皆様こんばんは。ブログおよびホームページ管理人の神@北見です。

 

私は1996年から2000年にかけて、全国各地に生き残っていたキハ58系の撮り潰しにチャレンジしており、あちこち廻ったものでした。片手には当時の残存車両リストを手にし、写真を撮ったら塗りつぶすようなことをしてデータを集めていました。1996年頃というと1961年に登場したキハ58系も既に35年経過し、おそらく2000年頃にはほぼ絶滅するのではと思っていました。なので当時は一度写真を撮ったらその車両はデータ取得完了ということで二度見するようなことはありませんでした。しかし、キハ58系は結局2000年以降も相当数が生き残り、1990年代後半から2000年代にかけてもその形態を変えることになりました。私は2000年頃で当時残存していた車両を撮り尽くしたこともあり以降キハ58系の撮り潰しの旅はしていません。しかし末期の資料をみると結構その姿を変えている車が多く、頭を悩ませました。

 

ここではそんなキハ58系達の変身っぷりをご紹介したいと思います。変身というほど大それたものではありませんが、私にとっては大ごとでしたね。

 

↑キハ58 266 1996年に撮影したものです。快速「月山」の指定席用車で使用されており、JR東日本アコモ改造車塗装に塗られていました。元々はこの塗装同士でキハ58+キハ28で編成を組んで急行で使用されていたものの、間もなく快速に格下げされ、1993年にはアコモ改造車のキハ28は快速「南三陸」に転用されることになり、以降は「キハ58アコモ車+キハ28一般車+キハ58一般車(山形~新庄間増結)」で運転されました。一般車は東北地域本社色でしたがアコモ改造車は指定席車であり区別の意味もあってかそのままの混色で長く使用されました。1997年には山形新幹線の新庄延伸が決定し1999年廃止が宣告されたも同然だったので、このまま最後を迎えると思いきや…

 

↑1998年にはなんと東北地域本社色に変更されました。これで塗装が統一されて編成美が見られると思いきや、飯山色や秋田色が転入して混成となったため結局なかなか統一された編成は見れませんでした。この写真でも最後尾は飯山色です。

 

まさか引退直前に色が変わるとは思いませんでしたね。

 

 

↑1999年に撮影したキハ58 293です。これで満足していたのですが、後に通風器が撤去され、正面通風口も撤去され、塗装も急行色に塗り戻され、別の車のようになってしまいました。最期の姿を写真に収めていないのが残念です。

 

↑1997年に撮影したキハ58 414です。これで満足していたのですが、キハ58のアコモ車まで小牛田に転属することとなり、当車小牛田転出後東北地域本社色に塗られ快速「南三陸」に使用されましたが、末期は更に「修学旅行色」もどきに変更されていました。この当時「1999年の山形新幹線新庄延伸で余剰廃車かな」と思っていたのに、結局2009年まで生き延びました。

 

↑キハ58 425 上写真は1996年に長野駅で撮影したもの。下は1999年の小牛田です。飯山線のキハ58系は1997年の長野新幹線開業に合わせたキハ110系化で廃車になると思っていましたが、一部は小牛田や新庄に転じました。当車はあまり姿は変わっていませんが、向きの関係から幌無しになったことと、スノープロウを取り付けられたのが目立ちますね。長野で取り払われた正面の冷房用ジャンパ(KE8、KE53C)はそのままでした。

 

↑キハ58 477 上写真は1995年で高山本線で活躍していたものです。当時はJR西日本車が高山まで、JR東海車が富山まで乗り入れており、猪谷で乗り換えなくても直通出来ました。高山本線のキハ120化で高岡に転じ、外観的には前位側にワンマン用のケーブルが付きました。下の高岡時代は1999年です。これもこのまま一生を終えるかと思ったらこの後ワインレッドを基調とした「新新高岡色」に変更され、更には高山本線の社会実験で同線へ里帰りし、最後は急行色に塗り戻さ、通風器も撤去されました。既にキハ58系の末期ですが、刻一刻と姿を変えるので記録が大変です。

 


キハ58 564 上写真は1992年頃、下は1999年です。当車はJR化当初亀山車で、福知山を経て米子地区へ来ました。1992年の時点では種別表示幕の横にアンテナ挿しが残っていますが、1999年ではこれが無くなり、また正面通風口も無くなっています。細かなところで変化しています。

 

↑キハ58 608 上写真は1991年頃の大分時代、下は1999年の宮崎駅です。この間にスカートが付き、通風器は無くなり、正面窓上の水切りも無くなり、貫通ドアのヘッドマークステイは逆台形状から鹿児島地区用のフック式に変更されています。またHゴムの色も黒くなり、架線注意の札も無くなり、助手席側窓の内側にはワンマン表示器も付いています。細かな部分でかなり変化が見られます。

 

 

↑キハ58 640 上は1992年頃の鳥取駅、下は1999年の米子駅です。比較的変化が少ないですが正面通風口と正面窓上の水切りが無くなっています。

 

↑キハ58 641 上は1987年の小海線時代、下は1998年の小牛田駅です。これは10年以上経過し、区所も中込→新津→小牛田と変化しているので外観が変わるのは当然でしょう。しかしながら変化としてはその塗装と、中込時代に撤去されたKE8ジャンパケーブルが復活していること、スノープロウが取り付けられたこと、助手席側の通風口が埋められたこと以外は意外とそのままです。特に中込時代のアンテナ挿しがそのままなのがポイントです。また当車は中込に来る前は米子の車だったため、前述の640と瓜二つの後藤顔です。

 

 

↑キハ58 710 上は1997年の飯山線時代、下は1998年の新庄駅です。前述の425と同じく飯山線のキハ110系化後は新庄に転じて快速「月山」で使用されました。こちらもスノープロウが取り付けられたくらいの変化です。飯山線に「快速」列車は無かったので、飯山色+快速幕が違和感満載でたまりません。

 

↑キハ58 713 上は1990年頃で急行「のりくら」充当時、下は1998年の伊勢区時代です。Hゴムが黒くなっていること以外にも、前位側デッキ上にあった箱型通風器が無くなっており、また乗降ドア下部の丸窓が鉄板で塞がれています。

 

 

↑キハ58 717 上は1991年の長崎駅、下は1999年の宮崎駅です。こちらも前述の608と同じように、スカートの取り付けの他Hゴムの色、正面窓上の水切り、通風口、ヘッドマーク掛けなどが変化しています。また九州色の小倉工場塗りと鹿児島車両センター塗りの違いも分かりますね。あと非常に細かいですが1991年の時点では標識灯掛け位置が低く尾灯にくっつきそうな所にありますが、1999年では通常の位置にあります。どこかで直したのでしょうかね。

 

↑キハ58 768 上は1993年頃、下は1999年です。768はアコモ改造車で急行「えびの」用で活躍し一時期強馬力機関への換装試験を行っていました。同じように「えびの」車で換装試験を行った5001と5004は比較的早期に廃車になりましたが、当車は晩年長崎に転じました。当車は「えびの」用アコモ改造車であるにも関わらず長崎では「SSL」塗装にはならず、九州色になって一般車に混じって使用されていましたが中はリクライニングシートで乗り得でした。この車は意外と塗装以外は変化が見られません。

 

↑キハ58 1009 上から1997年長野・1998年新庄・1999年山形です。この車も1997年の飯山線キハ110系化で新庄に転じました。1998年の時点で飯山色のままで、1999年に山形新幹線延伸で「月山」は廃止の見込みであったことからこのまま一生を終えると思いきや、1999年に見た時には東北地域本社色に変わっていました。1998年の時は特に飯山線時代と差はありませんが、1999年には助手席側の通風口が撤去され、乗降ドア下部の丸窓も鉄板で塞がれていました。廃車間際でも色々手を入れられるのですね。でもHゴムは灰色のままです。

 

↑キハ58 1047 上は1995年で急行「但馬」充当時、下は1999年です。正面は変わりませんが、屋根上の通風器が無くなっています。

 

↑キハ58 1102 上は1988年頃の奈良駅、下は1999年の米子駅です。10年近い時を経て、Hゴムが黒くなり、種別表示器横のアンテナ挿しが無くなり、ワイパーが更新され、それに伴い正面窓下の手すりが短くなっていますが、何故かJR西日本へ継承後なのに名工チックな手すりになっています。

 

キハ58 1506 上は1990年盛岡駅、下は1997年の盛岡駅です。1990年の時点で助手席側の通風口が塞がれていますが、1997年では運転席側も塞がれています。あと、1990年時点の盛岡色はKE53ジャンパ栓納めが赤白に塗り分けられているのに対し、1997年時点では白一色で塗られています。

 

このように、キハ58系達って、数年あけて写真を撮ると、どこか違っていたりしました。そのためただでさえ1800両以上いるのにそれが時代によって形態が違うので、そのバリエーションは無限!?になっており非常に頭の痛いところです。追っかけをしていた頃は、ある時点での情報が得られればおしまい!にしていたのですが、時代ごとに形態を追っていかないといけないのですね。これは非常に大変です。

 

私のホームページでキハ58系1両1両のイラストを掲載していますが、こちらも当然ある一時点での姿であり、その数年前後では形が違う可能性は大いにあります。出来るだけその車両の最後の姿をイラスト化するようにしているのですが、私が姿を確認したのが本当に最後の姿どうかも分からない車もあるし、末期の姿が不明な車も沢山あります。ですのであくまで参考程度にしていただけると幸いです(汗)

 


ということで今回は形態をコロコロ変えて困りもののご紹介でした。

 

今回も最後までご覧いただきありがとうございました。それでは次回もお楽しみに!!

 

是非私のホームページ

 

http://kami-kitami.sakura.ne.jp/index.html

 

にもキハ58系各車の解説がありますのでご覧になってください。