
間もなく2021年3月のダイヤ改正を迎えます。
消える列車、そして消える車両が今改正でも、幾数かあります。
私のブログでは今回、過去にUPした185系の中から、少し選り抜いて再掲載してみました。
185系電車は80系電車から受け継ぐ、最後の正統な血脈の形式ですが、今回の改正で完全引退となる訳ではないらしく。
臨時列車や団体貸切などに使用される編成を残して、全廃そして解体となる運命にあることは変わりなく。
沿線もしくは首都圏にお住いの方には、まだ出会える機会は残るものの、遠く離れた地方に住む者としては、思い出のかなたへと旅立つ車両に変わりありません。
まず冒頭の写真ですが、2018(平成30)年1月20日に189系 M50編成を撮りに行った時、豊田駅へ向かう前の品川駅で撮影しました。
続いてのステレオグラフは2017(平成29)年4月9日、さよなら583系の帰りに、東京駅で新幹線の乗り換えの時間での写真です。
雪が降るのか降らないのかと言った秋田の寒さに比べ、暖かな東京で185系 特急踊り子を1本撮るために、新幹線の時間を決めました。
3枚目の、E2系 あさまとの2ショットは東京駅で、2003(平成15)年7月26日に583系 ムーンライト東京を撮りに行った時なのですが。
広島駅から乗った特急あさかぜが、静岡東部~神奈川西部辺りで、豪雨のために徐行運転をしたため東京到着が遅れて、ムーンライト東京に間に合わなくて。
どーしよーかなぁと、特急ホームで呆然としていたら現れたので、気を取り直すキッカケの写真でした。
続いての3枚は冒頭の189系 M50編成の続きなのですが、E657系との並びが撮りたくて、コレを撮ってから豊田へ向かおうと予定していたのですが。
山手線だか京浜東北線だかで異音トラブルが発生して全列車が運転見合わせとなり、東海道本線を走る特急踊り子も、当初は5分遅れと発車標に表示されていたのですが。
表示が切り替わる度に、遅れの表示案内の時間が変わり、実際には12分遅れで品川駅へ到着しました。
入線シーンは185系と発車標と時計を一緒に入れて撮りたかったのですが、まぁ見事に障害物で分針の先が隠れてしまいましたが、針尾の位置で何とか55分を指しているのが判ります。
流し撮りの入線シーンは、ステレオグラフの時と同じで、583系ラストランからの帰路途中の東京駅でのもの。
ここまでは何か、遠い思い出のような気がする写真たちです。
話しは少し逸れますが、今回のダイヤ改正で消える車両の筆頭は、やはりこの185系の定期運用消滅ですが、JR東日本では他に男鹿線・五能線・津軽線から、座席指定制列車を除くキハ40系列の運用がなくなるようで。
これによりJR東日本管内のキハ40系列の普通列車運用が終了し、首都圏では2階建て普通列車の215系が定期運用の消滅となります。
JR貨物ではDD51が全機運用終了、JR西日本では413系と415系800番台の七尾線撤退と運用消滅、そして和歌山支社の105系も全撤退となり、JR四国の2000系が特急「南風」「しまんと」から撤退して、形式消滅まで秒読み段階と迫ります。
国鉄型ばかりでなくJR化後デビューの車両も引退していくのは、近年のダイヤ改正の傾向となっていますが、そんな中での国鉄型特急電車の引退は、歴史のエポックメーキングでもあります。
ところがこの185系の勇退を汚す行為が頻発していたらしく、行き先表示幕などの備品の紛失が相次いでいることが2月25日、JR東日本へ取材した報道機関から発表がありました。
昨年末以降、185系の車両側面にある行き先表示幕や号車札といった備品の紛失が判明し、駅や車両基地に停車中の列車から収集や転売目的で備品が盗まれる事例は後を絶たないと述べていました。
JR東日本は業務中になくすことは考えづらく、盗まれた疑いがあるとして、警察に被害届を提出し『警察の捜査を妨げないように』として詳細は明らかにしていない上で、『もし盗難なら、悲しく残念だ』とコメントしています。
185系は1981(昭和56)年から営業開始され、当初は普通列車や急行伊豆などの運用をこなし、同年10月のダイヤ改正から特急踊り子として運転が開始されました。
開業1982(昭和57)年に東北新幹線が大宮~盛岡間に暫定開業すると、上野口には200番台が登場し新幹線リレー号として運行を開始します。
その後、新特急なすの・水上・あかぎの他、特急白根や特急そよかぜなどとして駆けり、シュプール号など臨時列車や団体列車としても幅広く運用をこなしました。
近年は特急踊り子の業務に専念しつつ、湘南ライナーやムーンライトながらの仕業をこなしていましたが、使用されることはなかったものの特急あまぎや、初期のマークロールには特急新雪もコマに入っていました。
昨年の185系の記事でも記しましたが、東京口の東海道特急として誕生した151系は、東海道新幹線開業後に都落ちをしてしまったものの。
185系は登場から引退まで、一度も都落ちせずに今日、その任を解かれる特急踊り子のラストランを迎えます。
東京駅での流し撮りよりも後の写真は、2020(令和2)年3月ダイヤ改正直前に、伊豆箱根鉄道と伊豆急行で撮影した185系です。
コロナウイルスによるCOVIDー19が蔓延の最中で、全国的な緊急事態宣言が出される直前でした。
この1週間後にダイヤ改正が行われ、185系の運用は縮小されましたが、まだこの時は臨時列車も運行されていて、右を向いても左を向いても185系がいる・・・・。
そんな幸せでラッキーなタイミングで訪れることができました、大雨だった以外は(笑)
あれから1年です。
その1年前の185系、6回に分けてUPしましたが、その時の6回目・最終回の記事があまりにもアクセスが多くて、不信に感じていたら。
Googleのスマホ版の一番手にピックアップされていて、とても驚いたのも185系の思い出の1つになりました。
『来年のダイヤ改正の時にネタにしよう』と思ってスクショを撮って、予定通り今年UPしてみました。
今回のダイヤ改正で定期列車としての運用を終える185系は、前述の通り今後しばらくは臨時列車として走る予定となっています。
さよなら583系の時に撮ったキハ40系も、ついでにと言ったら怒られそうですが、UPしました。
そして前半での写真と文で関連のある写真も、ムーンライト東京を始め583系と189系をアソートにしてみました。
185系と初めて出会ったのは1981(昭和56)年の東京駅で、まだ特急運用に就いておらず153系と急行伊豆で併結運転されていた時。
鉄道模型で初めて買ったNゲージは、KATOのナハフ20でしたが、車両セットとして初めて買ったのがKATOの185系でした。
ところで件の185系の記事は歴代のアクセス数は2番目で、アクセス数№1は115系 C-13編成の『惜別"クハ115-608" ー②』で、記録となった"カメラ・写真ランキング"はベスト4位。
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お気に入りのサイフ、見せて!

185系でベスト更新とはなりませんでしたが、ひょっとすると115系の時の記事も、Googleに限らずどこかで紹介して頂いていたのかも知れません。
まぁ、長くブログやっているといろいろなことが起こるもんだなぁと、しみじみ感じたものです。
ちなみにアメブロランキングのあるあるネタですが、185系の記事は4月29日に1,678、30日は3,025のアクセス数でしたが、人気記事もハッシュタグもランクイン記事一覧に載りませんでした。
日によりますが概ね450を越えたら、人気記事ランキングのトップ10以内に入ることが多いんですけどね。
これもある意味、185系の思い出の1つでしょか(笑)
さて、今日は財布の日と言うことで『お気に入りのサイフ、見せて!』と聞かれてますけど、そんなん見せられんですよ(笑)
また、昨日は東日本大震災から10年でした。
東日本大地震とも呼ばれる『東北地方太平洋沖地震による災害およびこれに伴う福島第一原子力発電所事故による災害』で、最大震度7・Mw9.0・最大加速度2,933ガルでした。
14時46分18.1秒に発生した地震は大津波、火災、放射能汚染を引き起こして、12都道府県で甚大な被害をもたらせました。
2月13日には最大震度は6強の余震もありました。
地震に限らず多くの死傷者を出す災害が近年、毎年発生し続けている日本ですが、過去の経験を生かして身を守る術に、常に意識していたいと思うこの頃です。
と、今日の記事はなんやかんやと詰め込み文章となってしまいましたが、このへんで。
