皆様こんばんは。ブログおよびホームページ管理人の神@北見です。

 

最近はさすがにネタ切れ気味で、面白い内容を考えるだけで大変です…。何かご希望がございましたらコメント頂けると幸いです。

 

というわけでなかなかネタを考えるのが難しいのですが、今回は寒冷地・豪雪地向けと暖地向けの境目がどのあたりになるのか?というのを考察してみたいと思います。

 

キハ58系は北海道から九州まで全国各地で運用されましたが、北海道についてはキロ26・キハ27・キハ56のいわゆる通称キハ56系が専属で運用されており、昭和43年頃までの夏季輸送やごく一部の例外(キロ28 131・198)以外は北海道はキハ56系の専属で道外に出ることも無い状況でした。そのため狭義のキハ58系(キハ57グループを含む)は本州以南で使用されました。しかし北海道を除いたとしても、青森・八戸・弘前から熊本・都城・鹿児島まで寒冷地から温暖地まで広く分布しています。キハ58系はモデルチェンジ車になって初めて寒冷地向けと暖地向けが区分されましたが、それ以前の1400両近くは基本的に同仕様で全国各地に配置されました。これはこれである意味凄い事ですが…。しかし使用する地域の気候等により使い勝手やメンテが良い様に改造されるのは当然のことで、これはキハ58系のバリエーションを増やす一因にもなっています。

 

ただ一概に「暖地」「寒冷地」といってもスパッと線が引けるわけではなく、どの辺りから仕様が変わるのかを考察してみたいと思います。結論としては気温や降雪量といったデータに裏付けされた明確で理論的な分布にはなっておらず、「何でここで??」みたいなものが多いのが相変わらずキハ58系らしいという印象です。

 

ではまず今日は「スノープロウ」から見てみたいと思います。

 

1.北海道

 

当たり前かもしれませんが、北海道のキハ56・27には全車にスノープロウが取り付けられており、全車が複線用です。

 

↑キハ56 118 複線用スノープロウが付いています。余談ですがこの車は元旭川の青テープ車で、赤色の下にテープを剥がした跡が残っています。

 

2.盛岡・秋田・仙台管内

 

東北地方(盛岡局・秋田局・仙台局管内)でも、スノープロウの取り付けは必須でした。例外なく全車に取り付けられています。複線区間の多い盛岡・仙台管内では複線スノープロウ、秋田では単線スノープロウを付けることが多い傾向がありますが例外も多くあまり統一されていません。

 

↑キハ58 739 盛岡の例。複線スノープロウが多い傾向です。

 

↑キハ58 780 長く小牛田におり後に郡山・会津若松と転じました。こちらも複線スノープロウです。

 

↑キハ58 520 同じく小牛田から郡山・会津若松と移動した車ですがこちらは単線スノープロウです。

 

↑東北地区の冷房車は新幹線開業前は秋田に配置され「しらゆき」「きたかみ」で運用されました。後に山形に転じています。単線スノープロウです。

 

↑こちらも国鉄時代は秋田配置だったキハ28 2174ですが、こちらは複線スノープロウです。

 

↑1980年代に冷房率アップのために九州から山形に転じたグループですが、複線スノープロウが取り付けられています。

 

複線用・単線用のバラツキはあるものの、原則として全車にスノープロウが取り付けられています。

 

 

3.新潟管内

 

とにかく豪雪地帯のイメージのある新潟では、当然ながらスノープロウの取り付けが全車に行われていました。国鉄時代は原則「単線」スノープロウです。

 

↑キハ58 660 新潟の車は国鉄時代より単線スノープロウを付けています。

 

↑キハ58 1012 元急行「赤倉」指定席車用の冷房車ですが、こちらも国鉄時代から単線用スノープロウを取り付けています。

 

↑キハ28 2032 1980年には「あがの」「べにばな」の冷房化の為各地より冷房車が転入しましたが、これらにも単線スノープロウが取り付けられています。

 

このように単線スノープロウオンリーだった新潟地区ですが、JR化後の1990年代にキハ110系投入により転属してきた車は、複線スノープロウを付けるケースが見られます。国鉄時代は鉄道管理局ごとの個性が強く出る傾向がありましたが、JR化後は薄れていったのかもしれません。
 

↑1991年に中込から転入したキハ58 677 複線用スノープロウを取り付けています。中込の前は鳥取配置でしたので後藤顔です。

 

↑キハ58 646 この車も後藤顔冷房車ですが、これは1986年に米子から新潟へ転属した車で、その転属時期から単線スノープロウを付けています。

 

 

4.水戸

 

水戸でスノープロウというと「えっ、常磐線上野口でなぜスノープロウ!?」と感じますが、1982年11月改正以前の水戸配置キハ58系の運用は急行「ときわ」「奥久慈」で使用されるグループと、「いわき」「あがの」で使用されるグループに分かれていました。「いわき」で使用される編成は<58+58><28+キロ28+58>で、水戸から5連で発車し郡山で新潟・小牛田担当の急行「いなわしろ」と併結し11連になり、途中福島で「いわき」のグリーン車入り基本編成3両を切り離し8両で仙台まで向かいました。そして仙台で「いなわしろ」用のキハ52 2両を切り離したのちに折り返しは急行「あがの」になって新潟まで向かっていました。そして新潟で日が変わり翌日は越後線の普通列車に間合い使用された後に、行きと逆の行程で急行「あがの」「いわき」で水戸に帰りました。そのため水戸区のキハ58は新潟まで行く運用があるため、全車スノープロウ付きでした。水戸のキハ28は「いわき」では編成中間に入っており先頭に立たないし「あがの」には充当されないのでスノープロウはありませんでした。

 

キハ58 562・578 見づらくて恐縮ですが、複線用スノープロウを付けています。これは小牛田転属後に取り付けられたわけではなく、水戸時代に急行「あがの」の運用が水戸区担当であったため古くから付いていました。

 

↑キハ28 2382 水戸から長野に転じました。水戸区のキハ28は急行「ときわ」「奥久慈」運用と、「いわき」の付属編成運用でしたのでスノープロウは付いていませんでした。

 

5.長野

 

長野のキハ58系は豪雪で有名な「飯山線」の運用がメインでしたが…

 

↑飯山線というと積雪2メートル以上の豪雪地帯を行くイメージがありますが、なぜかスノープロウは付いていません。ちなみに多雪地帯にも関わらずタイフォンシャッターも付いていません。お隣の新潟はタイフォンの雪詰まり対策に苦慮して不思議なタイフォンを編み出していましたが、長野はお構いなしのようです。

 

↑1980年に長野に来たキハ58 681もスノープロウは付いていません。

 

↑キハ58 425 上は1997年の飯山線時代、下は1998年の小牛田時代です。飯山線時代にはスノープロウは付いていませんが、小牛田では取り付けられました。積雪の多さでは飯山線もひけをとらないと思うのですが…。

 

↑再掲ですが、キハ28 2382です。1990年代に水戸から転じましたがスノープロウの取り付けはされていません。

 

↑同じく1990年代に新潟から転じたキハ28 2363は新潟時代に単線スノープロウをとりつけていました。元々付いていた車はそのまま残しているようです。

 

6.名古屋

 

名古屋・美濃太田のキハ58系は昔は急行「きそ」の運用で長野まで、1978年以降も急行「のりくら」で富山まで運用され、比較的多雪な高山本線北部を走行していましたが、特にスノープロウの取り付けはありません。

 

↑キハ58 431 美濃太田の車ですが特にスノープロウ取り付けはありません。

 

↑キハ58 797 元美濃太田の車ですが特にスノープロウ取り付けはありません。

 

 

7.金沢

 

1980年代以降の七尾配置車は、元金沢配置車と各地から転入してきた車と分かれましたが、元金沢配置車はスノープロウを取り付けている車がいました。晩年の金沢の運用は急行「大社」でしたのであまり豪雪というイメージは無いのですが。

 

↑キハ58 262 複線用スノープロウを付けています。

 

↑キハ58 476 こちらも複線用スノープロウを付けています。

 

↑キハ58 795 こちらも複線用スノープロウを付けています。

 

↑キハ28 2350 こちらも複線用スノープロウを付けています。

 

1978年10月改正で金沢のキハ58系配置が無くなる直前には、

 

キハ28 2085・2163・2350・2351・2352

キハ58 95・200・237・238・239・261・262・421・428・433・476・794・795

 

が金沢にいました。その後敦賀に転じた車は早々にスノープロウを外され、七尾に残っていたのは、

 

キハ28 2163・2350・2351・2352

キハ58 238・262・428・433・476・794・795

 

で、キハ28 2163を除く全車にスノープロウが付いているのを確認しています。

 

これで終わりと思いきや、2000年前後には高岡に残っていたキハ58系の一部にスノープロウの追加取り付けが行われました。

 

↑キハ58 792 単線スノープロウを取り付けています。

 

↑キハ28 2127 複線用スノープロウを付けています。

 

私は最後を見届けれませんでしたが、末期のキハ28 2346・2360、キハ58 477にもスノープロウが付いていましたね。

 

 

7.大阪管内

 

大阪管内なんてスノープロウと無縁に思えますが、1978年以前の宮原では急行「ゆのくに」「ちくま」の運用があり、「ゆのくに」では大阪~珠洲間、「ちくま」では大阪~松本間連結されました。また「ちくま」の増結運用はシーズン中は「くろよん」として信濃森上まで乗り入れていました。おそらくこの関係から宮原配置のキハ58系にはスノープロウが付いていました。

 

↑キハ58 563・592 元宮原配置のキハ58の多くは、「60-3改正」で同区が廃止された際に向日町に移り、「61-11改正」で運用が減少した際に広島に移りました。この動きをした車はスノープロウが残っていました。しかし、後に小郡に転じた車は撤去されています。

 

↑キハ58 587 この車も元宮原車で向日町~広島と移動しましたが、小郡に転じた際にスノープロウが取り外されたものと思われます。

 

8.関西以西

 

関西以西の、天王寺局・福知山局・岡山局・広島局・米子局・四国・九州では当然スノープロウを取り付ける車はいませんでした。しかし、東北地区などからスノープロウ付きの車が転入し、しばらくそのまま運用されるというケースはありました。

 

 

 

私自身撮影の写真が無いのでイラストでご紹介します。これはキハ58 490で「ゆふいんの森」に改造された車として有名です。この車の改造前の姿はかなり面白いもので、非冷房でかつ新潟タイプの水タンクを装備しています。そしてタイフォンカバーはスリット状に改造されていますが単線型スノープロウが残されていました。そして九州車なので赤いJRマークが車体中央付近にありました。この車は「57-11改正」で急行「赤倉」が電車化された際に新潟から直方に転じた車です。新潟時代の寒冷地装備は取り外されることになりましたが何故かスノープロウが残りました。同じような事象はキハ58 488にも見られました。

 

九州で非冷房車、かつスノープロウまで残っているなんてとんでもない車ですね。しかもこんな車の車籍がキハ70-1に改造されて残っているというのが奇跡としか言いようがありません。

 

ということでスノープロウ取り付け状況について考察してみました。東北・新潟まで付いているのは想定内ですが、水戸や宮原に付いているはちょっと意外ですね。そして晩年の長野に無いのは意外です。スノープロウは転属後も残っている車もいましたので、これが車歴を追う際の手掛かりにもなりますね。

 

今回はスノープロウのご紹介でした。

 

最後までご覧いただきありがとうございました。それでは次回もお楽しみに!!

 

是非私のホームページ

 

http://kami-kitami.sakura.ne.jp/index.html

 

にもキハ58系各車の解説がありますのでご覧になってください。