民鉄の覇者 東京急行電鉄 82、京王帝都電鉄Ⅰ(三宮四郎) | 犬と楽器と鉄道模型

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三宮四郎は京王帝都電鉄及びグループの基礎を築き上げた人物である。

慶應義塾大学卒業後、目黒蒲田電鉄(現・東京急行電鉄)に入社。
五島の知遇を得て大東急取締役に就任し、1946年同社専務取締役に昇任した。

戦後大東急からの分離独立し三宮が取締役社長に就任。
京王線・井の頭線とバス3営業所をもって京王帝都電鉄として発足した。

三宮は戦後復興に尽力し、財務基盤が脆弱な中で路面電車だった京王線をなんとか通勤電車の水準にまで引き上げるようと鉄道施設の大規模な改良を行った。

新型2600系車両を投入し急行運転等、積極投資を行い現在の京王線の基礎を作った。
又、同時に戦災の被害が著しかった井の頭線の復興も果たした。

鉄道事業の芳しくない収支を補う為、事業の多角化も志向しバス事業を大幅に拡張する。
更には観光事業として京王観光・京王遊園・東京菖蒲園(現百花苑)を設立した。

三宮は生真面目な人物の上、堅物で口数も少なく愛嬌もない性格であった。
この性格が幸いしたのか、この困難な時期に京王の復興はスムーズに進んだのである。

ある意味、ヤリ手な経営者であった事は間違いない。
大川と同僚でライバル意識を持っていたと言われている。

「復興は進み、展望も開けてきた。
しかし、後もう一つ強力な施策が欲しい」


こう常々思っていた三宮に井上専務と、岡本経理部長が
『是非合って欲しい人物が居る』と相談を持ち掛けられた。

 

実は当時、京王社内で聖蹟桜ヶ丘に撮影所と遊園地を建設する構想が持ち上がっていたのである。

沿線に付加価値を上げる計画の一環であった。

当時の【サンデー毎日】によると・・・

新たに設立した京王映画株式会社に拠って本社ビル内に2館、笹塚駅に1館を開設して映画興行に乗り出したが、これに加えて沿線の桜が丘に撮影所を含む遊園地を建設する構想を抱いていた。

年月下旬、曽我は京王電鉄の 「井上専務と、岡本経理部長を某氏に紹介されて会談を持ち、新会社設立の構想を話」すと二人は曽我の 「話に大変興味を持ったようで」 「三宮社長と相談して何分の返事をする」
との約束をした事の様だ。

これが日映事件と言う騒動を引き起こす事になるのである。