1990年3月18日の撮り鉄日記
(この日記は1990年3月18日の内容だが、ブログ投稿は2021年2月26日)
1990年3月当時の俺は17歳(高校2年生)
この日は日曜日だったが、普段、学校のある日よりも早く起きた。
朝7:20には起き、
冷凍ピザ🍕を電子レンジで加熱して食った。
自転車で、大塚~池袋の西巣鴨橋へ…
片道15kmくらいあり、都会を自転車で行くので、15kmくらいでも1時間以上はかかってしまう。
西巣鴨橋の下には、柵の外に撮り鉄が大勢スタンバイしていた。
どうやら、直前乱入を企んでいる連中のようだ。
昔は、田舎のほうなら、多少は鉄道敷地内に乱入しても、そんなに怒られる時代ではなかったが、
さすがに都会では通報される可能性がある!?
なので、乱入するヤツは、モノの来る直前に乱入し、もし通報されて警察や鉄道関係者が駆けつけたとしても、その頃には撮影が終わっていて、逃げ出しているという手筈だ。
そういう手段を企てている連中が、下の柵の外でスタンバイしていたのだ。
俺は穏やかに、陸橋の上でスタンバイ。
陸橋の上には、おっさんのテツが一人来ただけだ。
おっさんの話を聞いていると、どうやら、この撮影地は景観が変わってしまうらしいのだ。
山手貨物線の線路を、およそ8年かけて、山手線くらいの高さまで掘り下げるという工事がもうすぐ始まると言う。
明治通りの踏切を無くすためだそうだ。
この時代は、まだ湘南新宿ラインが無く、池袋発着の東北本線・高崎線がちょっとあるだけで、
まだ山手貨物線を走る定期の旅客列車は本数が少なかった。
なので、湘南新宿ラインが走るようになったら、明治通りが開かずの踏切になってしまうから、掘り下げ工事が始まるようだ。
ついでに撮った211系の池袋発着の普通列車
国鉄特急型 国鉄特急色の団臨
この時代は、183系も189系も485系も国鉄特急色なんて珍しくなかった。
なので、ついでに撮った副産物であり、特にチェックしていなかった。
山手線は205系の時代。
103系の山手線は無くなっており、E231系も誕生していなかった時代。
そして、9:20頃、
九州の『サザンクロス』の団臨が通過
このあと俺は、一旦家に帰ったが、しばらくして、再び出発。
11:20頃
亀有の松屋でビーフカレー🍛を食う。(昼食)
この時代は、亀有の松屋は北口にしかなかった。
今では南口にもあるし、だいぶ改装されているが、この時代にはすでに亀有北口の松屋は存在していた。
さて、俺はそのあと、新松戸駅へ…
新松戸駅先端にも、テツヲタがいっぱい集っていた。
中学の頃からのテツの友人、ゆうずる氏もおり、同じ中学出身のマタケシ氏もいた。
サザンクロスを撮る
このあと、俺はすぐ帰った。