2月18日から22日まで、「ありがとう101系多摩湖線ラストランWeek」が行われた。

 

 

西武多摩湖線(国分寺~西武遊園地(※2021年3月13日からは多摩湖))はワンマン運転で開通した山口線、最初にワンマン運転化された多摩川線に続き、まず、国分寺~萩山がワンマン運転となった。

この時にワンマン改造されたのが101N系4両編成のラスト3本であった、257F、259F、261Fの3本である。

 

当時の多摩湖線は萩山で運転系統が分かれていた。だが、山口線が新交通システムになったころから、野球開催日には国分寺~西武遊園地の直通運転、それも準急(停車駅:国分寺~萩山、西武遊園地)運転で、まだ存在していた釣りかけモーター車両も往時のスピードで走り抜けていった。

 

朝夕や土曜休日には西武新宿からの直通、日中は小平からの直通が走っていた萩山~西武遊園地だが、従前より国分寺での中央線乗り換えで都心を目指す傾向が強く、やがて国分寺~西武遊園地の運転が主体となっていく。そして、ワンマン運転区間も国分寺~西武遊園地の全線となる。

 

 

さて、1998(平成10)年にワンマン運転が開始され、ワンマン区間の拡大や多摩川線向けに改造された旧101系(217~225F)、その置き換わりの101N系(241、245~253F)、そしてE31の代わりに牽引編成として4Mになった263Fも加わり、暫くは安泰と思われた。

 

だが、国分寺駅にホームドアが設置されることになり、ここで多摩湖線から3ドア車両が出されることになる。思えば、多摩湖線に最後まで351系が残ったのも、この国分寺駅が17m車両3両が限界であったためである。筆者が幼少だった80年代は夏になると冷房車の401系が入るが、2両編成となり、混雑は増した。

1990(平成2)年に現在の多摩湖線ホームが完成し、20m車4両編成が入れるようになり、長らく3ドア車両が活躍していた。701系、801系から101系となってもそれは変わらなかった。だが、近年になって2000N系が入る機会が増えていた。

 

で、今回、9000系をワンマン改造したうえで、投入。あと2編成投入されるが、早々にホームドアが設置されるため、一度は3ドア車両は全て運用を離脱。そして、設置直前のこのタイミングで259F(赤電塗装)を5日間限定で多摩湖線運用につかせた。

1枚目の画像は多摩湖線各駅に貼られた告知ポスター。このご時世にこういう事をやるのは、本当に頭が下がる思いだ。

 

 

〇2/18

 

初日は国分寺から青梅街道までを撮影。一橋学園まではドア上の案内表示器を、客が少なくなってからは車内を撮影。

 

〇2/19

 

2日目は萩山から一橋学園までを撮影。最後尾からの後面展望。本当は青梅街道で終わらす予定だったが、計器類をアップにして一橋学園まで撮影。

 

〇2/21

 

土曜日は所用で撮影出来ず、日曜日の4日目。日中撮影できる唯一の日なので、市役所西通りにて走行シーンを撮影。その後、夜間に萩山駅にて撮影。

 

 

その後、萩山~西武遊園地を一気に撮影。

 

尚、最終日は月曜日の上、事前に朝で運用が終わるとの事なので、この日が自分にとっての最後となった。

 

多摩湖線からは撤退したが、西武園線や狭山線ではまだまだ活躍している。しかし、こんな形で小手指に101N系が帰ってくるとは思わなかった。

 

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