1990年5月5日の日記
(この日記は1990年5月5日の内容だが、ブログ投稿は2021年3月2日)
1990年5月当時の俺は17歳(高校3年生)
この日は、前日の夜から出発した。
テツというよりも、
妹とプチ旅行みたいな感じ。
妹と一緒に行った。
(当時の妹は中学2年)
京成で上野へ行って、
JRの上野23:58発の急行『妙高』号に乗った。
長野に、早朝4:43に着いた。
長野駅にEF64-66の14系客車が停まっていたので、ついでにそれを撮った。
長野5:52発の直江津行に乗った。
直江津には7:31に着いた。
直江津駅のホームの立ち食いそばで、俺は玉子そば、妹は天ぷらそばを食った。
売店で、お土産に甘エビのウニ和えを買った。
外は雨が降っていた。
直江津8:14発ので、隣の駅、谷浜には8:20に着いた。
雨が降っているので、傘を差して歩いた。
カバンなどの荷物が濡れてしまうので、ビニール袋をカバンに被せて歩いた。
国道8号線の歩道を歩いて行った。
長浜トンネルの歩道のトンネル(旧長浜トンネル)の中で妹と記念写真を撮ろうと思って、トンネルに近づいて行くと、
旧長浜トンネルの中から、ライトの光が見えた。
オートバイだ。
俺はそれを見て、危ない!と思った。
歩道だから、せいぜい自転車までしか来ないだろうと思っていてが、オートバイが来るということは、
轢かれる危険性もあるということだ。
(実際、本当に歩道なのかどうかはわからない。もしかすると、自動二輪の通行は違反じゃないかもしれない)
こんな人通りの少ないトンネルの中、油断して、すごいスピードで二輪車などが接近して来ると危ないので、大きな懐中電灯で照らしながら、妹にデカい声で歌い続けてもらって、トンネルの中を歩いた。
そして、トンネルの中で記念写真を撮る。
このトンネルは、鉄道ダイヤ情報誌1989年5月号の24ページの右下の小さい写真のトンネルである。
↓
↑ 『鉄道ダイヤ情報』1989年5月号24ページより引用
このあと、有間川~谷浜の海バックになるトンネルの上の撮影地に向かおうとしたら、トンネルの上に向かう坂が雨でぬかっていて危ないので、途中で引き返し、妹だけ、下の屋根のある自転車置き場で待っていてもらうことにした。
俺は殆どの荷物を妹に荷物番してもらって、
カメラ1台だけを持って、もう一度、トンネルの上の撮影地に登った。(9:30頃)
たまたま来た貨物列車だけを撮った。
9:45になっても12系和式客車『わくわく団らん』の前身(サワ座)が来なかったので、
ウヤとみなし、俺は諦めて、妹を待たせている自転車置き場に戻った。
その自転車置き場でも、妹と記念写真を撮った。
俺は逆立ちをして…
このあと、有間川駅に行ってトイレ。
富山方面に行くつもりだったが、うっかり待合室でくつろいでいたため、富山方面行の列車が来たら、
焦って走って乗った。(10:28頃)
ここは本数が少なく、1時間に1本程度しかないのでヤベーって思った。
糸魚川駅で14分停車するので、その間に駅弁買って食べた。
魚津には12:01に着いて、富山電鉄に乗ろうとしたが、
12:46まで来ないようなので、魚津駅を出て歩いて、西魚津駅まで行った。
チューリップ🌷畑に期待していたのだが、チューリップ🌷は、もう首ちょん切られたあとだったらしく、
全然チューリップ🌷が咲いていなかった。
魚津のチューリップ🌷畑は、ゴールデンウイーク前に行かないとダメらしい。
チューリップ🌷咲いていないが、なんか高い山が見えていたので、景色だけ撮った。
13:00頃、富山電鉄で魚津駅に戻り
魚津13:24発ので、市振へ行った。
市振には13:52着
今回は、俺も妹も、合唱で知った『親知らず子知らず』の歌の舞台である名勝を見るという目的があった。
市振駅から、国道8号を親不知方向へ歩いて行くと、歩道が無くなり、
車道の端っこを歩いて行かざるを得ない道路になってしまった。
なんか危ないので、とりあえず市振駅に引き返した。
砂浜を歩いて行けないものか?と考え、砂浜へ行った。
砂浜で記念写真を撮った。
また市振駅に戻った。(16:12頃)
17:32まで直江津方面へ行く列車はないし、仮に今から直江津に行っても、急行『能登82号』で帰る予定だったので、時間がすごーく余って暇になる。
トワイライトエクスプレスを近くの田園風景の所で撮ろうかとも考えたが、
雨が降っており、
そこまで妹を付き合わせるのは、妹も大変なんじゃないか?と思った。
結局、市振駅でトワイライトエクスプレスの通過を見た。
だんだん晴れてきて、雨はやんだ。
晴れてきたので、
17:27頃、
結局、歩くことにして、また国道8号を親不知方向に向かって歩いた。
歩道の無いところも、なんとか道の端っこを歩いて行った。
すると途中で後ろから来たクルマがクラクションを鳴らし、目の前で端に寄って停まった。
そのクルマの中から、見知らぬ男の人が、しばらくこっちを見ていた。
俺は妹と、スルーして歩いて行った。
そのクルマは行ってしまった。
やっと歩道のあるところにたどり着いた。
むしろ、クルマが通行止めの遊歩道みたいなのが始まり、車道はトンネルの中へと続いていたので、車道とはお別れだ。
やっと伸び伸びと歩ける。
『親不知』と書いてあるところで記念写真
観光名所らしく、他の観光客にも、シャッターを押してくれとか頼まれた。
展望台があって、ちらほらと観光客で賑わっていた。
そこには、親不知の天険などの崖の模型などが展示されていた。
結局、『親知らず子知らず』の歌の舞台の危ない所はどこなのか?よくわからなかった。
崖の下のほうにあるようだが、どうやって降りるのかもさっぱりわからなかった。
観光地にはなっているようで、
パーキングエリアみたいなのがあった。
そこでトイレに入った。
昔の旅人みたいな格好した公衆電話があった。
そこでも記念写真
先へ進むと、
また別の展望台があった。
そこも、観光客で賑わっていた。
大きな駐車場があり、やっぱりこういう所ってクルマで来ることが前提になってるんだな~って思った。
駅から遠いし…
また、歩道がなくなり、しばらく車道の端っこを歩いて行った。
夜になってきて、暗くなってきた。
19:37頃
親不知駅到着
つまり、出発してから、2時間10分かかった。
(時刻表では市振~親不知は8.6km)
日付は「平成2年5月5日」という意味。
親不知20:11発、直江津21:31着
また、朝と同じ所で立ち食いそば。
2人ともスタミナそばを食べた。
直江津駅前の電話ボックスで記念写真
駅前を少し歩いて暇つぶし。
23:10頃、
急行『能登82号』入線
指定席で帰ってきた。
翌朝、上野5:31着。
帰る。