お疲れ様です。こんばんは。

 本日もご乗車ありがとうございます。
 先日からの、私が事故に遭ったシリーズから、一旦元に戻りまして、鉄道模型に入ります。  
 私も、小学校からこの趣味を始めまして相当年数経ちます、近年はヤフオクなど利用しまして、車輌の管理など全くできておりませんので、この機会を通じで整理したいと思います。
 さて、私が好きでたまらないと言うか、愛着がある車輌から紹介します。
 母の郷里でもある和歌山県新宮市、そこにか帰省するために利用していました、私の家は特急など使えるような裕福なものでなかったのか、時間の短縮なのか、わかりませんが、夜行を使うのが常でした。
 天王寺発名古屋行から亀山に、晩年は新宮まで距離は短縮し車輌も代わりましたが、南紀・はやたまを牽いていた、EF58型ですね。
 まず、購入年月日は今はわかりませんが、小学校5年生の頃です、阪急百貨店で購入したのを覚えています。
  この車輌は89号機をつけていますが、最初期のナンバーは306を名乗る三桁ナンバーの58です、ボディは友人宅で遊んでいた時に階段転落に遭い、当時の関水金属でボディと先台車を購入してリニューアル、当時のHゴムガラス、先台車を購入しています、元のものはダイキャストの駆動部のみです。
 龍華の147号機をイメージしています。
 これからは、ナンバーとパンタを交換したいですね。
 この車輌も最初期から数年後にKATOのパッケージがプルーになり四桁になったすぐの車輌です、当時大阪曽根崎の旭屋書店に存在していた、マッハ模型で中古品でジャンク的になっていたのを、購入してきました。そんな時って、見ていると走る場所がなくなって寂しくしているように思えて購入してしまいます。
 龍華の139号機をイメージしています。
 でも、当管理局にきても走ってなくて飾ってるだけですけどね。
 この車輌は、先台車、パンタ、カプラーをリニューアルして内装も少し加工して本線に出したいと思います。
   この車輌は、大窓をタイプとしたものです。
 購入は約20年前かなあ、今の自宅に住む前に、大阪の淀川区に住んでいまして、塚本のPが近くにあり、通うことになりました。
 やはり、そこでもジャンク品に目がいきまして、連れて帰ってきた次第ですね。当時としてはかなり安い価格でした。しかし良く当管理局では働いてくれています。しかしながら近年は屋根裏の路線延長が困窮していることから動かせていません。
 龍華の42号機をイメージしています。
 この車輌もパンタの見直しと車輪等の塗装かな。
    さて、4輌目の58は、龍華の39号機をイメージしています。
 模型では高崎の耐寒型をイメージしていますので、屋根上黒塗装、ホイッスルカバー、スノープローがありますが、入選時にスノープローは外しています。ホイッスルカバーは当時の入線時しばらくはついていた経緯があるので、そのままにしています。
 この車輌もP店に来訪した際に連れて帰った車輌ですね。
 屋根上の塗装とパンタの見直しが必要ですね。
 ヘッドライトを共通で豚鼻にしないといかんです。
    さて、ここにきてTOMIXの釜です。 
 スプリングウォームの凄まじい音で快進撃いたします。しかしながら、当時の塚本でのP店に来訪した際に、ジャンクコーナーで寂しくこちらを見ていたので連れて帰りました。
 この車輌は、これから改良の余地が沢山ありますが、私の年齢が間に合うかですね。ズボラなもので。
     最後に紹介するのは、ボディassyでの車輌、初期型茶色ボディ、龍華のエース66号機を作ろうと思い、購入いたしました。ヨロイ戸エアフィルターに交換しています、屋根上梯子は一旦穴を開けて、プラ板で長方形に形成して真鍮線で梯子を作るイメージです。庇も豚鼻もパーツですね。
 
 
 さて、今日、紹介しました機関車で、作成中のボディを除いて、5輌。
 当管理局、紀南線の主力機関車です、当時電化前では阪和貨物を龍華操車場から和歌山操車場まで牽引と夜行南紀を和歌山まで牽くのが仕事でしたが、電化した後は新宮まで足を伸ばすものの、貨物からは手を引いて旅客専門で1986年昭和61年2月に後任のEF60にバトンを渡すまで活躍しました。
 しかしながら当管理局では、後任のEF60と共存しながら運用しています。
 
 整理表では
 EL 5
 
    というところでしょうか。

 本日もご乗車ありがとうございました。
 またのご利用お待ちしております。お休みなさい🌙