いよいよ、本日3月12日、JR北海道の無人18駅が最後の時を迎える事となりました。
 

トップ画像は、見ての通り宗谷本線の北星駅なのですが、昨夏にマイカー利用で訪問した時に撮影したモノです。

今回、改めて列車で行ってみる事にしました。

廃止予定駅訪問記、初日の1月23日は東六線駅のみでしたが、翌24日は一挙に4駅を廻っています。今回は24日の前半として宗谷本線の北星、下士別駅を廻った後旭川駅に向かう列車に乗るまでの行程を紹介します。

 

 

 

そんなワケで、旭川駅6:03発の宗谷本線稚内行321Dに乗るために早朝の5時半にホテルをチェックアウトして旭川駅に向かいます。

この日は放射冷却で-20℃を下回る厳しい冷え込み…。

 

 

 

自由通路に掲げられている『がんばろう!旭川』の横断幕。

旭川といえば、昨年11月以降医療機関でのクラスター発生が相次いで、暮れには医療崩壊という状況にまで陥りました。

その後クラスターは終息し、落ち着きを見せているようですがまだまだ油断はできません。私自身、他の地域を往来する者として、今後も感染予防対策は怠らず、他地域の皆様のご迷惑にならないよう努めていきます。

 

 

 

さて…私は前日に引き続き『道北一日散歩きっぷ』を購入し、改札口をくぐります。

 

 

 

 6:03発の稚内行321Dはキハ54 513とキハ40 1715(2両とも旭アサ)の2連ですが、後の40は名寄止まり。

キハ40 1715は苫小牧から貸出の後、正式に旭川に転属(※表記は札トマのまま)となった個体で、コチラもタイフォンが残っています。

 

 

 

 サボはいずれの車両も利尻山が描かれていますが行先の表示はなく、後の車両を切り離す旨はワンマン運転の自動放送でしか案内されません。私はこの列車自体数回利用しているのでその辺は心得ていますが、今回敢えて再び『惜別乗車』としてキハ40のほうに乗車し、名寄からはキハ54に乗り移ります。

尚、ダイヤ改正後は名寄で切り離す2両目がそのまま54に置き換えられたとの事です。

 

 

 

 乗客はキハ54のほうに集中し、やはり乗り鉄目的の方が多いです。この513はいわゆる『集団見合い』仕様で、前日に乗車した511同様ロングシート延長改造を受けていないタイプです。それに対し、私が名寄まで乗車したキハ40のほうは私も含めてたったの3名しか乗ってきませんでした。

 

 

 

列車は夜明け前の旭川駅を発車、市街地を抜けた後の北永山駅(通過)付近で、ようやく朝日が昇り始め、朝焼けに大雪山系のシルエットが浮かびます。

 

 

 

塩狩駅では名寄からの初便である320Dと交換。水蒸気混じりの排気ガスが過酷な冷え込みを物語っています。

宗谷本線では珍しいキハ40の3連ですが、最後部の1両は締切扱い。

 

 

 

私が前日に訪問した東六線駅には、カメラを持った旅人風の男の姿が。早朝からご苦労様です。

塩狩駅で交換した320Dは通過し、今乗っている321Dが1日の最初の停車列車なのですが、彼はどうやってここまで来たのだろう?

 

 

 

剣淵で交換した322Dは、前日に東六線~名寄間を乗車したキハ54 511でした。

 

 

 

名寄駅には7:53に到着。

先述の通り、後のキハ40の切り離し作業のため7分程停車しますが…。

 

 

 

名寄からの交替運転士らが見守る中、キハ40の切り離し作業を行うのですが、-20℃以下というあまりのシバレのため連結器が凍結し、解結作業に手間取ったため結局数分遅れての発車となりました。

 

 

 

この日の第1目的地・北星駅には定時8:04より7~8分程遅れての到着。

降りたのは私だけではなく、同業者の中年男性も…。特に言葉を交わす事はありませんでしたが。尚、駅周辺にはクルマで乗り付けてきたと思われる撮り鉄の姿もありました。

 

 

 

駅名標はJR化後の1988~89年頃(?)に自社仕様のタイプに交換されて以来のモノと思われ、かなり年季が入っています。

2006年まで隣駅だった智東駅が廃止後、『にっしん』のシールが上から貼られました。

尚、国鉄時代から正規の駅である事から『本場の味サッポロビール』の広告入り縦型駅名標もかつては存在していたようですが、盗り鉄の餌食になってしまったようで近年の時点から既にありませんでした…。全く腹立たしい!!

 

 

 

 

北星駅名物、『毛織☆北紡』のスポンサー付(?)待合小屋です。ホーロー看板の付いた駅舎自体珍しい存在ではないかと。

『ホクボウ毛糸』のホーロー看板自体は道内各地で見る事はありますが、『毛織の北紡』自体はココ以外見た事がありません。

北紡株式会社とは、全道の農協系組織(現在のホクレンなど)が出資して設立された羊毛製品を扱う紡績会社で、札幌に本社、旭川に工場があったとの事。化学繊維の台頭や輸入品との競争激化なのか諸事情は不明ですが、今では会社自体存在しません。

60年余の風雪に耐えてきたこの建物も駅廃止後は間違いなく取り壊されてしまいそうですが、せめて看板だけでも残せないモノか?

 

 

 

待合室後側からホームへの通路を見た処。

この日は朝から見事な冬晴れでしたが、その代わり放射冷却で-20℃以下の冷え込みはコチラも同様で、樹氷と天塩川の川霧がそれを物語っております。

 

 

 

待合室内部。前日訪問した東六線駅と似た雰囲気ではあります。

 

 

 

尚、待合室の引き戸は非常に建付けが悪くなっており、注意書きの通り外れやすくなっていました。

結局私も出入りの際に外してしまうのですが、勿論元通りに復旧しておきましたよ…(汗)。

 

 

 

秘境駅愛好家が置いていったと思われる、駅名標を模して書かれた色紙と、ピンクのプーさん。

『にっしん』の下には『ちとう』も書かれているのでしょうか?

 

 

 

お約束の駅ノート。私も一応、メッセージを残しておきました…。

 

 

 

発車時刻表と当駅からの運賃表。

8:04着(8:05発)の下り4323Dで到着後、8:33の上り4322Dで戻るプランだと手頃な滞在時間のため、今回その形で訪問させて頂きました。

ここからは再び南下し、次は下士別駅を目指します。

 

 

 

ホーム側から待合室側を見た図。

背後右側には民家があり、写真では判りづらいですが煙突から煙が見えるので、明らかに人が住んでいます。近くには農業機械などが入っていると思われる倉庫も建っていますが、駅周辺の定住者は1人しかいないとの事…。

 

 

 

キハ54 505単行による8:33発の4324Dが到着。やはり同業者の方も同じ列車で戻ります。

 

 

 

さらば!北星駅よ!

 

 

 

稚内を5:20の早朝に発車した4324Dは見事にガラ空き。

北星までは乗客1名だけの状態で走らせていたようです…。

 

 

 

8:47、名寄駅3番線に到着。再び戻ってきました。

 

 

 

みどりの窓口で、先程訪問した北星駅の他、同時に廃止となる南美深、紋穂内、豊清水の各駅が発着駅に記された乗車券を購入し、ここでも宗谷線駅カードをゲット。

 

 

 

次に目指す下士別駅ですが、名寄駅を10:01に発車する旭川行3322D快速なよろ4号は当然停車しません。しかし、1つ手前の多寄駅には停車するので、そこから徒歩で移動する事にしました。

 

 

 

なよろ4号は先程北星駅から乗車した4324Dと同じ車両で、旭川への送り込みも兼ねています。2番線のキハ40形2連は、9:42に下り323Dで到着した車両。早朝、321Dと塩狩駅で交換した320Dの3両のうち2両が使用されています。

 

 

 

なよろ4号は凍てつく北の鉄路を進む…。

晴天といえども相変わらず冷え込みは厳しく、依然として-10℃を下回っているようでした。

 

 

 

10:17、多寄駅に到着。もちろん今回初めて下車します。

キハ54は水蒸気混じりの排煙をモクモクと残し、旭川へ向けて発車していきました。

 

 

 

名寄と漢字、ひらがな共に字面が似ている多寄駅。

現在は士別市に所在していますが、かつては多寄村という独立した自治体でした。

 

 

 

多寄駅舎。JR化後の1988年にコンパクトな簡易駅舎に建て替えられましたが、11年後に駅前通りを線路の東西へ通すために駅施設を20m程南側に移転され、建物は比較的新しかったからか解体せず曳家工法が採用されたとの事。

当時はまだ、車道への踏切の新設が認められていたようです。

 

 

 

多寄駅から下士別駅まで、約3.6㎞の過酷な雪中行軍ですが、晴天なのがせめてもの救いでしょうか。まずは駅前通りを抜けて国道40号線に出ます。

元々村の中心だった事もあり、駅周辺はある程度まとまった集落を形成しています。

 

 

 

上写真の少し先には士別軌道バスの多寄停留所がありますが、残念ながらこの時間帯にバスは走っていません…。

 

 

 

歩いているうちに、家がまばらになってきました。

 

 

 

下士別町に入りましたが、行程の半分を過ぎた処で駅はまだまだ先…。

 

 

 

ようやく、下士別駅に通じる道の交差点が見えてきました。

相変わらず気温は-10℃を下回っているようでしたが、流石にここまで歩くと少々汗ばんできた位です。

 

 

 

ここまで歩く事約40分余り。下士別駅が見えてきました。

 

 

 

下士別駅に到着!

 

 

 

前日に訪問した東六線駅もそうでしたが、駅名標はまだ真新しいです。

 

 

 

民家の玄関風の引き戸とサッシ窓のある待合室、そして隣には自転車置き場がありました。

かつては当駅から通学で利用する学生も多かった事でしょう…。

駅周辺には小集落を形成しており、日常的な利用客が全くいなくなったというワケではなかったようですが、駅を維持管理する費用負担の問題で、所在する士別市が廃止に同意したものと思われます。

 

 

 

待合室内部の様子。コの字に配置されたベンチには座布団が敷かれ、地域住民に愛されていた事が窺えます。

今回は他に同業者の訪問がなかったため、「あずましく」いられました。

 

 

 

やはりここにも駅ノートが…。

 

 

 

発車時刻表と運賃表。

停車列車は変則的で、上り4本、下り5本がそれぞれ停車していました。

私はここから11:24発の324Dに乗車する形で駅を利用します。

 

 

 

踏切の警報音が鳴りだしたのでホームに出ます。

11:24発の324Dは先程名寄駅に停車していたキハ40の2連(旭アサ)で、323Dの折返し運用です。先頭はキハ40 1788で、321Dで乗車した1715と同じく以前は苫小牧配置だったためタイフォンが撤去されずに残っています。

 

 

 

私は2両目のキハ40 708に乗車。ナンバーの語呂合わせから、私は勝手に『なおや』と呼んでます…(サボは名寄停車中に撮影)。

ダイヤ改正後、旭川の未更新700番台は結局全車運用から離脱した模様…(涙)。

 

 

 

324Dは旭川~名寄の普通列車としては珍しい2連のため、空いたBOX席もちらほら。私は余裕で席を取る事ができました。

 

 

 

324Dは名寄~旭川を完全各駅停車する列車で、廃止される北剣淵や東六線などの駅にも停車します。

 

 

 

今回はここまで。

何とかギリギリ3月12日中…残念ながら今回の記事投稿は最終列車には間に合いませんでしたが、駅訪問の旅はまだまだ続きます。

(3月13日、記事の一部を修正しました)
 

つづく