思えば、この電車ほど運命に翻弄された電車は珍しかったかもしれない。
特急列車と普通列車両用
相反するコンセプトを前提に、登場してから40年。
1980年代当時の特急としてはローグレードの転換クロスシートと開閉可能な窓。
結果としてどっちつかずのような位置づけになり、近年までの評価は芳しくなかった。
1990年代後半からのリニューアルで、普通席がリクライニングシートに交換されてやや特急寄りの
アコモデーションになったものの、近郊型スペックの走り性能もあってなんとなく中途半端。
かくいう自分も、昔は185系はほとんど眼中になど無かった。
それは…という話は、またどこかで改めて書いてみたい。
延べ35年半におよぶ思いの丈は、完全に引退した時に取っておくことにする。
そんな思いを乗せながら、40年。
ついに昨日、185系は定期列車としての使命を終えた。
長い国鉄優等列車の歴史で、おおむね登場から20年を超えると格下げされていくものが多かったが
実に約40年も定期の特急列車に使用され続けてきたのは異例の部類に入るだろう。
それでも、中央線のE353系への置き換えと、E257系の転用改造が順調にさえいっていれば…等と
また複雑な気持ちになるのだが、ともかく細々思いはあれど走り切ったことは感慨深い。
さて、本当なら5日の乗車で区切りがついていたはず。
そして翌6日土曜日に横浜にライブを観に向かう途中、川崎で踊り子12号を撮影していた。
ところが。
伊豆箱根鉄道から、まさかのプレスリリースが出た。
マジか‼️
あまりの好評ぶりに即完売した、伊豆箱根鉄道独自企画の記念乗車券。
通信販売分も早くに売り切れてしまい、意気消沈していたところでの再販の知らせだった。
これは嬉しい❗️今度こそは必ず…と思ったら、発売日を見て驚愕。
3月12日(金)
マジかぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ‼️
まさかの185系最終日に寄せてきたではないか。
ということは、また再販分も一気に…と考えを巡らせると、止むに止まれなくなってきた。
こんな時だけ頭の回転は早く、あれこれグルグル巡らせて、完全に決める前に手配を打った。
こうして、半ばぶっつけながらも【最後の最後の旅】が急に動き始めることとなった。
昨日、3月12日朝。
なんとなく数日前から不眠気味ではあったが、少し早めに自宅を出発。
先ずは浜松町駅で185系の湘南ライナー2号を小便小僧とともに迎撃。
既に昨年末からここで何度も記録しているので、敢えて控えめに。
もう幾度となく東京駅から185系を利用したり写真を撮ってきたりしたから、ここで今更に敢えて
入線するシーンを撮ったりするなどはしないで過ごす。
それでも、行き先案内のLEDのお知らせが特別バージョンになっていたから動画で収めた。
…まぁ、自由席が満席になって座れなくなるのを極度に恐れただけってのもあるんだけどw
そうして踊り子3号の入線は約7分前、ドア開扉が約4分前とかなりギリギリ。
自由席は意図した9号車の山側に、無事に座席を確保した。
構内放送で車掌に注意伝達が行き、すぐに直されたが…
1~10号車の方向幕が「修善寺」になる、極めてレアなシーンが最後の最後に見られた。
お馴染みの「つきじ喜代村」の三色弁当(1,100円)を食べながら西を目指すことに。
昨日ぐらいはビールで祝杯ともいきたかったが、時間の関係でそれは割愛した。
ルーティンといえば、近年は踊り子に乗るときは、基本熱海までは必ず9号車自由席。
MT54モーターの唸りをBGMに、ゆっくり旅をするのが定番だった。
茅ケ崎まで回送される215系に追いつき、追い越しを繰り返す。
昨日は大船手前で捕らえたものの停車で一旦抜き去られ、藤沢で再度捕らえる。
結局茅ケ崎手前くらいで抜き返し、ここから快調な走りが続く。
…こうして順調に走り、定刻に熱海に到着。
ギリギリの鬩ぎ合いに肝を冷やしたりもしたが、どうにか無事故でやり切ったようだ。
ここから伊豆箱根鉄道に引き継ぎ、渡り線をゆっくり通過する。
ここでも順調に走行。
いつもより乗客が遥かに多い、という以外はきわめていつも通りに、修善寺に到着した。
無事に買えてよかった!!
聞くと、前回の通信販売分は僅か5分で完売したとの由…どうりで😓
青春にレールはない。
いいフレーズではないですか!
高校3年生向けに配布していたのは聞いていたけど、まさか貰えるとは思わなかった。
ちょっとあの頃を思い出してセンチになりながら、駅の外に出てみると…