(2016年旅の記録4回目 前回は仙台から柳津まで)


国道45号線を走っていた気仙沼線BRTのバスは陸前戸倉に着いた。
 

 

陸前戸倉のバス停が見えた。

 

 

 


陸前戸倉を発車。ここからバス専用道路に入り、震災前に気仙沼線の線路が敷かれていた区間を走る。

線路を撤去し、舗装した道路の上をバスが行くのは妙な気分だ。前方を見ると、バス専用の信号機と遮断棒が設置され、対向車とすれ違いできるように部分的に幅が広くなっている。単線鉄道の列車交換と同じ仕組みである。

 

 

 


バスは専用道路を進み、トンネルに突入した。車両1台分の横幅しかない。絶対にすれ違いできない。このようなトンネルを通るのは初めてで、違和感がある。それに昔乗ったことのある鉄道路線が道路になり、その上をバスに乗って進んでいくのはなんとも不思議な気持ちがする。

 

 

 


トンネルを出ると見晴らしのいい橋梁を渡る。宮脇俊三は「時刻表2万キロ」で開業初日にこの区間に乗った時のことを次のように書き残している。

「陸前戸倉を発車すると、右手に志津川湾が現われ、線路は高い位置からリアス式海岸の景勝を見下ろすようになる。車内に喚声があがる」


宮脇俊三が書いたような絶景は、防護柵が設置されたため見ることはできない。今ではわずかに海が見える程度である。

 

 

 

2002年発行の道路地図で確認すると、宮脇俊三が述べるように、陸前戸倉から先は志津川湾の見晴らしがいいことがわかる。

 

 

 


しばらくすると、前方にすれ違い施設が現われた。赤信号が表示されているので、バスは停止した。ここで対向車と交換するのかと思ったら、信号が青になり、バスは動き出した。どうやら一定の間隔ですれ違い施設があり、その都度一旦停止し、信号が変わり次第再び進行する仕組みのようだ。鉄道の信号機が閉塞区間ごとに設置されているのに似ている。鉄道では見慣れている閉塞方式も、バスでは初めて見るので、またしても違和感がある。

 

 

 


バスは再び高い橋梁を渡る。防護柵の上からチラッと海が見える。1994年に気仙沼線に乗った時、海側に座って車窓を眺めた。その時もこの海は見ているはずだが、すっかり忘れてしまった。

 

 

 


専用区間がいったん終わり、国道に戻る。


南三陸町の志津川が近づいてきた。宮脇俊三は「時刻表2万キロ」で志津川に到着する場面で、

いよいよ悲願八十年の志津川に着く。気仙沼線の中心駅だけに大きな新駅である(中略)サッカーでもやれそうな広い駅前広場はびっしりと人間で埋まっていて

 

と志津川の歓迎ぶりを書き残している。

 

 

 


しかし、私の目の前に広がるのはどこを見ても造成中の更地ばかりである。私が訪ねてから5年経過した。今の志津川はどのように変貌しただろうか。

 

 

 


前方に気仙沼線の盛り土の線路跡と閉鎖されたトンネルが見えた。

 

 

 


歌津に到着。ここは高い位置にホームがあるが、ここも津波に襲われたそうだ。
歌津から再び専用道路に入り、本吉の手前まで続く。

 

 

 


本吉付近では流失した気仙沼線の橋梁の無残な姿が残っていた。

 


(次回は本吉から気仙沼まで)