九州シリーズ2回目です
前作では、復興すすむ熊本城をご覧頂きましたが、今作はその熊本市から、九州を大横断し、一挙大分まで行ってみたいと思います^
・熊本~大分間、約150kmを結ぶ、JR豊肥本線
ご存じ、阿蘇山のカルデラ地帯を縫うように走る、日本有数の風光明媚さを誇る路線ですが、前作の熊本城と同様、2016年の熊本地震によって多くの区間で路盤等が被害をうけ、不通となってしまいました・
地元の方々の熱意、そして沿線自治体とJR九州の努力により、昨年(2020)8月、さいごまで残っていた不通区間・阿蘇駅~肥後大津駅間が復旧、4年ぶりに全線再開となりました
僕はこの線、学生の頃一度乗ったきりで長年ごぶさただったんですが、今般の再開を機に是非、当別荘に登場させて復興を応援しようという事で、全線を走破してきました。途中数駅で下車し、街ブラしているところもあるので、ゆっくりご覧下さい^
前作につづき登場、JR熊本駅、今作はここがスタート地点となります
コンコースにあった↑、豊肥本線再開をPRする掲示、ワンピースとコラボ(?)してるようです
最近改築(高架化)が完成した熊本駅、↑土産物売り場もリニューアル(肥後よかモン市場)、肥後料理を出すレストランも複数入り、なかなか充実の高架下です
改札の横にはスタバ
コロナ後、賑いが戻ってくるのを、準備万端で待っている新・熊本駅です・
これから目的の豊肥本線に乗るんですが、熊本駅からはこのほか、三角線の起終点にもなっています(※三角線は宇土駅から分岐していますが、運転系統は熊本駅発着で運転)
その三角線、↑今も国鉄型DCです
一方、僕が乗る豊肥線は↑、左側の電車です。長年非電化だった同線ですが、1999年に熊本市近郊の肥後大津駅まで部分電化しました。前作で大牟田から熊本まで乗ったのと同形式の、JR九州のワンマン電車が同駅まで折返し運転しています
肥後大津行、発車しました!九州横断、始まりですw^
鹿児島線&新幹線が車窓から離れてゆきます・
まず1駅目は↑、平成駅
名の通り、平成(JR)になってから開業した新しい駅です。
前述の通り豊肥線の熊本口・肥後大津までは電化されていて、通勤路線としてかなり高頻度で運転されています。このあと、雄大な阿蘇越えになっていくんですが、近郊路線との”2つの顔”を持つ線です
・このあと、水前寺駅等を通り、熊本駅から約40分で・・
電化区間最終駅、肥後大津駅到着
↑駅名標にありますが、熊本空港への最寄り駅です
既に熊本市は出て、菊池郡大津町に入っています
ここから非電化、電車(右側)からDC(左側)へバトンタッチ
乗換時間中に通過していった↑、全線再開に伴い熊本~大分の全区間で運転再開した『九州横断特急』
国鉄型185系を”化粧直し”して使っています
駅掲示の↑、全線再開を祝うポスター
阿蘇山麓を走る列車に手を振る、人と牛^^
豊肥線、主要駅の駅名標には↑、由来等が書かれた大型のものがある駅もあって、この肥後大津駅の由来を読んだとき、予備知識なかったのでちょっと驚きました。というのは~
この”大津”ですが、↑によると、アノ加藤清正公が直々、滋賀県の大津から名をとって命名したというんです。前作で述べた熊本城の石垣も近江から石工を呼び寄せて造営したというし、当別荘ゆかりの滋賀県と、ここ肥後の思わぬ縁に、現地で思わず唸った次第です・^^
国鉄型DC、キハ47型に乗り込みます。いよいよここから先が、豊肥本線のハイライト、阿蘇カルデラの世界です
4人掛けボックスシートが並ぶ、昭和の車内^^
当別荘の北海道作でよく登場するキハ40は、この形式シリーズの寒冷地仕様になります
肥後大津を出ると、これまで電化区間の間続いていた住宅地は消え、緑と山が車窓に広がります
非電化になってまず最初にある主要駅が↑、立野駅
この立野駅が、熊本側から乗ると阿蘇カルデラへの入口となります
↑は同駅にある、カルデラのパノラマ図。大変わかりやすく出来てます^^
また、立野は南阿蘇鉄道(※国鉄高森線から転換した3セク)へ接続駅です。但し同鉄道は熊本地震で甚大な被害をうけ、5年経った現在も中松~立野間で不通のままです
(※復旧工事がすすめられており、2023年に全線再開予定)
↑立野駅にも”由来付き大型駅名標”
前述の通り、熊本側からカルデラへの入口になっている立野、外輪山がこの付近で途切れ、そこに鉄道や道路が造られたんですが、↑によると、その切れ目をつくった神話からきているというのは初めて知りました
・また、駅名標には”スイッチバック”とも書かれてますが、豊肥線には日本有数のスイッチバック線がある事でも有名です。これからその区間に入ります
いよいよ、阿蘇の山懐へ入っていくDC
スイッチバックに挑みます
鉄分ありの人には”今更”の説明ですが、高低差のある地形に鉄道を敷く場合、線路をつづら折り状に折返しながら高度を稼いでゆく登坂方法がスイッチバックです。当別荘でも過去、2018年の『木次線』等で登場していますが、この豊肥線は阿蘇のパノラマを車窓いっぱいに眺めながら楽しめるのが魅力です
↑折返し点がみえてきました
列車は終端で一旦停止し、運転士さんは大急ぎで反対側の運転席へ!この一連の作業を見られるのもスイッチバックの楽しみの一つw(※運転士さんにとっては大変な手間ですが)
阿蘇の山並を眺めながら、のんびりと走る豊肥線ですが・・
車窓から見えた、大きな橋の建設工事
おそらく、地震で崩落した橋の再建工事だと思われます。
カルデラ地帯の中にある、内牧駅
そして、阿蘇カルデラ真っ只中、阿蘇駅です(※熊本県阿蘇市)
先の熊本地震で最も被害が大きかったのが、先程電車からDCに乗換えた肥後大津駅~阿蘇駅の間で、昨年さいごに復旧完成となったのが同区間です。
↑阿蘇駅の駅舎、ホームから見た限りすごく雰囲気ありそうな大きな和風駅舎だったんですが、停車時間が短く途中下車できず残念
ローカル色満点な駅に停まるDC、のどかなこの光景を復活させるために多くの人々が注いだ努力や情熱を忘れてはならないと思います・
多くの困難を乗り越え復旧した豊肥線、その事に思いをしながら窓外のカルデラを眺めると、一層素晴らしく見えました
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そして、次の主要駅、↑宮地駅に到着。肥後大津から乗ってきた列車はここで終着です
この駅も熊本県阿蘇市になるんですが、ここが路線的には、熊本と大分との中間点としての位置付けで、大分側/熊本側から各々来た普通列車は、宮地駅までで折返しになります
・という事で、肥後大津から乗ってきた↑国鉄型DCはここまで、ここから先は~
大分側から折返しの↑、黄色いJR型のDCへ乗換えです
しかし、その前に・・
宮地駅では待ち時間があるので、途中下車してみます
前述の通り運行上の結節点となっている宮地駅、同線の歴史的にみてもそうなっていて、熊本側・大分側から徐々に部分開通しながら延伸してきた線路が、1928(昭和3)年にさいごに開通し、九州横断線が完成したのがこの宮地駅を含む区間です
↑同駅の時刻表ですが、熊本方面には毎時1本程あるのに対し、県境越え区間の大分方面へは1日5本しかありません(※別途特急2本)
この点も、前述の木次線と共通する部分を感じます
乗継時間があるので、駅前を少し散策します
駅前にある交差点、主要道路同士がクロスしています
豊肥線と同じく、熊本と大分を結ぶR57と、別府市へつづく県道11号の交差点です
コンビニのほか、阿蘇牛を食べさせるレストラン等もあって、宮地で列車待ち時間がある時は周辺をウロウロする事をすすめますw
雲が増えてきました、列車からよく見えていた阿蘇山が隠れそうになってます
駅へ戻ると、ニャンコが待ってましたw
お!早速僕へ近寄ってきた!
人懐っこい宮地駅のネコでした^^
時間がきました、大分方面のDCへ乗り込みます
JR九州のワンマン仕様DC・キハ125です
いよいよこの先、県境越えへ
トンネルも登場
闇の中の登り坂、エンジン音も上がってきます
・そして、トンネルを出ると~
なんと雪が!実はこの日、クリスマス前の寒波が九州を覆っていて、今シーズンの初雪は九州でみる事となりました^
県境近くにある波野駅も雪景色
そして、熊本県さいごの駅、↑滝水駅到着
大分県へ入ります・
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大分県に入って最初の駅は↑、主要駅格の豊後荻駅。同線の中では大き目な駅舎
雪は止みました・
その次の玉来駅にあった↑、”超国鉄な駅名標”w
そして、山間部から抜けると、再び青空が!
雪模様は県境付近だけだったんです
宮地から乗ってきた列車は↑、豊後竹田まで。ここで大分行に乗り継ぎます
今度の車はキハ200系の2両編成。↑近郊電車と同じバッタンコクロスシートが並ぶ、なかなか豪華^^な仕様
瓦葺の立派な駅舎がみえる豊後竹田駅、豊後竹田といえばご存じ、数々の名所がある大分県内陸部きっての街で、街ブラには最適なんですが、ここ見所豊富なのでいずれ竹田だけで1作つくりたいと思ってますので、今回あえて温存しておきます^^
・で、その代わりといったらナンなんですが、大分駅に着く前に1駅、途中下車して街ブラします。その駅とは~・
大野川が並行してきました
↑の駅で途中下車します
三重町駅です。豊後大野市に位置する、同市の玄関駅です
↑三重町駅舎
・まずは”豊後大野市とは?”からいきますが、2005年、平成大合併により旧大野郡7町村が合併して誕生した市です。その7町村の中で中心的な存在だったのがこの三重町です
↑駅前にあったマップですが・・
竹田に負けないほど見所豊富!次の列車まで1時間、急ぎ街ブラへ出発^
古来、大分県中部の要衝であった三重町、現在も↑国や県の出先が多数おかれる重要拠点です
三重町には昔から市が立ち、物資の集散地でもあったとの事。日向街道とも呼ばれる古い街並も残っています(※同市の市境は一部宮崎県とも接しています)
オロナインおばさん、久々に会いました(笑)
丘の上のある小学校、その入口に立つ門柱状のもの、これは・・
江戸時代の代官所の門だったとの事(※↑現地看板)
前述の通り、古来から地域の中心地だったことが窺えます
時折現れる大きな古民家、往年の繁栄を偲ばせます
中でもひときわ立派なつくりだったのが↑
麻生家住宅(※国有形文化財)
江戸中期より醤油商を営んでいた同家、↑は1877(明治10)年築、豪商の栄華が感じられるつくりです。1963(昭和38)年廃業、現在は地域のギャラリーとして活用されています
↑市の広報掲示板の隣に、名所看板が・・
江戸期の高札場の跡との事。という事は、現在もこの場所は同じ目的で使われているという事ですねw
その横にあった荒物店ですが、お店自ら↑”昭和の店”と大書!
恐れ入りました(笑)
三重町、少し歩くだけで次々現れる名所、なかなかの街です^^
今度は・・
↑山頭火の井戸?!アノ吟遊詩人、種田山頭火も三重町に来ていたのか!?
来ていたんだそうです。
流浪の途次、三重町で↑の井戸の水を飲んだ山頭火、大変美味いと絶賛したそうです^
しかしこの井戸、↑ご覧の通り、住宅の軒先です
訪問の際は、くれぐれもご迷惑にならないように・
つづいては、小高い丘にあった神社へ
この神社、西宮神社というんですが、名所看板には興味深い事が書いてありました。それは・
この神社、恵比寿さんとの事で、地元では「エベス」とも呼ばれ、商売繁盛の神様だったとの事。それってもしかしたら、恵比寿社の総本社・兵庫県の西宮神社との繋がりがあるんだろうか?という点。看板ではそれについて一切言及されておらず謎ですが、恵比寿を『エベっさん』と言うのは関西と同じだし、九州のこんな山中にもエベっさんがあったとは・・(驚)
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↑立派な門構えですが、この屋敷は~
多田家住宅(※国有形文化財)
江戸期は庄屋だった同家、現在も銃砲店として商売をされています。↑看板によると、終戦後、ミズーリ号艦上で日本全権として降伏文書に署名した重光葵は、この家で生まれたそうです(驚)
(※詳細は僕わかりませんが、重光家へ養子に出された、という事か)
内部見学は出来ないんですが、同家には主屋のほか「御成屋敷」があり、臼杵藩主が当地に来た時は宿泊していたとの事。
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今度は・・
洋館建てが現れる
この建物も、現地看板によると国有形文化財
これは~
旧長田医院、1927(昭和2)年築。
↑看板によると、”新築当時は見物人が絶えなかった”との事。豊後大野最初の洋風建築だったとの事で、そりゃモダンだったんでしょうね・・
現在はなんと、居酒屋として使われていますw^
古来より”市場”地区と呼ばれてきた三重町の中心部、知られざる数々の歴史を秘めていました・
時間がきました、駅へ戻ります
↑駅前にあった看板ですが、豊後大野は市街地だけでなく郊外も見所豊富で、ジオパークに指定されるほど自然豊かです。原尻の滝や大迫摩崖仏等(※大分といえばやっぱり摩崖仏)、バイクでもまた訪ねたいと思いました
いやぁ、なかなか見応えある街だった・・
いよいよ、ゴール・大分駅へ
犬飼駅を過ぎると、大分市に入ります
朝、熊本駅を出てからもう半日、次第に東九州の都、大分市街地へ入ってゆきます。家並が増えてくる
終着、大分駅はもう間近、日豊線と合流!
高架になり、ビルが立ち並ぶとまもなく・・
おつかれさまでした!大分駅・終点です
水前寺の膝元を発し、阿蘇のカルデラを望み、雪景色の県境を越え、竹田、そして三重町の味わい深い街を縫い、九州を横断して大分までやってきました
再び全線が繋がった、熊本と大分を結ぶ鉄路・豊肥本線、いかがでしたでしょうか。僕は普通列車で走破しましたが、特急もあるので一般のかたでも楽に全線走破が楽しめると思います。コロナが落ち着いたら、是非訪ねてみて下さい^
大分駅も、冒頭の熊本駅同様、近年高架化されて新しくなっています。3面6線を持ち、日豊線のほか、この豊肥線と久大線の起終点になっています。この日は大分泊、次作で久大線に乗り、鹿児島線側へ戻ります^
今作ここまでです!
↑はその後、非公開行動(笑)で行った別府駅ですが、それはさておきw、次作は前述の通り、久大本線を大走破します。
・なお、久大線もここ数年の豪雨被害で不通区間が度々発生しており、次作でご覧頂きますが僕が行った時も一部区間が代行バスとなっていました(※2021.2現在再開)
そのへんも含めて、途中の超有名なアノ温泉街の街ブラ、また、かつての鉄道全盛期を偲ばせる駅にも途中下車します。では次作をお楽しみに・^