3月JRダイヤ改正の話①185系の評価 | 鉄道きさらんど

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いつも列車・バスなど公共交通の事ばっか考えてます。

JRダイヤ改正は今やすっかり3月の風物詩と化したが今年も13日に実施された。このことについていろいろと書こうと思う。

 

185系電車が定期列車から完全に退役した。毀誉褒貶の激しい、はっきりいって貶す人の多かった185系だが長年ローカル格下げをされず定期特急車両の地位を失わずいられたのは国鉄型特急車の中では稀有だと思う。185系はもともと急行型として設計されたとも言われているが165系などは急行の快速格下げなどもあり、最後は快速運用すらなく地方線区の普通電車にばかり充てられている車両も多かった。

 

もっとも、この車両は踊り子などの特急より臨時快速や間合い鈍行で乗ったという人が多そうだがそういう特急型車両の格式にとらわれず格下の種別の列車に幅広く運用する使われ方を元々から想定していて、原型を大きく変えずともいろいろな列車に使えることでデビュー当時の姿を概ね保ちながら今まで居られた車両。

 

元々国鉄末期のいろいろな事情で従来の国鉄全盛期のいかにも敷居が高かった特急よりも急行に近い特急として生まれた185系。それだけにもともと国鉄特急としては風格が薄かったと言え団臨や快速や間合い鈍行にそのまま柔軟に使えたので、いかにもデビュー時より格落ちしたかのような姿になる改造も無かった。また70年代までの国鉄型は基本的特急型、急行型、通勤型とか機関車、電車、気動車、客車という種別や用途ごとの違いはあっても、物理的に乗り入れられる線区なら番台ごとに仕様を細かく変えても1形式で全国の幅広い線区で使えるようにしていた。それが185系は東京圏発着の直流線区の比較的距離の短い区間の特急列車として設計された。もともとから民営化後でいうJR東日本の一部と東海の一部の線区と伊豆箱根鉄道のエリアのみに運用範囲が絞られ民営化後もJR東日本にのみ承継され他社への譲渡なども、東日本エリアでも関東の外への広域転属のような動きもなかった。

 

185系が開発されたころはすでに国鉄が危機に陥っていたとはいえ具体的に政治や行政が国鉄改革へと動き出していなかった。しかし後のJR時代(広域輸送を担う新幹線以外は地域密着輸送に注力するのが理念)の在来線都市間列車用車両に求められる姿を先取りしたコンセプトだったとさえいえるのではないだろうか。しかも、もともと転換クロスシート(これでも当時の国鉄特急や新幹線はフリーストップリクライニングや回転対座機構がない椅子の車両ばかりだったのでデビュー当時は案外評判は悪くなかったようだが)だったのがリクライニングシートになったりと地味ながら接客設備の改善はあった。確かに185系は特急ならではの特別な上質さはないが、一方で設備がデビュー時より悪くならなかったのも事実だろう。国鉄型は急行型も特急型もローカル改造でしょぼくなっている車両が多かったのに比べれば…。

 

ただ、ほかの国鉄型優等車両の様にジョイフルトレインへの改造のような飛躍的に豪華さを増す展開もなかったが。

 

185系がデビューした頃には国鉄が経営のかじ取りを誤りシェアを落としその存在意義自体が揺れ動く時代へと既になっていたがその前、昔の陸上交通の王者としての勢いがあった古き良き「大国鉄」の頃に作られた優等車両は時代が流れて移動手段の多様化や国鉄のシェア低下の変化に合わず本来の用途を失ったり元々の需給予測が外れて余剰となり打ち捨てられた車両が多かったもの。寝台客車はどんどん廃車されたし食堂車もそう。またローカル格下げで原型を失ったりとか…。

 

国鉄の優等車両は、例えば急行型だと165系や58系等は急行列車の減少でローカル格下げされてロングシート追加やデッキ撤去等で大きく雰囲気を変えた。特急型だと583系は大手術でローカル電車化されて、しかし転用先でも特急専用としての設計からくる扉の狭さが地域輸送には使いづらかったという事さえあった。185系は往年の特別な列車であった国鉄特急らしい格式はなく「帯に短し襷に長し」的な特急と普通・快速の両方に使うの前提で、特急としては高級感がない、普通としてはつめ込みが利かないという中途半端なもの。しかしどちらにも一応は使える設計で、大手術を伴わない改良で原型を失わず、もともとの持ち場も失わなかった。

 

元々大昔の国鉄は特急は主要幹線の特別な長距離列車(食堂車連結も当然)、それ以外の線区や距離は急行という格があって、それに合わせて特急型や急行型を開発して走らせていたが国鉄自身が新幹線を伸ばしたし飛行機や高速バスなど交通手段の多様化で花形の長距離特急から特急も寝台車や食堂車のないより短距離の大衆的な列車がメインになり(L特急の誕生。)特急の短距離化・自由席連結で急行が激減し特急が急行の領域へと近づいた時代に合わせて設計されたのが185系。これはいろいろな政治的都合で運賃を値上げできない国鉄が増収の方便として急行を廃止して特急化したという都合があるが、そのことの賛否は別として最初から特急の短距離化や大衆化という変化を織り込んで作っただけにもともと想定された使い方で今までこれたのは185系の良さだとは思う。特急の大衆化も、もともと民鉄の着席サービス列車は「特急」ばかりで、バスも都市間バスは特急バスで国鉄だけ厳密に急行と特急のヒエラルキーを守り続けるわけにもいかず、急行的な特急の誕生は時間の問題ではなかっただろうか。特急料金体系ものちはB特急料金が創設されたし。

 

「185系は旧きよき時代のの国鉄魂を今に伝える名車だ!」という物言いは勿論正鵠を射るような評価ではないが(実際にそういう見方をする人は現実にほとんどいないので藁人形論法だと思う)時代の流れに揺れ動いた頃の国鉄ならではの旧来の既成概念にとらわれない新しいコンセプトの車両、そしてコンセプトがJR時代にも活かされた車両という評価だと思う。