関門海峡を散策する① | よしひろ よしちゃん 鉄道写真館

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みなさんこんにちは!よしひろよしちゃんです。


202131日と2日に関門海峡を尋ねました。

今回は皆様に関門海峡周辺の鉄道遺産について詳しくご紹介できればと思います。


新大阪から山陽新幹線で小倉駅へ行き在来線に乗り換えお隣の門司駅に行きます。

門司駅 駅名板

ここ門司駅で下関方面に行く山陽本線と小森江・門司港方面に行く鹿児島本線に分かれます。

門司駅 ホーム

神戸駅からはじまる山陽本線はここ門司駅が終点になり門司駅からは鹿児島本線となります。かつて関門トンネルが開通するまでは当駅は大里駅で現在の門司港駅が門司駅でそこから、関門連絡船(鉄道連絡船)に乗り下関で山陽本線に乗り換えていました。つまり当駅は関門トンネルが開通するまでは、ただの中間駅でしたがトンネルが開通すると山陽本線と鹿児島本線の中継駅と重要な駅になったわけですね。

★415100番台

山陽本線で関門トンネルを渡り下関に行く、かつて本州と九州を連絡船で結び九州の玄関口だった門司港駅どちらに行っても面白いものがありますが、まずは山陽本線で関門トンネルを渡って下関方面へ行きました。車両は415系です。


門司駅を出発してスグに知らなければ、びっくりすることが起きます。

★415系 車内(デットセクション通過時)

突然、車内の照明や空調装置などが全て止まるのです。


それは何故なのか?

九州と西日本では架線に流れている電気が交流20kV60Hz(九州側)、直流1500V(本州側)と異なるのです。交流・直流には、それぞれメリット・デメリットがあります。その沿線の特色にあわせて適切な方が採用されており、交流・直流の境にはデットセクションという死電区間つまり架線(電線)に電気が流れていない区間があるのです。このデットセクションでは電気が供給されないため、車内の照明や空調装置などが止まるのです。

門司駅 デットセクション関門トンネル

駅先端には、交直転換と書かれた大きな看板がありその先には、赤と白の標識があります。その標識から関門トンネル手前くらいまでが、デットセクション(死電区間)であります。


なお門司駅と下関駅停車中にも車内の照明や空調装置などが止まることがあります。それはこのデットセクションに入る前に切替テストをしているのです。


デットセクションはここ門司駅以外にも北陸本線の敦賀〜今庄間や七尾線中津幡〜津幡間などがありますが、新しい電車が導入され車内照明や空調装置は消えなくなっています。この門司〜下関間は415系という古い車両が走っているので、今でも消えるのが日常です。

★4151500番台

先程の415系と顔が異なります。国鉄分割民営化直前に製造されたモデルチェンジ車ですが当車両でもデットセクションでは、照明や空調装置などが消えます。

下関駅 駅名標

デットセクションと関門トンネルを抜けて下関駅に到着します。門司駅から下関駅までは約8分で到着します。


下関駅は1901年に開業。当初は馬関駅という名称でしたが、市名の改称に併せて翌年の1902年に現在の下関駅となりました。これより先の紹介では、全て下関駅と記載します。

★JR九州の415系とJR西日本の115

新幹線は博多駅がJR西日本とJR九州の社境で在来線の社境は当駅となっています。なお現在はJR西日本とJR九州で直通する旅客列車はありません。


関門トンネルが開通するまでは、山陽本線の終点で日本の鉄道初期時代から東京〜下関間などで特急燕なとが走っていたこと、また数々の夜行列車が発着していたことで有名なので、レトロな駅舎が期待できそうですが残念ながらそうではありません。20061月に下関駅放火事件があり全焼しているため、あまり青森駅や上野駅などの旅立ちという雰囲気はありません。


ただ何点か鉄道遺産がありました。


ひとつは振鈴です。


下関駅 振鈴(レプリカ)

明治時代後期頃に駅で列車の発車の際に使われていた大型の鈴のレプリカが下関駅改札口の外に展示されています。本物は駅長室に保管されており、JR西日本の登録鉄道文化財に登録されています。振鈴は放火事件のときは無事だったそうです。


2つ目は駅舎を出て少し歩いたところにあるショッピングセンターの壁にあります。

車両航送発祥の地

これまで、本州から九州に荷物を運ぶ際は鉄道などから船に積み替えまた鉄道などに積み替える必要がありましたが、貨物車両をそのまま船に積み込み輸送できる貨車航送がここではじまったということですね。準鉄道記念物に指定されています。


貨車航送については、少し前に青函連絡船のブログ投稿に記載しているので良かったらご覧ください。

鉄道と共に歩んできた鉄道連絡船③


3つ目は2つ目の場所から少し歩き、海峡ゆめタワーの前にある広場にあります。


関釜・関門航路 下関鉄道さん橋跡


関門航路(下関〜門司)と関釜航路(下関〜韓国・京釜鉄道 京城(現在のソウル)2航路の開設時に1914年に築造した562mの桟橋です。関門トンネルの開通などで1964年に廃止となり現在は記念碑が立っています。準鉄道記念物に指定されています。



最後、4つ目は3つ目の場所からもう少しだけ歩きます。


山陽ホテル跡

今でも大きな駅にあるステーションホテル(鉄道会社が経営するホテル)この原点はここ下関駅前にあった山陽ホテルでしたが、老朽化が進み立ち入り禁止となりやがて解体されてしまいました。解体されるまではJR西日本の登録鉄道文化財だったようです。そのため建物の一部(外壁の一部など)が京都鉄道博物館にて保存されており、企画展示などで見ることができます。


関門海峡を散策する①は以上になります。いかがだったでしょうか?


山陽本線の終点門司駅、かつての山陽本線の終点の下関駅また関門連絡船(鉄道連絡船)の遺構についてご紹介しました。


続き

関門海峡を散策する②


ご覧いただきありがとうございました。

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