1990年1月6日の撮り鉄日記
(この日記は1990年1月6日の内容だが、ブログ投稿は2021年2月19日)
1990年1月当時の俺は17歳(高校2年生)
━━━前日のエントリーから続く━━━
さて、前日の深夜22:40頃、南小谷駅から歩き始めて、
中土駅を過ぎ、
次は北小谷駅の筈だ。
だが、深夜なので、真っ暗で景色が見えない。
延々と国道148号線を歩く。
線路とずーっと沿っているわけではないので、不安になる。
本当に北小谷駅に辿り着くのだろうか?
0:20頃、再び線路が見えてきた。
できるだけ線路沿いに進もうと考え、線路沿いに行くと、丘の上に続いており、カーブしていて、
とんでもない方向へ行きそうに見えた。
なので、また国道148号線に戻って、再び延々と歩き続けた。
距離や所要時間から計算して、とっくに北小谷駅に辿り着いていてもおかしくはない。
しかし北小谷駅がどこだかわからず、国道148号線を歩き続けた。
線路とは沿っておらず、大きくカーブしたりしていた。
途中、面白い電話ボックスがあった。
わざわざ階段を上って入る電話ボックスだ。
豪雪地帯だから、こういう構造にしたのだろう。
わざわざ三脚を立てて、セルフタイマーで記念撮影。↓
深夜1:50頃
近くに大きな地図があったので、それを見ると、わりと平岩駅が近づいてきているということがわかった。
北小谷駅を目指していた筈が、とっくに北小谷駅は過ぎており、更に次の平岩駅の近くまで来ていたようなのだ。
深夜2:40頃、
やっと平岩駅に着いた。
およそ4時間近く歩いてきた。
時刻表によると、営業キロは14.9kmとなっているが、道路はもっとクネクネしているし、途中、ちょっと迷ったりもあったので、20kmくらいは歩いていたと考えられる。
歩いている間は、体が温まってくるが、立ち止まると、どんどん冷えてゆく。
かと言って、これ以上運動したくない。
足はクソ疲れている。
駅の待合室で、腕立て伏せなどをして、寒さをしのいだ。
結局、早朝、6:01発の列車に乗って、再び南小谷駅に戻った。
何のため歩いていたんだ?
(本当は撮影地で現地マルヨするか、北小谷駅あたりでマルヨする予定だった)
南小谷駅で青春18きっぷに日付のハンコを押してもらった。
そして、糸魚川行きの列車に乗った。
車窓を見ていると、深夜に線路が見えてきた地点が、実は北小谷駅のすぐ近くだったということがわかった!
深夜だったので、歩いているときは全然わからなかったのだ。
寒いし、疲れているので、もう歩く気はしない。
糸魚川へ気動車で行って、
電車で富山駅へ移動。
雨☔が降っていた。
富山駅で419系などを撮影
もう、今日はこれで帰ることにした…
直江津から長野までは、115系のコカ・コーラ電車だった。
長野駅で、自分が乗ってきたコカ・コーラ電車を撮ろうとしたが、別の列車でかぶってしまい、撮れなかった。
そしたら、普通列車を1本乗り逃してしまったので、
長野駅のホームの店でカレーライス🍛を買って、
特急『あさま』に乗り込んだ。
ビニール袋の中で、そのカレー🍛がだいぶこぼれていて、もったいなかった。
特急『あさま』の中で、そのカレーライス🍛を食った。
昨日のお昼からごはん食ってなかった。
(お菓子とか飲み物は多少食っていたが…)
小諸で、乗る予定だった普通列車に追い付く。
小諸から、信越本線で普通列車に乗り継いで帰ってきた。
(当時は信越本線が繋がっていたからな)
→高崎→浦和→南浦和→新松戸→亀有
うちに着いたのは、深夜1時頃になった。
【了】
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