民鉄の覇者 東京急行電鉄 80、御上の横取り | 犬と楽器と鉄道模型

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東急が絵を描いていた渋谷~江の島~箱根を繋ぐ高速道路の夢は、実現に向けて着々と進んでいた。

 

五島は構想実現に向け、関係官庁や地元の人達と頻繁に接触し、経路や説明・説得に明け暮れていたのである。

 

運輸省は、この五島の出願を全面的に支持していた。
しかし、建設省の返事は芳しくなかった。


『かかる重要路線を民間企業に委ねて良いか悪いか』との理由である。

そして、東急グループの路線計画に目をつけ、これを自分等の仕事にしようと横取りを企んだ為であった。


「日本初の本格的な高速道路を民間が造っては国のメンツに関わる」と・・・
要は東急の自動車専用道路の認可の話が、お上の利権争いの話にすり替わってしまったのである。

 

特有の嗅覚で嗅ぎ付け、利権絡みに明け暮れようとする官僚共に五島は成す術は無かった。


次元が自動車専用道路の申請だったものが、官僚共の道路の利権獲得の闘争に舞台は移ってしまったからである。

ここまで話が捩れては一人や二人を説き伏せた所でどうにもなるものではない。

 

昭和31年、建設省は日本道路公団を設立した。
同公団は東急ターンパイクの一環として計画した路線を全く重複させ、横浜バイパスと名付け、建設を始めたのである。

イメージ 1

 

この「横浜バイパス」、世田谷~横浜市までを走る自動車専用道路で、これが後の第三京浜となった。

 

東急はこの計画を破棄し、ターンパイク本線事業のみを推進するか、現在の東急田園都市線付近に道路を建設するかの選択を迫られたのである。

 

この記事は2015-04-21

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