山陰本線の蒸気機関車では形式も判らないような風景重視の写真が続きましたので、この辺りで少し山陰西部で会ったD51の変形デフの話題でも(^^
長工デフに鷹取式集煙装置を付けたD51473が鎌手駅を出発して来ました。
山陰本線 鎌手-石見津田 1973年12月26日
長工デフ装備車でも、こちらは長工式集煙装置を付けた正統派のD51405号機。同機は津和野運転支所所属のD51で、山口線の貨物を牽いて来て、山陰本線と山口線の連絡駅益田駅の益田支区で休んでいました。
山陰本線 益田支区 1972年4月1日
同じ長工デフを装備したD51でも集煙装置が違うだけで、これほどまでも印象が違って見えるのも不思議なものです。個人的には鷹取式集煙装置を付けたD51473のほうがお洒落で似合っているように感じ好感が持てます(^^ 因みに私は、四角張った長工式集煙装置の形が好きではなくて、同装置が使用されていた中央西線のD51には食指が動きませんでした(山口線も)。
両機は信越本線無煙化の際に長野区より津和野や新見に転配され、新見区に転属した473号機は後藤工場の管轄だったので集煙装置を鷹取式のものに置換されたようです。 一方、津和野支所に転属した405号機は広島工場が受け持っていたので、広島式集煙装置を装備しても良さそうなものですが、広島式はD60用のもので流用できなかったために引き続き長工式の集煙装置を使用したようです。 これにより山口線は西日本で長工式集煙装置を装備したD51の走行線区としては特異な存在でした。 これは個人的見解ですが、広島工場はよほど鷹取工場の真似をするのが嫌だったのでしょう(^^ゞ 因縁の阪神タイガースと広島カープの関係に関与しているのかもしれないなんて考えると面白いですね。煙室戸下のシンダーエプロンは、広島工場オリジナルのハの字型のものを付けています。
後藤工場式デフと言えばD51499のデフを思い浮かべますが
D51833は下の写真のような後藤式デフを装備していました。
山陰本線 黒松-浅利 1972年8月8日
山陰本線 久手-波根 1972年8月7日
山陰本線 田儀-波根 1972年8月8日
D51833が付けていたデフの型式は知りませんが、D51の標準デフレクターの下半分をチョン切っただけのような形態は、アニメ「サザエさん」のワカメちゃんカットの刈り上げでおかっぱ頭のような感じで格好良くは見えませんでした。
米子のD51782は左側のデフだけ
下1/3ほどを斜めにカットしたデフを装備していました。
山陰本線 揖屋-荒島 1972年4月2日
手入れの悪い機関車ですね。
山陰本線 揖屋-荒島 1972年4月2日
D51782は左側のデフだけ下1/3ほどが斜めにカットされています。カットされた部分にも帯板でしっかりと縁取りがされているのが分かります。同部の手摺りは、デフを挟んで両脇に設けてあるのが通常ですが、782号機は内側にだけしか設置されていません。
米子区の機関車は手入れが悪く何時も薄汚れていたような印象があります。それ故に米子の機関車で来る列車はあまりアップで撮らないようにしていたのでD51782も近くで撮ったのは此の日を合わせて2度ほどしかなかったように記憶しています。
D51838は言わずもがな伯備線の元お召し機。
開放テコや自連器にその名残が伺えます。
山陰本線 大田市-久手 1973年8月
D51838は伯備線の「さよなら列車」にも起用された元お召し機にも関わらず、デフ上部は標準型のように折り曲げられておらず、戦時型D51のようなストレートのデフを装備していました。おまけにデフは分厚いアングル材で縁取りされていて武骨な感じがするD51でした。
カマボコドームにストレートのデフを持っていたD511067
山陰本線 小田-田儀 1973年8月
角張ったデフのD511067が海辺の路を通り過ぎて行きます。
山陰本線 小田-田儀 1973年8月
船底テンダーを持つ戦時型D51には、このストレートで角張ったデフのほうが似合っているような感じがします。
これが、私が山陰西部で会った変形デフのD51達でした。
最後まで御覧戴いて ありがとうございました。
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最後に再び集煙装置の名称について
集煙装置の〇〇式は国鉄工場部内で使われていた呼称です。近年、ネットなどで鷹取式の集煙装置を後藤工場式としているサイトがありますが、後藤工式の集煙装置は、本来、敦賀式の集煙装置を元に後藤工場が受け持つC51用に横幅を短縮したものを独自に図面を起こし、一時はD51用にも其のアレンジし装備した集煙装置を差しますが、後藤工場式の集煙装置は昭和40年頃には姿を消しています。なので昭和40年以降の蒸気機関車終焉期に後藤工場で装備された集煙装置を“後藤工場式”とするのは間違いです。増してや“後藤工場式 後期型”など言うものは存在しません。
肥薩線のD51で使用された集煙装置も敦賀式であり、〇〇式は図面などの記載にも使われた部内での呼称なので、最近になって当時に存在していなかった鹿児島工式などと呼ぶのも馴染みませんし、ナンセンスな事だと思います。
鷹取式は西日本の機関車中心に装備されていた集煙装置で、10代前半の頃からずっと慣れ親しんで来た名称なのに、最近になって(と言っても、ここ10年ほど前からですが)ある日突然、呼び名を変えられてしまった感があり、戸惑いさえ覚える事柄なので、度々ではありますが最後に付け加えさせて頂きました。