西桑名駅を発車する近鉄北勢線阿下喜行きの電車。今から45年前の姿です。

「あれっ!? 近鉄北勢線・・って、あれは三岐鉄道やないんかい!?」 というご指摘があろうかと思います。確かに今でこそ、三岐鉄道北勢線になっていますが、この頃はまだ近鉄だったんですよ。

北勢線と写っているモニ220形については、8年前にもお伝えしたことがありますが、その時はサラッとお伝えしただけですので、お復習いを兼ねてあらためて北勢線を取り上げたいと思います。でも私、鉄道が趣味でも、特殊狭軌鉄道については全くの興味の対象外なんですけどね。

 

昭和30年代から40年代にかけてまでは軽便鉄道を含めて日本の彼方此方で見られた762mmゲージ。いずれも地方鉄道で、まだ道路網の整備が追いつかなかった山間僻地のエリアにおいて、沿線住民の生活の足として活用されていました。ただ、 「沿線住民の足」 とはいっても、客車は遊園地にある 「おとぎ電車」 のような小型のものばかり。大人10人も乗れば超満員という車両もあったりして、早急な対策が求められていました。

次第に道路網が整備され、収容力の高い大型バスが走り出すと、沿線住民は皆、バスに鞍替えするのは自然の理であって、鉄道は敬遠されるようになります。その関係で昭和40年代に入ると、次々に廃止あるいはバス転換する会社が続出しました。

 

昭和50年代に入ると、指で数えられるくらいまでに減りまして、私が知っている特殊狭軌鉄道は、これからお伝えする近鉄は除いて、富山県の黒部峡谷鉄道、石川県の尾小屋鉄道、岡山県の下津井電鉄くらいかな。尾小屋鉄道は最後まで残ったナローゲージの非電化鉄道だというのは知っています。鉄道事業廃止後はバス専業になって、小松バスになっています。下津井電鉄は瀬戸大橋開通時に息を吹き返しましたが、今はバス専業になりました。そして黒部峡谷鉄道は立山黒部アルペンルートの重要な移動手段として活用されています。他にも森林軌道で残っていますけど、下津井電鉄廃止の段階で、旅客営業をしている特殊狭軌鉄道は黒部峡谷と近鉄だけになってしまいました。

 

近鉄は西桑名-阿下喜間の北勢線と、四日市-内部間の内部線、そして日永-西日野間の八王子線の3線を運営していましたが、出自は異なります。内部・八王子線は三重軌道という会社による、軽便鉄道としてスタートし、北勢線は北勢鉄道という会社が運行していたやはり軽便鉄道がそのルーツ。戦時中の1944年に三重鉄道 (←三重軌道) や北勢鉄道など6社が合併して三重交通になります。後に北勢線、内部線、八王子線の3線は三重交通が出資する三重電気鉄道として事実上分社化された後、1965年に近鉄が三重電気鉄道を合併して、ここで初めて近鉄の配下路線となります。

 

時代は平成に移り、沿線の過疎化が進んで利用状況がよろしくない3線を廃止する (バス転換) 方向で検討しましたが、北勢線は沿線の市町村が、内部・八王子線は四日市市がそれぞれ存続させるべく動き出し、結果として、北勢線は2003年に三岐鉄道が運行を引き継ぐこととなり、内部・八王子線は2014年に近鉄と四日市市が出資する第三セクター 「四日市あすなろう鉄道」 として再出発しました (運営開始は2015年) 。

 

画像は近鉄特殊狭軌線で活躍したモニ220形です。

元々は北勢鉄道のモハニ50形で、1931年から製造された車両です。その他にも松阪電気鉄道からの承継車両や四日市鉄道からの承継車両もこのグループに含まれています。

画像のモニ227は戦後製で、同社を含めて3両を新造。227だけ北勢線に配備され、228と229は三重線に配備されました。籍は北勢電気鉄道→三重交通→三重電気鉄道→近鉄とめまぐるしく変わりましたが、運用路線については変わることはありませんでした。

 

1977年、近代化の一環として北勢線に270形電車が投入されると、一部のモニ220は余剰となり、このうちモニ225~227の3両は内部・八王子線へ転属します。残った車両も電装解除してク220となりました。

そんな内部・八王子線にも新型車両 (260系) の投入によって近代化が進み、225と226が廃車、227~229は電装解除+中間車改造という大がかりな手術が行われ、サ120となりました。画像のモニ227はサ121に改造されたと思われます。時に1982年のこと。

このサ121は2016年に廃車されています。最後まで残ったのはサ122で2018年まで活躍しました。

 

 

モニ220については、1両だけ保存車両があります (こちらは2013年撮影) 。

北勢鉄道電化開業用の車両で、1931年製と思われますが、1983年に廃車後、一旦は四日市市のスポーツ施設に保存されていました。その後、2008年に阿下喜駅構内に移送されましたが、四日市時代の放置プレイで腐食が激しかったことから復元作業が行われ、2011年に一応の完成を見て、一般に公開されています。

 

私も一度だけ、北勢線には乗った事がありますが、線路の狭さに圧倒されました。当たり前っちゃあ当たり前なんだけど、普段は1,435mm (標準軌) や1,067mm (狭軌) を見慣れているせいか、その狭さを体得出来たのは良い経験だったなとは思います。

それにしても、現役時代の画像を見て、桑名も変わったんだなというのを実感します。どの辺りから撮っているのか、地図と照合したのですが、手がかりになるジャスコ (現、イオン) や 「パルなんとか」 というショッピングモールは今は無いようです。ジャスコとはまた、懐かしい響きなんですけど (私の親は今だに 「ジャスコ」 って言っている) 、確か、ジャスコは三重県が始まりじゃなかったっけ? ジャスコは四日市に構えていたスーパー 「岡田屋」 がその起源だというのは知っていますが (創業者の御曹司は立憲民主党常任顧問の岡田克也氏だというのも知っている) 、桑名のイオンは別の場所に移転したようです。

 

【画像提供】

ウ様

【参考文献・引用】

ウィキペディア (三岐鉄道北勢線、四日市あすなろう鉄道、北勢鉄道モニ50形など)