西武多摩湖線、特に国分寺口のこと | 書斎の汽車・電車

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 前回の当ブログで、西武多摩湖線のワンマン化の時期を平成9(1997)年と記してしまいましたが、平成10(1998)年でしたね。お詫びして訂正いたします。

 

 そのついでと言っては何ですが、西武多摩湖線、特に国分寺口の車輛について、もう少しお話させてください。

 

 西武多摩湖線といえば、元々は多摩湖鉄道でした。その開業当初のガソリンカーにしても、電化後に走ったラジアル台車の4輪単車にしても、とにかく個性的でした。その後も、600V時代の車輛は様々な出自の電車の寄り合い所帯といった印象があります。

 昭和36(1961)年に多摩湖線が1500Vに昇圧されますと、旧多摩湖鉄道の内、小平~萩山~多摩湖は本線系統に組み込まれ、西武新宿からの直通電車も走るようになります。一方の萩山~国分寺はというと、すっかり「離れ小島のローカル線」然としてきます。

 

 昭和37(1962)年頃の写真を見ると、多摩湖線国分寺口には、旧武蔵野鉄道の231系が走っていたようです。その後は、西武初の4扉車、初代401系が最後の活躍の場をこの線に求めました。続いてはクモハ371+サハ1311+クモハ371という3連が走り始めます。この3連という編成、実は西武では珍しい部類に属するのではないかと思います。これは、よく知られているとおり、国分寺駅が20m級2連、17m級なら3連にしか対応できなかったからでした。

 クモハ371が引退しますと、クモハ351がその後継車となります。多摩湖線国分寺口といえば、このクモハ351+サハ1311+クモハ351の印象が強いのではないでしょうか?私の記憶では、他の線区の「赤電」が昭和40年代末には方向幕を使用するようになっても、この線のクモハ351は「前サボ」を使い続け、方向幕に変わったのは昭和53(1978)年頃だったと思います。

 昭和60(1985)年に山口線が新交通システム化され、西武球場への足として機能し始めますと、野球開催日等には国分寺~萩山~西武遊園地に山口線に接続する「準急」が設定されまして、351系が使用されまして、ファンを喜ばせました。(他に2代目401系2連の準急もあり、こちらも魅力的でした)

 平成2(1990)年、国分寺駅の移設等の施設改良で、多摩湖線国分寺口は20m車4連が入れるようになり、「最後の赤電」351系は引退し、西武鉄道は冷房化率100%を達成しました。この時、玉川上水で引退記念イベントが行われましたが、西武鉄道にとって、この種のイベントは初めてだったのではないかと思います。

 

 以後、多摩湖線国分寺口には701系4連、新2000系4連などが入りました。そして、ワンマン化、新101系時代を迎えることになります。前回も述べたように、その新101系も引退し、これからは9000系が4連に短縮された上で最後の活躍をすることになります。思えば、231系、初代401系、371系、351系と、この区間を最後の活躍の場とした車輛は数多くありますが、9000系もその系譜にあるということでしょうか。