北陸新幹線「はくたか559号」でやってきたのは…。
新幹線ではこの駅で下車するのは初めてのような気がします。
真田氏の六文銭を意識したかのような装飾が施されています。
信州・上田といえば真田昌幸が築いた上田城が有名です。そして長野県では最も降水量が少ないところだそうで…。豪雪地帯が多い北信地域と違って雪景色となることはそれほどありません。
もちろん周囲を取り囲む山々には多くの雪が降るのですが、これらに守られるようにして上田平や塩田平と呼ばれる千曲川流域の盆地が深い雪に閉ざされることはありません。
赤備えはよほど自信がなくてはできなかったと言われます。黒い具足が当たり前の戦場で赤い具足を纏っていたら当然目立つわけですから…。
真田幸村として後世に名を残す真田信繁は自らだけではなく、家来たちの具足も赤で統一させたなどと伝えられています。
赤備えは他に徳川家康の家臣で徳川四天王のひとりである井伊直政が有名です。
よく旅行雑誌やインターネットなどで見かける「真田幸村の上田城」という表現がありますが、あれはとんでもないデタラメで、真田幸村が上田城の城主となったことはありません。城持ち大名や領主となったこともありません。
上田を領地としていたのは父の真田昌幸、そして大坂夏の陣が終わってから幸村の兄の真田信之が領主となっていただけです(徳川家康没後、二代将軍秀忠の時代に信之は同じ信州の松代に転封となり、明治維新まで続く松代藩の藩祖となります)。
真田幸村(本名は信繁)が後世に名を残し、現代の「歴女」の方々に絶大な人気を誇るのはもちろん大坂冬の陣での「真田丸」や大坂夏の陣における百戦錬磨の徳川家康が「自決を覚悟した」とさえ言われる幸村の猛攻が江戸時代後期に「真田十勇士」などとして講談に取り上げられたことが大きく、関ヶ原の戦い以前の当時は父や兄に隠れた存在でした。
しかし、家康に「死を覚悟させた」ほどの猛攻ぶりは薩摩の島津氏をして「真田日本一の武士(ひのもといちのつわもの)」と言わしめたことからもわかるように相当壮絶なものだったのでしょう。
上田駅の構造は面白くて、新幹線ホームは高い高架となっていて、在来線のしなの鉄道(旧信越本線)は地平ホームというのは珍しくありませんが、しなの鉄道の駅舎が橋上駅となっていて改札口が二階にあるのに対し、JR東日本の駅舎と改札口は一階にあるという構造になっています。
また、以前は地平にあった上田電鉄のホームも高架化されていて改札口も二階にあります。
しなの鉄道のホームに向かうと115系2両編成バージョンで国鉄時代に中央本線を走っていた115系が纏っていた「やまスカ色」が復刻されたS26編成回送列車が中線ホームに停まっていました。
この「山スカ色」というのは首都圏を走る横須賀線の電車に古くから施されていた青とクリームのツートンカラーが「スカ色(横須賀色)」中央本線に導入された115系にも施され、塗り分けなどが異なっていたことと山岳路線である中央本線を走るのでファンの間でこのように呼ばれていました。
そういえば現在は横須賀線と直通運転を行っている総武本線などの房総各線直通の総武線快速電車も同じカラーを纏っていますが、まだ横須賀線との直通運転が始まる前は「千葉スカ色」なんて呼ばれていたのかな?聞いたことないな…。
ちなみにしなの鉄道の前身である国鉄~JR東日本信越本線時代にこの塗装の電車が走っていたのは古い70系電車などの時代。私が高校生になる前くらいまででした。以後、長野地区に導入された耐寒耐雪強化型の115系1000番台は「湘南色」とか「カボチャ色」などと呼ばれている濃緑と橙色のツートンカラーで、東北・高崎線を走っていた115系と同じでした。
無人島に持っていくなら何?
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楽器がいいかなぁ…。騒音を気にせず練習できるから嫌でも上達しそうです(笑)。