのか、それとも他のダルマ駅から移動してきたのか…。

 

 

 

そして現在…。雪のため同じアングルで撮るのは不可能なため正面からの撮影ですが、背後に写る跨線橋も含めてご覧の通り錆だらけという哀れな姿を晒しています…。

今回列車で訪問したのは私だけでしたが、クルマで訪れた者が他におり、跨線橋には彼の姿が見えます。

 

 

 

内部の様子。他の『ダルマ駅』と比較して内装の劣化、荒廃が進んでいます。

 

 

 

入口脇にあった『謎の機械』。上には『週刊少年ジャンプ』の漫画雑誌と駅ノートが置かれています。

 

 

 

その謎の機械、液晶表示にレールと外気の温度が表示されており、何かデータを送るためのモノなのでしょうか?夕刻になり、再びシバレがキツくなってきましたが…。

 

 

 

かつてはFFストーブによる暖房があったようで、今は使われなくなった排気筒があり、誰が置いていったか『札幌八幡宮』の絵馬がぶら下がっていました。

 

 

 

きっぷ運賃表。他の路線の駅とは異なり、各方面への運賃が掲載されています。

そういえば発車時刻表を撮るのを忘れてしまいましたが、下り9本、上り10本と全ての普通列車が停車し、他の廃止される駅と比較して停車列車の本数は多かったです。

 

 

 

駅前風景。人家などが数軒建っており、人里から全く離れているというワケではありませんでしたが、駅を利用していると思われる住民はほとんどいなかったようです。

 

 

 

すっかり陽も暮れてしまいましたが、再びホームに出ます。

16:55に旭川駅に到着する3025Mライラック25号を撮り鉄してみましたが、ピントが甘く失敗作…(汗)。

 

 

 

再び旭川駅に戻るため、下り列車が発着する2番線ホームに移動します。

この跨線橋から撮り鉄しとけば良かったなぁ…。

 

 

2番線ホームから見た1番線ホームと背後の山。

夜になっても空はスッキリと晴れ渡っており、月の光が見えたので一緒に撮りました。残念ながら満月ではありませんでしたが。

 

 

 

721系F-2編成による旭川へ向かう岩見沢からの2331M(17:00発)が到着し、私は伊納駅に永遠の別れを告げました。

 

 

 

本来ならば17:10に旭川駅に到着する処なのですが、猛烈なシバレのため駅構内に停車していた車両のブレーキが凍結した影響で、解氷作業に手間取り車両の移動ができなかったため、1つ手前の近文駅で抑止されてしまい、結局旭川駅5番線に到着したのは17:23でした…。

隣の4番線に停車している9038Mライラック旭山動物園号で札幌に戻ります。

 

 

 

お気付きかとは思いますが、先程伊納駅で撮り鉄したライラック25号の折返し運用で、789系のトップナンバーであるHE-101+HE-201(OKHOTSKラッピング)が充当されています。

ライラック旭山動物園号に乗車するのは2度目ですが、前回が『ASAHIKAWA』ラッピングのHE-106+HE-206編成だったのでソレが優先的に投入されるかと思いきや(JR北海道のライラック旭山動物園号HPでも同編成のイラストや写真キャプションが使われている)、必ずしもそういうワケではないようです。

 

 

 

帰路のライラック旭山動物園号は予めえきねっとトクだ値45で予約してあり、きっぷは伊納駅に向かう前に指定席券売機で受け取り済でした。

HE-101+HE-201編成は未だにリニューアルされていないオリジナルの内装ですが、他の編成同様にいずれ更新される事でしょう。

 

 

 

乗客にはイベントスタッフの手によってペーパークラフト型の乗車証明書が配布されます。

1号車のグリーン室は座席販売されず、動物をデザインしたシートカバーか被せられた記念撮影スペースとなっているのですが、いくら『永遠の鉄道少年』といえども、流石にソチラに立ち入るのは遠慮しておきました…(汗)。

 

 

 

そんなライラック旭山動物園号ですが、私が乗車した指定席の2号車の乗客は終始私1人!

気の毒な程ガラ空きで、記念撮影スペースに行き来する乗客も少なかったです…。

 

 

 

終着駅が近づいてきました。

このように、ライラック旭山動物園号の運用時にはインフォメーションボードにひらがな表記が追加されます。

 

 

 

18:55、終着・札幌駅に到着。2日間の旅が終わりました。

やはりヘッドマークは回送に切り替わっています…。

 

 

とりあえず廃止予定駅訪問第1弾の旅は終わりましたが、この後も第2弾、第3弾…と旅は続いて参ります。次回はまたしても宗谷・石北本線の廃止予定駅を廻る旅を紹介します。

つづく