長浜鉄道スクエア
長浜駅西口から南へ徒歩3分でアクセスできます
建物横は北陸本線となっています
当施設では3つの施設で構成されています。
旧長浜駅舎では当時の長浜駅の様子を再現、長浜鉄道文化館では旧長浜駅のジオラマや北陸本線の歴史などを展示、北陸線電化記念館では機関車の展示が行われています
【現地説明文】
D51形793号蒸気機関車
1942年(昭和17年)11月18日に三菱重工業株式会社で製造され、1970年(昭和45年)に引退しました
ED70形1号交流電気機関車
1957年10月1日に実施された北陸本線田村〜敦賀間の交流電化に合わせて三菱電機株式会社によって製造された日本初の営業用60ヘルツの量産型交流電気機関車です
交流電気機関車なので車体は赤色で塗装されています
19両が製造されました
行先札と愛称標
行先札の大阪⇔富山はもう見れないですね
昔は特急雷鳥が富山や新潟まで走っていたのを思い出しました
いずれは北陸新幹線が新大阪まで延伸されて、新大阪⇔富山という区間便はできるかもしれないですね
またつるぎも懐かしいです
今は北陸新幹線の金沢⇔富山間のシャトル便の愛称に使用されていますが、私が子供の頃は寝台特急の愛称でした
時刻表・運賃表
1913年(大正2年)1月改正版です
東海道本線、山陰本線、奈良線の発車時刻が記載されています
また左下には運賃表が記載されています
東京新橋駅へは3円52銭、大坂駅41銭、下関駅3円52銭、めちゃめちゃ安いです
長浜停車場構内図
【現地説明文】
長浜停車場構内図
開業:1882年(明治15)
長浜駅は畿内、北陸、中京の三方面を結ぶ駅として建設されました。
駅舎は、起点駅の役割から線路終端に配置する頭端式となっています。
右に敦賀方面の線路が伸び、関ヶ原方面は途中で分岐していました。
明治22年に東海道線が全通すると、新たに長浜・米原間が結ばれ、起点駅の役割は、米原駅が果たすようになりました。
左に米原方面の線路が伸び、鉄道連絡船用の桟橋、貨物庫や機関車転車台、官舎など多くの施設が描かれています。
各停車場構内図 滋賀県蔵文書
「各停車場構内図」は、駅の平面図で、明治20年頃の駅周辺道路や線路、ホームの配置を知ることができます。
英文の表題、フィート(feet)制、駅を「停車場」と呼んでいたこともわかります。
中之郷、柳ヶ瀬駅は、後に現在ルートの近江塩津経由となって廃止されました。
地図に記載されている路線図は1889年7月(明治22)現在のもの
当施設での展示を見ると、長浜駅の歴史がよく分かりました
長浜駅の開業は1882年(明治15年)と古く、歴史のある駅です。
建設資金を圧縮するため、東京⇔京都・神戸間(長浜駅⇔大津駅間は琵琶湖の水運を代替)、日本海と太平洋を結ぶルートとして長浜駅を中継する事となりました。
その為、初代長浜駅は頭端式ホームがあり、敦賀方と関ヶ原駅方に線路が敷設されています。
当初は当駅を起点として金ヶ崎駅(敦賀港駅)まで鉄道で結ばれていました。
その後、1884年(明治17年)には当駅〜春照駅〜大垣駅間【1889年(明治22年)に関ケ原駅〜米原駅〜馬場駅(膳所駅)、長浜駅〜米原駅が開業したため廃止】が開業しました。
当時は東海道本線がまだ未完成だったので、長浜港から琵琶湖を活用し船(太湖汽船)で大津駅(現在のびわ湖浜大津駅)まで連絡していました。
当時の長浜駅は交通結節点としての役割があったようですね
しかし、1889年(明治22年)に東海道本線が全通すると、鉄道は米原駅経由となり、水運の役割を終えると共に、長浜駅は北陸本線の中間駅となりました
(201905)