広場恐怖症が電車好きになる日 6

いよいよ友人が来てくれる月曜日。きのうはひさしぶりに生身の人と話をして疲れ果てていた。だいじょうぶかな。体調に不安がよぎる。でも信頼できる友人が来ることに安心している。いつもの心の準備をし過ぎて約束の前に疲れ果ててしまう、あの感じがない。

きのうは楽しかった。今日も楽しいだろうことがわかる。きっと今日は電車に乗れる。人の力を信じている。汗ばむくらいあたたかい今日、何度もホームで待つかもしれない電車の練習に好日だ。

遠くから友人が助けに来てくれるんだと思ったら感謝でホームに入って待ち構えていた。友人の乗った列車がホームに入ってくる様子を撮影する。ドアが開く。ああ、来てくれた。わたしは歓喜で飛び跳ねた。来てくれてありがとう。ありがとう。感謝の気持ちで嬉しくて友人に抱きついた。

10年ぶりに会うのにとても安心している。この人が一緒に乗ってくれるなら今日は必ず乗れると確信がある。海のない県に住んでいる彼を、まず海に連れていった。

春風が吹く砂浜に出ると南風が強くて、この世に誰もいないのかと思うほど人っ子ひとり居ない。鬼のように広いので鬼浜と呼ぶその海岸は見渡す限りすべてが海で、霞んで見えないほど砂浜が続いている。いやあ誰もいないって撮影にぴったりだよ。友人は白い砂にできた風紋の美しさに驚いたり、誰もいない広大な海に感激したりしている。映画のように横たわる白い流木に座って近況を話し、束の間の青春を過ごした。

さて、乗りますか。景気よく声をかけてくれる気遣いが伝わる。駅に着いてホームで待つのも、ひとりと違って友人と一緒だと本音が言えて、御守りを出して握ったりなんか緊張するなーと苦笑いしながら、到着した列車にすっと乗り込んだ。

目の前にカップ酒を飲みながら新聞を広げているおじいさんがいる。あれ、ふふふ。わたしが笑うと、友人は大笑いをこらえて目をそらしている。そらしたそばから体をよじってワンカップ大関を見つめる。あれがゴールだよ。優勝。いつかあんな風に乗れるよ。わたしも同意見だった。いつかこのおじいさんみたいに春の日のあたたかい車内でリラックスして乗りたいな。

列車が走り出す。走り出す直前がいちばん緊張する。列車が走り出すと胸の不安は次第におさまって、何も怖くなく乗れていた。怖くない!わたしは叫んだ。ぜんぜん怖くない!人の力ってすごいんだね、わたしもう治ってるってわかってたんだけど、やっぱり治ってたんだ。信頼できる人と乗るとこんなに安心するんだね、ありがとう、一緒に乗ってくれて。感謝の気持ちで夢中で話す。

手を繋いでいてほしい、と申し出ると友人は一瞬驚いた表情で、ふわっと左手をつかんでくれた。だいじょうぶだいじょうぶと握った手を軽く叩いてくれる。わたしは車窓を見つめながら胸の真ん中をしきりに叩いて、うん。うん。怖くない。と気持ちを確かめた。手のあたたかさに気づいて友人に振り向くと、慈愛の笑顔を見せてくれた。

2駅乗ったところで、よし!折り返そう。と促されて降りる。少しずつ、少しずつだからね。せっかく遠くから来てくれたんだからもっと乗りたいと焦るわたしの気持ちを察して、乗れたねー、やったー!と両手を挙げて喜んで見せる。そうか、2駅乗れたんだ、乗れたね、落ち着いて乗れたね、とホームを歩きながらわたしも歓喜の声をあげる。

それからは駅を降りて線路沿いを歩いて中学生が遊ぶ公園のベンチに座ったり、丸太の上をぐらぐらと歩いたりしながら少し話した。舞台もね、出る前がいちばん緊張するんだ。いっつも緊張する。どんな慣れた舞台でも直前はいつも緊張するんだけど、はいどーもーって出て行くとすっと消えるんだ。

夕日が沈んでいく。帰りのホームではもう電車の話はしていない。作ったあの動画見たよ、とかあのシーンよかった、なんて普通の会話をしている。列車が遅れているとアナウンスが流れて不安がよぎる。帰りは混雑しているかな。でもきっとだいじょうぶ。

帰りの列車は人が多く、わたしは怯んだ。友人と一緒だからとえいやっと乗車する。ドア付近で立つ胸の中はもやもやして、なんだか不安だ。胸をさすりながら険しい表情で窓を見つめる。背中をとんとんと叩いてくれる友人をはっと見上げて、優しさにありがとうと気持ちがほぐれる。彼は目についた景色を指してわたしを笑わそうと話をしてくれた。不安からうつろな眼差しでうん、うん、と相槌を打つわたしを気遣って、やさしい間で話しかける。電車の速さが不安なのか、人がいるから怖いのかと考え続けるわたしに、あれ、なんでこわいんだろう、と疑問が湧く。安堵した。そもそもこわい理由なんてないはずだ、と。




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