神仏・自然館連携:職務に忠実なのはドライバーさんなら誰もがそうなんだけど。3.11になると。 | 湘南陽光電しゃ館 鉄道館

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神仏・自然館連携ですから、鉄道とは少し毛色が違う記事ですが、もし、興味がある方は読んでみてください。

3/11が来ると思い出してしまう話があります。

小生は今は倉庫勤務ですが、以前は会社の物流の責任者を拝命していました。

何度も書いていますが、10年前のあの日、小生は協力物流会社のヘッドの車で新工場からの配送コースのテストランを行っていました。

昼休憩もそこそこに走っていましたので、ドライバー共々、トイレ休憩しよう、と言うことで走っていた二国、川崎市川崎区の元木交差点手前のローソンに入りました。

そこで、あの震災に遭遇したのです。あー、とうとう来ちゃったな、と東海/東南海地震発災を疑いました。

あの場所の震度は後で調べましたら、震度5弱でしたが、国道沿道の高層建築の連続した揺らぎは今でも目に焼き付いているほど、衝撃的な光景でした。

揺れが収まり、走りだしてしばらくは普通に走ったのですが、鶴見にさしかかったところで、車が動かなくなりました。

信号が消えています。沿道のパチンコ屋さんからもお客さんが外に出されて駐車場にたまっています。

そうです、全面的に停電していたのです。

会社へ携帯で連絡を入れたのですが、何度やっても繋がりません。

これはやはり尋常ではない、とドライバーが思ったのか、車載テレビをつけました。

そして、その画面から目に入ってきたのが、宮城県仙台市若葉区を襲う津波の上空からのライブ映像でした。

津波が目に入っていないのか、津波に向かって走って行く車やトラックがあります。「アア!そっち行っちゃダメ!!」と二人で叫んでいました。

そのあと、直接的な被害が小さかった弊社店舗立地地域でも、長く尾を引く混乱が生じたことは、皆様と同じです。

あの日から数年経って、愛読している桜井識子さん著の本の中で、なんとも切ない一文を見つけてしまいました。

識子さんが三陸沿岸の神仏を訪ねて車で訪れた時のこと。

リアス海岸沿いの海岸道路を走っていると、対向してくるトラックとドライバーさんがフッと目に入ったそうです。

もちろん「生きた人」ではなく、この世のモノではないとすぐにわかったそうです。

一瞬ですが、そのドライバーさんの気持ちが響いてきたそうです。

「ああ、早く行かないと次の配送先に遅れちまう」「お客さん待ってんだから、なんとしても行かなきゃ!」と言うような感情が溢れ、その顔はなんとしても配送先に行かなきゃ、荷物届けなくちゃ、と言う表情だったそうです。

津波に飲み込まれて、自身が亡くなっていることに気づかずに、未だに自らの職務を果たそうとしているようだった、との記述でした。

運転中、大津波が迫ってきていることに気づかぬくらい、運転に集中しないといけない道路、波に飲み込まれてキャビンから逃げ出す間もなく、知覚することも出来ず即死してしまうような海岸道路というと・・・。

なんとなく、その場所がわかるような気がしました。

昨日の写真で取り上げました、三陸海岸沿いの島越から浜街道へと上がる県道ではと。

この場所は三陸のリアス海岸の段丘が海へと絶壁で落ち込む場所で、県道は谷筋から絶壁下に連なる僅かな磯伝いへと走っています。

ですから、海際の町々にある納品先、例えばコンビニなどへの配送は断崖上を走る浜街道から必然、県道を浜へ降りていくしかなく、道は片側一車線の道路であっても海際へと降りれば、山側は路肩もない逃げ場のない絶壁がそそり立ち、海側は護岸もない、ある意味とてもスリリングな道で磯に打ち付ける波しぶきがかぶるような道です。

加えて、あまり広い道ではないので、中型トラック(2トン増トン車乃至3トンワイド?)ならば対向車にも気をつけなければなりません。

更に当日は小雪の舞う曇天、脇目も振らずに運転に集中せざるを得ない状況下で、定刻より配送ペースが遅れていたとしたら・・。

フロントガラスに見える範囲だけに注視して走っていれば、沖から想像を絶する大津波の壁(30m以上の高さがあったとも)が迫っていることにも気づけずに、圧倒的な波の圧力で一瞬でトラックごと山側の絶壁に叩きつけられ、絶命されたとしたら、ご自身が亡くなったことも知覚出来なかったのではないのでしょうか。

加えてペシャンコになったトラックごと、引き波で傍らの海へと引きずり込まれ、何度も繰り返し襲ってくる津波によって海中深くへと沈んでいく。

そして、所属会社ではあの異常な状況下で、このドライバーさんと全く連絡もつかず、何処に行ったのか、行方不明になったことさえ把握できない。

、その後、行方不明者として弔いは上げられたけれど、本人は未だに供養されたことさえ知覚できないとしたら、なんとも辛く悲しすぎます。

震災後、田野畑/島越を訪れたときには、あの場所を目の当たりにした衝撃と、続いて襲ってきたあまりのむなしさにいたたまれず、亡くなられた方々へ持参したお線香を街路の片隅でせめてもの供養として手向けて差し上げましたが、この話はまだ知りませんで、あんな上まで波が上がったんだ・・。と言う証拠に下車して写真を撮影しただけです。

同業に携わった者の端くれとして、3.11が来る度にこの話を思い出します。

もしまだ、成仏なされずにあの道を走られておられるとしたら、なんとかして成仏させて差し上げたい。そのためにお地蔵さんの一つも立ててあげたい。でも、魂が入っていないお地蔵さんはただの石。

魂入れにはそれなりの儀式が必要でして・・・。

せめて、現場と思しき場所でお経を唱えて差し上げることくらいしか、出来ないのかなぁ、と思いますし、どなたかが、すでに供養なされて、くだんのドライバーさんが成仏なされておられることを祈り、涙を流すことしか出来ない3.11なのです。

 

合掌。