3月JRダイヤ改正の話②国鉄型引退に伴うネット民の反応に思う事 | 鉄道きさらんど

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今月の改正では元々少なくなっていた国鉄型の引退がさらに進み、旧時代の残滓を一掃する総仕上げの段階へと入ったと言える。ファンの注目を集めたのは関西線などで運用されたJR貨物愛知機関区のDD51の引退、JR西日本七尾線の国鉄型近郊・急行電車の引退だろう。このうちDD51は一部のJR旅客会社にわずかに残るDD51の様に国鉄色ではなく、西日本の国鉄型も単色化され、しかも国鉄時代の七尾線は非電化だったので電車の入線はなく413系も415系もJR発足のしばらく後の七尾線投入。415系800番台はJR発足後に113系の交直流電車への改造で生まれた系列で国鉄時代に存在しなかった。ともあれ国鉄時代に元々のタネ車はデビュ-を果たしておりDD51ともども2021年・令和3年の今までに現役の定期運用車両として生き残った昭和の国鉄時代の車両として注目を浴びるのは理解できる。

七尾線については旅客の日々の利用の快適性や利便性が増す521系へ交代する。国鉄型を追いかけるファンも骨董品的な魅力を求めていて交通手段としてのよさが新車置き換えで増すことは異論は誰もないと思う。ファンもそれくらいは承知だし、マニアが国鉄型をありがたがるから新車置き換えが進まないというわけでは決してない。(ここまで新車投入が遅いのはJR西の経営判断がすべてだろう。)なんでも鉄道ファン叩きに持ってけばいいわけではない。

 

また気になるのは新車置き換えやファンの反応それ自体ではなくSNSでのファンの反応への反応である。185系でも「昔は185系は格の低い車だと馬鹿にしたのに今になって掌返して名車とたたえる人」をディスる言説があったが、DD51や七尾線の近郊電車もデビュー時はそれより以前の世代の車両より味気ないとか叩いていたのに(特に蒸気機関車の置き換えをしたDD51)今になってありがたがる奴はきもい。これだから「痛い鉄ヲタは・・・」と実在しているかどうかわからない鉄道ファン像をつくり呪詛の言葉をぶつけている人たち。

 

これは例えばJR時代の車両でも209系や新幹線300系・700系はデビュー当時は叩かれたが京浜東北線や東海道新幹線のさよなら運転は盛り上がったのは鉄ヲタの自己矛盾ダー!みたいに言う人がいるが、どの形式もデビューから20年から30年、場合によっては半世紀近くたっておりデビュー当時貶した人と引退が近づくとありがたがる人は別人ではないだろうか?それだけの歳月がたてば鉄道ファンも世代交代しているのでは。「昔貶して掌返しで今褒める人」ははっきり言って実在しない藁人形だと思う。何十年も歳月が流れれば世代交代しているから古い世代と新らしい世代で価値観が異なるのはどんな分野でも当然ではないかと。

 

まぁ、一部にはひょっとしているのかもしれない。しかしそうだとしても自分は不快感を感じないし「だから何?」と思うだけ。自分は同じ人が評価を変えるのも殊更おかしいと思わない。長い歳月が流れれば青少年が壮年から老年となり、働き盛りだった人も終活の歳になる。時代が流れるという事は社会や生活環境が変わるという事、人が老いれば意識が変わる。むしろ何も変わらないのが不自然といえるので。一人として同じ人はいなく、考え方はそれぞれだし、同じ人が時代の変化と主に変わってもいい。

 

鉄道車両に限らずもともと貶されてたのが称えられたりその逆もあるのは世の中珍しくない。世代が変われば同じモノやコトでも評価は違う。同じ人でも歳を重ねれば変わってもおかしくない。時代も人も常に変わるのだし、あらゆる物事に絶対はなく相対的だから時代や人によって価値観は人それぞれ。人それぞれを認められる人、認め合える関係が、成熟したオトナの社会、社会を構成するオトナの条件といえるのではないかと。そういう意味では自分こそマニア以外の何物でもないのに同族嫌悪でいるかどうかわからない「痛い鉄ヲタ」を探し求めてやまなかったり藁人形を作って呪ったり揚げ足取りするひとこそ未熟な子供なんじゃないかと思う。

 

結局は内輪でそういう風な嘲笑をしたいネット民って、「先生!ほら〇〇君があんなこと言ってまーす!」「い―けないんだいけないんだ」って学級会でやってる優等生ぶった子供のノリで、それこそ成熟したオトナのふるまいとは思えない。