令和3年3月のダイヤ改正で特に注目されているのが、特急 「踊り子」 から185系電車が身を引くということが挙げられます。以降は中古のE257系を改造して充てることが決まっております。そして既に運転を始めている 「サフィール踊り子」 とで合わせて “伊豆への足” が世代交代をするわけですが、伊豆に田舎があって、 「踊り子」 に多少なりとも思い入れがある私にとっては、 「185系 「踊り子」 登場!」 の時のような興奮とか喜びとかが薄いんですね。この時期だからなのかもしれないけど、 「 「踊り子」 の車両が世代交代をする、しかも新車ではなくて中央線や房総とかで活躍した車両のお下がりだ」 という段階で、寂しさを含めて天を仰いだ感じです。伊豆は大好きだし、伊豆急行も思い入れがあるけど、JRの 「サフィール踊り子」 といい、一時、北海道に魂を売った伊豆急の 「ザ・ロイヤルエクスプレス」 といい、そんなに豪華な車両を投入するほどの路線か? とは思います。

 

昭和56年から運転を開始した185系。早期落成車から戦列に入り、春先から急行 「伊豆」 でプレデビューし、その合間に “もう一つの本業” である普通運用に就いて段階的に153系を置き換えていき、10月1日のダイヤ改正から特急 「あまぎ」 と急行 「伊豆」 を統合した新しいエル特急 「踊り子」 としてメジャーデビューを果たします。一応、登場当初の185系には 「あまぎ」 のマークや行き先も用意されていましたけど、最後まで 「あまぎ」 に使われることはありませんでした。プレデビュー時に特急に使ったかと思ったら急行にも使い、さらに普通にまで手を出すとなれば、 「国鉄は気が狂ったか?」 と、今風に言えば格好の “炎上” の種ですもんね。でも、粗悪な鉄道マニアや鉄道マスコミの評価は別として、一般利用者や伊豆の観光・経済・産業の関係者には頗る上々な評価でした。ホスピタリティはともかく、今までの国鉄車両には無い、あの外観がウケたのでしょう。だから、 「踊り子」 はデビュー時からすぐに人気者になり、昭和53年の大地震 (伊豆大島近海地震) で観光客が遠ざかっていた伊豆に再び観光客が戻ってきました。ちょうど同じ頃、国道414号線の天城峠に 「河津七滝ループ橋」 という新名所が出来 (同地震で国道が寸断され、その復興を兼ねたもの) 、これと 「踊り子」 を折り合わせたツアーなんかもありました。だから当時の伊豆の人々にとって、 「踊り子」 と ループ橋は救世主そのものだったんです。

 

明けて昭和57年。 「踊り子」 の人気は留まるところを知りませんでした。目当ては皆、185系充当列車で、この頃の 「踊り子」 は、 「あまぎ」 に充当されていた183系1000番代も引き続き使われていましたが、こっちの人気はさっぱり。鉄道マニア目線だと、 「185系よりも183系の方が良い」 という評価になってましたが、利用者はあくまでも 「白くて緑のストライプの電車」 ですから、切符もまず最初に185系充当列車から売れていったそうです。

 

こうした “踊り子フィーバー” を救済すべく、新たな列車を設定することになりましたが、それは何と客車。同年暮れから東京-伊東間に14系座席車を使用した臨時の 「踊り子」 が運転を始めたのです。

元々、伊豆方面の優等列車は80系電車が登場するまで客車が使用されていましたけど、80系や153系などが登場してからはほぼほぼ全て電車に置き換わりました。それでも臨時等で客車列車は残存していましたが、43.10改正でそれも全て電車に置き換わったので、15年ぶりに伊東線に客車列車が入線したことになります。さらにこれが昼行特急となりますと、あの 「つばめ」 「はと」 の電車置き換え以来、22年ぶりということになります。

最初は東京-伊東間でしたが、翌昭和58年の夏からは伊豆急下田まで運転されるようになりまして、伊豆急に初めて客車の特急列車が走りました。

牽引機関車は東京機関区のEF58で、これも人気に拍車がかかった要因。93号機や160号機辺りが多かったようですが、時折、若番の11号機、可動式スノープラウ付きの88号機や124号機という当時の人気機が牽引となると、東海道沿線は大騒ぎになります。しかし、何と言っても一番人気はお召し機である61号機が牽引する時でしょうね。なお、59.2改正以降はEF65PFに置き換わっていますが、61号機だけはその後も牽引し続けました。

客車による 「踊り子」 は14系座席車だけでなく、スロ81系和式客車や欧風客車 「サロンエクスプレス東京」 を使用した列車もありました。もう、何でもあり状態で、国鉄側もそういう車両を使って利用してもらい、収益につなげたい思惑や意識は多分にあったと思います。

 

 

こちらは、昭和61年8月現在の客車 「踊り子」 の時刻表です。

臨時列車ゆえに、その時期によって運転時分は様々でした。この時は朝、東京を出発して夕方、下田を出発するという時刻だったようです。客車ですから電車よりは速度は幾分、遅くなりますので、電車が混み合う時間を避けて運転していたのかなと思われます。また、夏場ですので、下田発着も丁度良い時間帯じゃありませんか。下田に到着後、すぐに海水浴場に向かえば、移動と準備の時間を差し引いても4時間は泳げますしね。白浜海水浴場は死ぬほど混んでいますので、近隣の鍋田浜、多々戸浜、入田浜、吉佐美大浜という海水浴場であればこのスケジュールは十二分に可能です。しかも、電車の 「踊り子」 よりも停車駅が少ない。確か、60.3改正時だったと記憶していますが、買い物客を目当てにして、藤沢、茅ヶ崎、平塚と停めまくったんですよね (川崎や大船停車は最初から) 。それから考えたら、この臨時 「踊り子」 はとにかく停まらない。まぁ、海水浴客目当てですから、停めないのが当たり前なんですけど、国鉄も反省して、数年で定期列車の藤沢、茅ヶ崎、平塚停車は無くなりました。その代替で快速 「アクティー」 が登場したと記憶しています。

 

画像は東京駅でしょうか。とっぷりと日も暮れており、撮影時期は不明ですけど、時刻とリンクはしているのかな?

スハフ14のテールライトと愛称表示器の照明は消えていますので、品川客車区に回送されるのを待っているところかと思われます。

今、 「踊り子」 というよりも、185系が注目されていますけど、185系のフォロワーとして運転されていたこの客車 「踊り子」 の存在もお忘れなく。

 

【画像提供】

タ様

【参考文献・引用】

時刻表 1986年8月号 (日本国有鉄道 刊)

鉄道ピクトリアル No.957 (電気車研究会社 刊)

鉄道ファン No.282 (交友社 刊)