旧北国街道・海野宿を通り抜けて田中駅には戻らず、そのまま直進して大屋駅に向かいました。

 田中駅は東御市、大屋駅は上田市の駅で駅間の営業キロは3.4kmと、地方の元国鉄~JR路線の駅間としては比較的短い区間です。
 そして、海野宿は両駅のほぼ中間にあるので、どちらの駅から歩いても苦にならない距離です。
 ただ、田中駅からだと細い道をくねくねと何度も線路をくくったり渡ったりするので歩く距離は大屋駅からの方が近いかもしれません。

 大屋駅に向かって歩いていたら千曲川に出てきました。

 一昨年の台風19号の大雨による千曲川の堤防決壊による災害はJR東日本・長野新幹線車両センターが冠水して多くの車両が廃車になったり、上田電鉄・別所線の千曲川橋梁が流されたり、そして多くの家屋や田畑に甚大な被害をもたらしたことは記憶に新しいですね。
 河川の改修工事が行われていました。
 千曲川、そして名を変えて新潟県に入ると信濃川となる日本一長いこの川は近年の夏の豪雨では比較的下流域の三条市や新潟市付近での激甚災害が多かったですが、あの台風のときは上流域から中流域の長野県での被害が甚大でした。

 大屋駅に到着しました。
 どこの地方の駅に行っても古い木造駅舎が大切に扱われて、いつまでも美しく残され使われ続けてほしいと常に願っています。
 田中駅で列車を降りて立ち止まっては写真を撮ったりしながらのんびり歩いて海野宿を眺めつつ大屋駅までちょうど1時間でした。
 人ひとり出会わず、風と同化しながらの1時間はあっという間で、東京の下町の中を半ば義務的に見飽きた日常風景の中を1時間ほど散歩するのとはまったく違います。田中駅と大屋駅の間の駅間営業キロも遠すぎず近すぎずといったとところや、ほとんど線路に沿って歩いているといっても過言ではないほど遠回りしないで済むこともあるでしょう。気温も1桁ながらこの時期のこの地方としては暖かく真冬ほど寒くなかったこともあると思います。

 大屋駅も国鉄時代は一部の急行「信州」が停車していました。まだ、急行列車の特急格上げ以降はわずかですが特急「あさま」にも停車する列車が設定されていました。

 新幹線が長野駅まで開業して碓氷峠の横川駅~軽井沢駅間が廃止され、信越本線の長野県内の多くの区間がJR東日本から第三セクターしなの鉄道へと引き継がれて上野駅からの優等列車が来なくなった現在でも一部は立入禁止となっているものの、どの駅も長い12両編成以上の編成が停車できるほどのホームが残されています。ホームが短いのは比較的新しい駅でローカル列車しか停まらない駅と第三セクター化以降誕生した新しい駅くらいなものでしょう。

 柱の路線図が古すぎです(笑)。
 北陸新幹線が金沢まで延伸して久しいというのに未だ取り替えられていません。新幹線も「長野新幹線」のまま、長野駅以北がまだ北しなの線になっていません。
 下校中の高校生が多くて、人が写らないようにするのに苦労しました。

 そういえば信濃国分寺駅は第三セクター化以降に誕生した駅。ついでだから下車して国分寺跡も見学してくればよかったかも…などと、今頃後悔しています。
 下りホームの軽井沢方…今は使用されていない立入禁止部分に残る板製の周辺案内図か名所案内。塗料が剥げてしまってわかりません。169系の急行列車が停車していた頃が懐かしい…。

 軽井沢方を眺めます。背後の長野方にもホームは長く延びていますが、使われているのは駅舎がある中間部分だけといってもいいでしょう。
 乗車する長野行普通列車が到着。短い2両編成でした。
 しなの鉄道の115系は2両編成と3両編成があり、これを組み合わせて2両、3両、4両、5両編成が走っているようですが、私が選んで乗車するのは軽井沢方先頭車両のクモハ115です。
 主電動機(モーター)が取り付けられており、さらにこれを冷却するブロワの音も楽しめるから…というのが理由ですが、言い換えれば一番喧しい車両でもあります。
 静かな車両がよければ3両編成バージョンの長野方のクハ115に乗車するのがオススメですが、国鉄型車両は2両でひとつのユニットを組んでいることから2両編成の列車と、その組み合わせによる4両編成では残念ながらすべて電動ユニット車てすから諦めて大きなモーター音をお楽しみください。
 なお、5両編成の場合は長野方先頭車のクハがどの位置に来るか?…が問題です。つまり、3両編成と2両編成の組み合わせでどちらが長野方に連結されるのか…ということになります。

 国鉄時代…例外を除いて列車の編成の向きは全国的に原則揃えられていました。しかし、信越本線では群馬・長野県境の碓氷峠が最大66.7‰(パーミル)という国鉄一の急勾配区間が介在し、昭和38年のアプト式廃止により新しいEF63型による推進・牽引運転では最大でも電車は8両編成までしかくめず、しかも峠の麓側に重い電動車を集中的に連結したことから他の路線とは反対向きの編成となっていました。
 その後、EF63型電気機関車により電車側の制動も制御することにより機関車と電車の協調運転が可能な169系急行型電車が開発されて12両編成まで組めるようになり、489系特急型電車や189系特急型電車になると他の路線と編成の向きも統一されました。
 しかし、115系はEF63型との協調運転機能はないので、碓氷峠では機関車のみの動力による走行で、電車は無動で通過しました。
 そのため、重い電動車ユニットのクモハ115+モハ114を麓の横川方に連結、電動車ではない制御車であるクハ115を軽井沢方に連結した向きとされていました。そしてブロワの喧しい音も同時に楽しめるのが横川方、長野駅方面から見ると軽井沢方に連結されるクモハ115なのです。
 
と、話が逸れすぎました。
 上田駅に戻って北陸新幹線に乗り換えるために下車しました。
 なぜ軽井沢へ向かわなかったのか?
 そんなことをしたらきっと小諸駅で下車して小海線で小淵沢へ出て小淵沢から特急「あずさ」で帰ろうとしかねないからです。
 深夜勤務明けでそのまま帰宅せずに上野駅から徘徊してそんなことをしたらきっと疲れが抜けないに決まっています。もう若くないですから…。

 新幹線の時間まで少しあるので駅を探索してみました。
 上田電鉄改札口手前には居酒屋がありました。

 奥が上田電鉄の改札口です。
 乗客は次々とやってきて券売機で切符を購入しますが、改札口へは向かいません。
 それもそのはず、前述したとおり千曲川橋梁が流されて上田駅~城下駅間が不通となっているため、乗客は切符を購入すると代行バスのりばへと向かうのです。

 しかし、朗報が…❗
 上田電鉄では不通となっている区間の復旧工事が進み、3月28日のダイヤ改正から全線での運行が復活する予定とのことです。

 上田駅は新幹線側の「お城口」は市街地側ということもあって賑やかですが、反対側は閑散としています。
 上田はどこへ行っても六文銭。
 この地図…左側は北が上なのに右側の地図に違和感を感じたのでよく見ると北が下…つまり逆なのです。
 左が上田市周辺案内図、右側が上田駅周辺案内図なのですが、このあたりに不案内な人が見比べようとしたら見辛いのではないでしょうか?

 このあと、14:39発の北陸新幹線「あさま620号」で上野駅まで戻ります。