「京都の市電 昭和を歩く」「京都市電が走った街 今昔」の著者、福田静二さんの協力を頂き、四季折々の京都の街と市電の風景の「京都市電ロマン カレンダー」をお届けしています。
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京都電気鉄道稲荷線開業6年後の1910(明治43)年には京阪電車の天満橋~五条(現:清水五条)間が開通したため平面交差となり、その後は脱線ポイントや信号所設置などの事故防止対策が市電廃止まで行われたが、衝突事故も何度か発生した。
カレンダー画像の左側に建っている黒い建物が信号所で、京阪電車との交差点手前に設置されているのが脱線ポイントで京阪電車通過時には画像の様に直進できない様に切換えられる。脱線ポイントは京阪電車側にも設置されていた。
京都市電の最盛期を過ぎ自動車の普及とともに交通事情が悪化し、狭軌のまま京都電気鉄道時代から残っていた北野線が1961(昭和36)年に廃止された9年後、75年前に日本最初の路面電車として京都電気鉄道(狭軌)で開業しその後京都市電に吸収され広軌化された伏見線・稲荷線が、1970(昭和45)年3月31日広軌としては最初の路線廃止となった。
竹田街道 勧進橋電停付近の変則通行区間 (福田静二氏撮影)
勧進橋から東へ分かれ伏見稲荷大社へ向かう稲荷線は全線が築堤の専用軌道で問題はなかったが、伏見線の塩小路高倉から中書島までのうち僅かの八条口~勧進橋を除いては、一部専用軌道区間が有る物の、ほとんどが道路の片側を電車が走行する変則区間のため交通事故や渋滞の要因とされ、2路線は同時に廃止された。
伏見線 京都駅~下油掛 1895(明治28)年2月1日開業
下油掛~中書島 1914(大正3)年 開業
稲荷線 勧進橋~稲 荷 1904(明治37)年8月4日開業
伏見線・稲荷線 1970(昭和45)年3月31日廃止
伏見線・稲荷線に関する2019年のブログ記事
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*** 福田静二さんの著書 ***