東急は、この計画変更をしていた最中、又とんでもない情報が入った。
今度は、東名高速道路の計画が持ち上がったのである。
その計画は、現在の東急田園都市線付近に道路を建設し、東急ターンパイクの幹となる部分と全く同じであった。
東急からしたら、これは大変な行政の猿真似事であった。
第三京浜、次いで東名高速道路の建設は、東急が計画した路線をそのままコピーされたのである。
更に建設とこれは、お上の横取りそのものであった。
この様な事態となったらもう、五島でも手の打ち様が無かった。
道路事業参入への一環として作られた道路が、箱根ターンパイクである。
当時は、箱根~多摩田園都市~渋谷、と言う最終的なルートが想定されていた。
しかし、その夢は遂に実現しなかった。
現在、唯一残されたこの道路の名を取って当時が語られている。
東急は高速道路構想を諦めざるを得なくなった。
計画を道路から鉄道へと変更する。
五島が嫌がっていた鉄道の敷設工事をしなければならなくなった。
そして、東急田園都市線が誕生する事になるのである。
この記事は2015-04-28
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